(巻二十六)綺麗事並べて春の卓とせり(櫂未知子)

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(巻二十六)綺麗事並べて春の卓とせり(櫂未知子)

9月16日水曜日

健康・不健康

朝晩腕に巻いて測り始めた。

2017年4月27日の日記を見ると柏の名医のところで測った記録が書いてある。

128-94だ。以前から下は高かったようだ。 

散歩と買い物:

ハイスクール・コースを拡大・延長したコースを開拓した。

葛飾野から修徳の裏に回り、亀青小正門からさくら通りに出て、そこから新道に進み、新道を渡って亀中の裏門を経て生協に戻るという小中高を踏破するコースである。

歩きやすい季節になってきたので五千歩を超えたいところだ。

写真は亀青小の校門前にあった文房具屋さんである。昔はどの学校のそばにも小さな文房具屋さんがあったものだが、今や遺跡の如しである。

遺跡のような文房具屋さんによい手帳が埋もれては居まいかと薄暗い店の中に入り、「手帳はありますか」

と尋ねてみた。

「ここに在りますよ」

と品のよい老婦人が示したのは2020年版のカレンダー手帳であった。

時間はゆっくりと流れているようだが、商売にはなっているのだろう。

西日中世辞も値に入れ小商い(大塚良子)

店を出て亀青小を正面に見ると、校舎のガラス窓に模造紙で創立148年と貼り出してあった。帰宅して調べたら1872年創立だという。樋口一葉の生まれた年だ。これは驚いた!

廻されて電球ともる一葉忌(鷹羽狩行)

本日は四千八百歩で階段は二回でした。

願い事-叶えていただければありがたく存じます。

「偏奇館漫録(冒頭) - 永井荷風」中公文庫 麻布襍記 から

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「偏奇館漫録(冒頭) - 永井荷風」中公文庫 麻布襍記 から

庚申の年孟夏[もうか]居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館[へんきかん]と名づく。内に障子襖なく代ふるに扉を以てし窓に雨戸を用いず硝子を張り床に畳を敷かず榻[とう]を置く。朝に簾を捲くに及ばす夜に戸を閉すの煩なし。冬来るも経師屋[きようじや]を呼ばず大掃除となるも亦畳屋に用なからん。偏奇館甚独居に便なり。
門を出て細径を行く事数十歩始めて街路に達す。細径は一度下って復[また]登る事渓谷に似たれば貴人の自動車土を捲いて来るの虞[おそれ]なく番地は近隣一帯皆同じければ訪問記者を惑すによし。偏奇館甚隠棲に適せり。
偏奇館僅に二十坪、庭亦狭し。然れども家は東南の崖に面勢[めんせい]し窓外遮るものなく臥して白雲の行くを看る。崖に竹林あり。雨は絃を憮するが如く風は渓流の響をなす。崖下の人家多くは庭ありて花を植ゆ。崖上の高閣は燈火燦然として人影走馬燈に似たり。偏奇館独り窓に倚るも愁思[しゆうし]少[すくな]し。
屋後垣を隔てて隣家と接す。隣家の小楼はよく残暑の斜陽を遮るといえども[難漢字]晩霞[ばんか]暮靄[ぼあい]の美は猶此を樹頭に眺むべし。門外富家の喬木連って雲の如きあり。日午よく涼風を送り来って師か而[しか]も夜は月を隠さず。偏奇館まこと[難漢字]に午睡を貪るによし。たまたま放課の童子門前に騒ぐ事あるも空庭は稀に老婢の衣を曝すに過ぎざれば鳥雀[ちようじやく]馴れて軒を去らず。階砌[かいせい]は掃うに人なければ青苔[せいたい]雨なきも亦滑かに、虫声更に昼夜をわかつ事なし。偏奇館徐[おもむろ]に病を養い静かに書を読むによし。怨むらくは唯少婢の珈琲を煮るに巧なるものなきを。



余花卉[かき]を愛すること人に超えたり。病中猶年々草花を種まき日々水を灌[そそ]ぐ事を懈[おこた]らざりき。今年草蘆[そうろ]を麻布に移すやこの辺の地味花に宜しき事大久保の旧地にまさる事を知る。然れどもまた花を植えず独[ひとり]窓に倚り隣家の庭を見て娯[たの]しめり。
呉穀人が訪秋絶句に曰く、(漢詩割愛)と。わが友唖々子[ああし]に句あり。「夏菊や厠からみる人の庭。」われ此れに倣って「涼しさや庭のあかりは隣から。」
余今年花を養わざるは花に飽きたるにあらず。趙甌北[ちようおうぼく]が絶句に、(漢詩割愛)。といえるを思えば病来草花を愛するの情更に深からずんばあらす。然るに復之を植えざるは何ぞや。虫を除くの労多きを知るが故なり。ただ[難漢字]に労多きのみにあらず害虫の形状覚えず人をして慄然たらしむるものあるが故なり。鳳仙藍菊[ほうせんらんぎく]の花燦然として彩霞の如くなるを看んと欲すれば毛虫芋虫のたぐいを手に摘み足に踏まざるべからず。毛虫の毛を逆立て芋虫の角を動し腹を蠢[うごめ]かすさまの恐しきを思えば、庭上寧ろ花なきに如かず。花なければ虫も亦無し。
毛虫芋虫は嫩葉[どんよう]を食むのみに非ず秋風を待って再び繁殖しいよいよ肥大となる。梔子[くちなし]木犀[もくせい]たちがら[難漢字]の葉を食うものは毛なくして角あり。その状悪鬼の金甲を戴けるが如し。雁来紅[がんらいこう]の葉を食むものは紅髯[こうぜん]さんさん[難漢字]として獅子頭の如し。山茶花を荒すものは軍勢の整列するが如く葉裏に密生し其毛風に従って吹散[ふきさん]じ人を害す。園丁も亦恐れて近づかず。
およそ物として虫なきはなし。米穀の俵に虫あり糞尿に蛆あり獅子に身中の虫あり書に蠧[と]あり国に賊あり世に新聞記者あり芸界に楽屋鳶ありお客に油虫あり妓に毛虱あり皆除きがたし。物美なれば其虫いよいよ醜く事利あれば此に伴うの害いよいよ大なり。聖代[せいだい]武を尚[たっと]べば官に苛酷の吏[り]を出し文を尚べば家に放蕩の児を生ず倶に免れがたし。芸者買の面白さは人を有頂天ならしめ下疳[げかん]の痛さは丈夫を泣かしむ。女房の有難きや起きては家政を掌り寝ては生慾を整理す。徳用無類と?も煩さくしつッこくボンヤリして気がきかず能く堪うべきに非ざるなり。児孫は老父を慰め団欒の楽しみをなすと?障子はいつも穴だらけなり。荘子既に塗抹詩書[とまつししょ]の嘆[たん]をなせり。
利のある処必ず害あり楽しみの生ずる処悲しみなくんばあらず。予め害を除く道を知らずんばいかでか真の利を得んや。悲しみに堪うる力ありて始めてよく楽しむを得べし。景気に浮かされて儲ける事ばかり考えれば忽ちガラを食った相場師の如くなるべし。タダで安いと楽しめば三月目にはどうしたものかと途方に暮れるべし。栄華に安んじて其の治むる道を講ぜざれば事皆東京市の道路の如くならん。余既に病み夙[つと]に老ゆ。自ら悲しみに堪うる事能わざるを知って亦深く歓びを索[もと]めず。庭に花なきも厠の窓より隣家に此を眺めてよろこび家に妻なきも丸抱の安玉を買って遂に孤独を嘆ぜず。分を守って安んずるものを賢者となさば余や自ら許して賢なりとするも亦誰を憚[はばか]らんや。

(巻二十六)言霊を吐いてエンピツ削られる(南澤霧子)

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(巻二十六)言霊を吐いてエンピツ削られる(南澤霧子)

9月15日火曜日

健康・不健康:

区の検診で血圧が高いと出たので細君が強く奨める内科医院で診ていただくことにした。

その医院は8時半に受付開始だそうで、細君によれば8時前から門前に行列ができるとのことであるが、8時半に到着し二番目であった。

初診であるから受付で症状を陳べて、区の検診のデータ、泌尿器科で行った直近の採血データとお薬手帳を提出し、問診票に答えて受付手続きを終えた。

その頃には10人近くが待合室に座っていた。

9時に一人目が呼び込まれ、9時5分に二人目として呼び込まれた。

腕巻きで測り、“飲んだ方がよい、”とのお見立てでした。“一番軽い薬から始めましょう。”ということで2週間分処方して頂き、記録手帳とパンフを頂いた。

「自分で測ると小心なのもんでとても高い数値になるんですが、」と申し上げると、

「気にしないで、測り続けなさい。薬を飲めば下がるし、慣れてきますよ。」

とかわされた。

「高血圧は、心臓・脳、それに腎臓にも悪いから、長生きしたかったら飲みなさい、測りなさい。」と判決を申し渡された。

血圧のくすり一生地虫鳴く(一民江)

“判決を申し渡された”と書くと冷たい医者だと誤解を招くかもしれないから補足いたす。

俳優で医者役と云うと我輩は中村伸郎辺りを思い出すが、もっと丸みがあり暖かみのある先生である。千秋実辺りが近いかな。

高血圧は心臓・脳・腎臓ほかにもよくないから、下げた方がよいと穏やかに説得調でお話し下さった。医者として経営者として経験豊かな円熟した町医者先生です。何より患者が来るのがその証左であろう。

また誰か死んだ話に昼寝かな(中村伸郎)

処方箋をいつもの薬局に持っていく。薬を渡されたときに「尿酸の薬を飲んでいることを医師に伝えたか?、医師は十分にそのことを分かっているか?」と新卒かそれに近い才女臭がプンプンしている薬剤師さんに二度、三度確認された。確認はよいことでしょう。

年寄れば日々の薬のふえにけり(駄楽)

と一句捻った。

体のことが終ったあと、リリオの図書サービスカウンターに上がり、返却と貸出を受けた。

思いの外、時間は掛からず10時15分にはビィーンズのパン屋で昼飯を仕入れた。気分的に中華弁当は止めた。中華弁当は止めたがあんパンは買った。

コレステロールと糖は今のところ範囲内だ。

本日は四千七百歩で階段二回でした。

読書:

図書館の本の貸借に空白が発生したので昨日から“蔵書”の、

「第八章「尼崎港線」・「東羽衣線」 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表二万キロ から

を読んでいる。

その一節に、失礼ながら、これは使えるという表現があった。歓びを分かちたくご紹介いたす。

《 古いながら大きな駅舎があり駅員もいたので、尼崎港駅発行の切符を入手しようと声をかけると、六時過ぎまで列車はないと言う。それは知っているけれど、この駅の切符が欲しいのだと頼むと、たいへん面倒くさそうに窓口へやってきた。面倒なのは無理もない。この駅には行先きを印刷した切符は用意されていないらしく、発駅・着駅・人数・発行年月日・有効期間・運賃など、すべてカーボン紙を挟んでの手書きで、しかも「事由」の欄に「片道券」などと記入しなければならない。そのあと「下車前途無効」とか「尼崎港駅」などのゴム印を捺して、それで四〇円であった。

一〇分ほど歩いて阪神電鉄の尼崎から大阪に戻り、その晩、約束しておいた人に会った。さっそく「尼崎港線」に乗ってきたことを話し、切符を見せたが、相手は大阪の人なのに、この線に乗ったことがないばかりか、存在すら知らなかったので関心を示さず、鳩を思わせる美人であったから、眼をますます丸くして、切符のかわりに私の顔を見つめた。》

『鳩美人』と形容されたら、あれっきゃないでっしゃろ!

嘘つけぬほどぴつちりと白スェーター(清水衣子)

願い事-叶えてください。医者になんか行くけど本気なのかい?と云われそうですが、ポックリがお願いでございますよ。ポックリで仕上げてください!

長生きはお願いしません。ダラダラは勘弁してください。

「検査は身体に悪い - 土屋賢二」文春文庫 紅茶を注文する方法 から

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「検査は身体に悪い - 土屋賢二」文春文庫 紅茶を注文する方法 から
 
人間は、自分がどんな人間であるかに強い興味を示すものだ。自分の容姿を鏡や体重計で仔細に点検したり、自分にどんな才能があり、どんな運命をたどるが、などを知りたがるが、それも若いうちだけだ。
年をとると、もっと重要なことがあることに気づき、鏡を見るよりもスポーツ新聞を読む方を選ぶようになる。
実際、中高年の者が自分を点検してもロクなことはない。点検の結果判明するのは、本人が思っている以上に、才能がなく、他人に嫌われ、病気が進み、この先すべてが悪化する一方だということぐらいだ。
こういう事実を発見してどこが面白いのであろうか。人間ドックに進んで入る人の気が知れない。検査しなくても悪いところがあるに決まっているのだ。
それをわざわざ検査で探すのは、一カ月放置していた牛乳がどうなっているかを確認するようなものだ。それを確認したがるだけで異常と診断してもいいくらいだ。
だいたい、洗濯機でもパソコンでも、点検すると調子がさらに悪くなることは、科学を知らない人間ならだれでも認めるところだ。
わたしのように身体が弱い上に繊細な人間は、健康診断が苦手だ。健康診断を受けるたびに身体が弱っていくような気がする。検査結果が怖い上に、検査で何をされるか分からないという心理的負担が大きいのだ。
血液検査で血を何リットルも抜き取られるのではないか、血圧を測るふりをしてカテーテルで血を抜き取られるのではないか、X線写真をとるふりをして、財布を抜き取られるのではないか、など不安がつきない。
この技術革新の時代に、検査の仕方が一向に進歩しないのも納得できない。空港の金属探知機のような枠を通るだけで、血糖値から家族の病気の有無まで瞬時に診断できるようにならないものだろうか。そして異常が見つかったら、自動的にデータを正常値に修正してカルテに印刷するぐらいできそうなものだ。
検査技術がない時代はよかった。「具合はどうですか」の問診だけですんでいたのだ。
職場の定期健康診断を受けるのは、いつものように憂鬱だった。検査は血圧、胸部X線、心電図、内科検診、尿検査、血液検査だ。学生と違い、血液検査と尿検査がある。血液も尿も中高年の弱点が現れるところだ。露骨に弱点ばかりを狙って恥ずかしくないのだろうか。
検査当日、自分の身体の声に耳を傾けてみると、頭痛の他、動脈硬化と胃ガンと肺ガンと難聴の自覚症状があり、生きているのが不思議なほど、あらゆるところが異常を訴えている。日ごろ、異常な人間関係に注意を奪われていて気づかなかったが、実際は内憂外患状態だ。
この段階で打てる手は少ない。尿検査に備えて、十分に水分をとる程度だ。尿が出ないと、異常と判断されて無理やり管を挿入されるかもしれない。
水分をとりすぎるのもよくないから注意が必要だ。以前、水分をとりすぎて我慢しきれず、検査前にトイレで無駄に出してしまったことがあるのだ。
頭痛薬を飲むのはひかえた。コーラもひかえた。コールタールも砒素もひかえた。
検査に行くと紙コップと試験紙を渡された。指示された通りに試験紙を尿につけて差し出すと、異常なしとの診断だった。
よかった。実は、よっぽど試験紙をなめて出そうかと思ったのだ。もしそうしていたら、口の中に残ったカレーライスの成分が検出されて、非常に特殊な病気と判断されていたかもしれない。
水につけようかとも考えたが、大学の水も危ない。ネズミの死骸の成分をはじめ、ダイオキシントリハロメタン、ユウバリメロンなどが検出される恐れがある。そうなったら、隔離もしくは駆除もしくは収穫されていただろう。
血液検査では大量の血液を抜き取られ、意識が遠のくような気がした。何時間前に食事をしたかと聞かれる。食事を作ったのはだれか、と聞かれなかったのが不可解だった。
結局、検査では失神もせず、財布も無事だった。だが、検査の結果が出たら、食事制限を強いられるに違いない。好きな物を食べられるのは今のうちだ。そう考えて、検査以来好きなものを貪欲に食べている。そのせいか、この二、三日体調が悪い。

(巻二十六)蝉の屍の鳴き尽くしたる軽さかな(大倉郁子)

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(巻二十六)蝉の屍の鳴き尽くしたる軽さかな(大倉郁子)

9月14日月曜日

今日は義母の命日だ。うるさいことは言わない、いい姑さんだった。その娘とは思えない。

細君は歯科へお出掛けになり、静かな午前を過ごしている。写真は鶏頭だそうだ。私も花があるのも良いものだと思う齢になった。

生命は脳に棲むらし鶏頭花(小野寺英子)

と詠まれてみれば、鶏頭花は何やらそれに見えてくる。単に季語として挟み込んだわけではないようだ。この句の良さがはっきりしてきた。
そして、鶏頭がそれに見えてくるのはそれの働きで、岸田秀氏の云う『唯幻論』になる訳か?

鶏頭に脳みる脳の朧かな(駄楽)

と駄句を捻った。

散歩:

細君が昼頃戻った。
歯科の後でモールに回り、秋春用のパーカーを買ってきた。薄いベージュでサイズもよろしい。やはり息子のお上がりはサイズ的に間延びしていて外には着て行けない。
ファッション・ショーを見て“いいよ!”“いいよ!”を連発した後、散歩に出た。

秋袷こうたる妻や猫歩き(駄楽)

今日は昼間でも散歩ができる気温である。
ハイスクール・コースを延長して中学正門、お寺、曳舟川と歩いた。
丁度昼飯どきで公園や駐車場で作業の方々が弁当をつかったあとだった。

風のみちここぞと決めて三尺寝(岡野俊治)

本日は三千七百歩で階段二回でした。

BBC
 
https://www.bbc.co.uk/programmes/w3cszjqc
 
The Food Chain
 
The fertiliser that blew up Beirut
A little-known chemical that changed the world.

ベイルートの爆発事故は窒素肥料が爆発したとのことで、この番組は窒素肥料についてスポットを当てていた。
馬糞、牛糞などの家畜糞と人糞を肥料として農業が営まれてきたが、十九世紀になり人口が急増するとそれでは間に合わなくなったそうだ。
南米沖の鳥糞の堆積した島やチリの窒素層から窒素を採り肥料としたが二十世紀に入るころこれらは枯渇し、食料不足にならんとした。
1909年にドイツで大気中の窒素を取り出す方法を発明したそうだ。
この方法は高温高圧で窒素を取り出すので製造過程に環境問題があり、また散布した窒素の残留による環境破壊もあるそうだ。
肥料会社は肥料を使わなければ今の二倍の農地がなければ食糧が不足する。それを勘定に入れればむしろ環境悪化を軽減しているとの理論武装だ。

そのような内容の番組だと思います。

肥壺の満々たれば富めるごと(宮川三平)

願い事-叶えて頂ければありがたく存じます。しばらくの間世捨人できたわけですから文句はございません。叶えてください。

死を畏れ死を恋ひ枝垂桜かな(おぐまふさこ)



「樟の森 - 立松和平」エッセイ’ 91 から

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「樟の森 - 立松和平」エッセイ’ 91 から

山口県豊浦町小串の海岸には風と波とが吹き寄せていた。秋もそろそろ深まってくる頃である。日本海は日一日と荒れ、漁にでられる日も少なくなってくる。
漁港には漁船が舫[もや]ってあったが、人の影はない。今日は朝から働く日ではないと決め、漁師は家に閉じこもっているのだろうか。目だけをだす毛糸の帽子をかぶった漁師らしい背の高い男が歩いていたが、険しい目つきに声をかけるのもはばかられた。漁船同士が古タイヤを挟んでギシギシとこすれあっている。カモメが風に乗って空中に浮かんでいる。翼の角度をほんの少し変えるだけで、上昇も下降もし、一瞬のうち遠くに運ばれもする。
この海岸からほんの二、三キロ山のほうにはいったところに、川棚の樟[くす]の森がある。山は高くないのだが地形が細かく入り組んでいるせいか、風がない。海岸のような風があれば、こんな風景が見られるところであったのだ。

大楠の枝から枝の青あらし(山頭火)

放浪の吟遊詩人種田山頭火もこの樟の森の前に立ち、深い感動を覚えたに違いない。森と呼ばれているが、たった一本の樟である。幹は一本なのだが、枝が横へ横へとひろがり、まるで何本もの樹が絡んでいるようにも見える。一本の木だということのほいが信じられないであろう。
山頭火は実際に枝や葉が騒ぐ嵐を見たのではないと思う。枝ぶりが見事というよりも、これほどに巨大な命の賑わいに圧倒されたのではないだろうか。そんな驚きの表現として、青あらしといったのである。命が波打つさまとしては絶妙の表現である。
おそらく日本一の樟であろう。確証はないのだが、私はそう信じたい。世の中には上には上が必ずあるものだが、旅から旅をつづける私としても、これほど見事な樹に出会うことはめったにない。どれほど大きなものか、具体的なデータを書いてみよう。
幹まわり、十一メートル、高さ、二十一メートル。
十八本の枝を四方にのばし、最も長いもの二十七メートル。
一株の根張は根元を中心にして二十二平方メートル。
霊馬神とも呼ばれ、三月二十八日を祭日とし、刃物などで傷つけず大切にしてきたとある。霊馬神の縁起としては、戦国大名大内義隆が家臣の陶晴賢に謀反を起こされ、山口城は落城し、川棚ケ原にて敗れ、芦山の麓にてことごとく討死した。愛馬も深傷で倒れ、その頃すでに鬱蒼としていた樟の下に埋葬したとある。
地上で最も大きな生物は樹木である。最も長寿なのも樹木である。人間を遥かに超えた生命を持っている樹に神霊を見るのは、ごく自然な感情である。天に一番近いので、一番はじめに神様が降りてくる。天との境界線が大樹である。多くの神社に神木としての大樹があるのは、神様の通り道をさし示すためなのだ。
 
花というものがある。ハナは端[はな]で、先端という意味だ。人間からの先端、神様に限りなく近いものという意味である。ハナは現在では花であるが、かつては樟や杉や檜や槇や樒などの樹木であった。榊を神前に捧げるのはその名残りだといわれている。
ついでに書いておくが、花を病人にあげるのは日本の古代からの習慣にはなかった。まして鉢植えの花は根がついているから、寝つくを連想させたので、禁忌であったのだ。
樟の森に話を戻そう。枝の下に立っているだけで、嵐がきそうな感じがする。木の葉のすれあう音の間に、小鳥の声がする。樟は樟脳の原料で、虫除けになるのである。樹全体がいい香りに包まれている。一本の樹がさながらひとつの宇宙を形成している。
先日テレビで放映していたひとつのシーンを私は思い出した。ゴルフ場のグリーンに千葉の農家の庭先にある樟の古木を移植する話である。もともと山林だった土地から樹をほとんど根こそぎに抜き、土を掘ったり埋めたりして地形を変え、地中には排水溝を設備し、名木を買って運んで植える。
樟を買うために何人もの業者が農家を訪ね、そのたびに値が釣り上げられていく。結局はゴルフ場に買われていくのである。庭の樟が根こそぎにされてクレーンに吊られた時、中年男の農家の主人はいいところへ嫁にいくのだからと笑顔でいい、老婦人は身が引き裂かれるようだと泣き顔でいう。三百年はたっている樟の大樹はこうして金に換算されてしまったのである。
庭に樟があれば、風を呼んで涼しい。日陰にもなる。鳥もやってくる。樟は毒消しの作用があるので、悪い虫も寄りつかない。毎日の風景が美しくなる。数えきれないほどの効用があるのに、いくばくかの金に換えてしまったのである。喪失してからそのものの価値に気づくことがあまりにも多いのだ。
川棚の樟の森ほどにもなれば、誰も伐ろうとは思わないに違いない。こざかしい人間の行為など遥かに超越した存在感をもってそこにある。
青あらしの下から、私はいつまでも立ち去りかねていた。いくら旅を重ねているこの身であっても、ここにはもうくる機会はないかもしれないと思えたからだ。立ったままの私の横を、老婦人が陰のようにすり抜けていった。老婦人は頬かぶりしていた手拭いをはずすと、地面にぺたりと正座をし、それから樟の森に向かって頭を下げた。美しい光景であった。
 

(巻二十六)ホスピスや行くかもしれぬ半夏生(柴田節子)

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(巻二十六)ホスピスや行くかもしれぬ半夏生(柴田節子)

9月13日日曜日

散歩:

ハイスクール・コースを歩いた。コースの終盤の住宅街で庭先からはみ出た柿の木に気付いた。よく見ると青い柿がたわわに生っていた。

渋柿の滅法生りし愚かさよ(松本たかし)

本日は三千八百歩で階段二回でした。

朝日俳壇:

日の温み残る西瓜を購へり(野口寿男)

を書き留めた。

御常連の作、

忘れゐし死にゆきあたる秋思かな(稲垣長)

ハンカチで拭くあたたかき泪かな(瀧上裕幸)

を拝読した。

死を忘れることができるほどご健勝ということでお慶び申し上げます。

第一段の第一句は、

誘う声応ふる声や虫の闇(井芹眞一郎)

でした。雌も鳴くのかとネットで調べたら、全くいないわけではないようだ。

「文学作品には虚構が無くてはならない」と確か車谷長吉氏が書いていたと思う。

女知り青蘆原に身を沈む(車谷長吉)

私は俳句の鑑賞も下手ということだ。

ついて来い黙って俺に虫の恋(駄楽)

と駄句を捻った。

抜井諒一氏の「日常に潜む新鮮さ」という評論も掲載されていて、

金魚百屑と書かれて泳ぎをり(中西夕紀)

が紹介されていた。これを書き留めた。

救う気で掬う夜市の屑金魚(西村克彦)

も素晴らしい句だと拝んでおります。

願い事-叶えてください。

朝のブリーフィング、つまり細君から今日の家事予定や買い物などの指示をいただく打合せ、のあと新聞で引用された随筆作品や書物のご案内を頂ける。

今朝は、

随筆は

川端康成伝断片 - 吉行淳之介

書物は

『お寺の掲示板 - 江田智昭』

を教えて頂いた。

川端康成伝断片は吉行淳之介全集第12巻(新潮社)に採録されているらしい。

いずれも図書館で借りられそうなので取敢えずシステムの“お気に入り”に記録した。

「なかなか読みたい随筆に出会えない。」と生意気なことを申しておりましたら、このようなことになったのでございます。

ありがたいことでございます。

細君に負担は掛けたくないので粘らずに逝きたいと願っております。宜しくお願いします。

五月雨や湯に通ひ行く旅役者(川端康成)

が在庫にございました。