(巻三十一)鰯雲昼のままなる月夜かな(鈴木花簑)

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(巻三十一)鰯雲昼のままなる月夜かな(鈴木花簑)

10月9日土曜日

お越しにきたので体調を訊くと熱があると云う。38度近くあったので解熱剤を飲んだそうだ。

その後体温は37度まで下がったらしいが、体温計を3本使った測るものだからバラツキが出て勝手に混乱している。浮気せずに1本にしておきなさい!

晩涼やチャックで開く女の背(島将五)

夕方、解熱剤の追加を頂きにクリニックに行く。平日は老女が多いクリニックだが、土曜の夕方は青・壮年の男女で繁盛してました。

本日はそれだけで千八百歩で階段は1回でした。

願い事-知らぬ間に叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

「LSDの世界 - 馬場あき子」日本名随筆別巻78毒薬から

LSDの世界 - 馬場あき子」日本名随筆別巻78毒薬から

きくところによると、キリンという動物はたいへん女性的な性格で、好奇心がつよく、その上、きれいなものの魅力にひかれやすいのだという。
しかしキリンの好むきれいさとはいったいどんなものなのだろう。あの背の高さでは遠目はきくし、動物の中ではかなり外向きの性格で、〈へんなもの〉であればすぐ目について寄ってゆくというたぐいなのだろう。
それに比べれば私などは背は低いし遠目もきかないが、せまい生活範囲の近目ぐらしの中でも、とにかく好奇心に動かされて〈へんなもの〉が好きだという点ではキリン的だというべきかもしれない。
そうしたなかからいろいろ思い出してみると、キリン的好奇心やみがたく実行して、あれだけはすばらしかったという体験は、やっぱり、LSD25の注入実験ということになろう。
あれは昭和三十三年の春のことで、何でも夕方からはじめてかなり夜更けまで幻覚の世界をさまよったあげく、翌日の朝起きてもなお後味は残っていて、庭に散りしいた椿や薔薇、桜の花の色の重なりが夢のように美しく、煽情的であったのを思い出す。
LSDは発狂薬などと呼ばれていたと記憶する。まだ、破滅的な麻薬としての認識よりも、狂気に逆作用するかもしれない有効薬としての可能性が未実験のまま残されているという段階にあった。
私はある日、某画伯が実験者として服用して画いた絵がピカソ風の解体と総合の世界への傾向を、より情感的にもっているのをみて、たちまちキリン的心情にとりつかれ、この遠く妖しい幻覚の国に出かけたい欲望に取りつかれた。こうして実現した一夜の体験は、その後、雑誌『短歌』(昭34・5)に載せられ、さらに『現代詩手帖』(昭46・5)に再録されたが、実験材料としての私は、折ふし放胆な若気のほこりにみちていたし、医師のつきそいによる安心感から、かなり饒舌であった。
いま、その経過を詳しく述べる紙数はないが、緑、金、朱、黒、碧、白、銀等に彩られた色彩幻覚の豊潤さは忘れることができない。しかし、そうした美的な陶酔が、潜在意識としてあったさまざまな抒情の源泉を思い知らせてくれたのはたしかである。
私は緑の霧の絶えず涌き上がる山上に在って、下界を見下す巨人になったり、小さなガスストーブの火の色が、遠景の劇場の舞台のゆうに生き生きしているのにはしゃいだり、白銀の壁面に次ぎ次ぎにあらわれるファンタスティックな形象に見とれたりした。あるいはまた、砂浜に遺棄された錯覚のなかで、降り積る時間を花びらのように幻覚したり、このような孤独のあとに一転して暗黒の地獄へのエレベーターが、歪みつ膨れつやってくるのを怖れたり、ふしぎな感覚的な罪悪感にわけもなく涙ぐんだりした。

また、わずか数時間の経過を何年も生きたような充実感とともに受けとめ、建造物や、日常的な風景のことごとくが破壊され、書き割のように安っぽく変質しているのをみつつ、これこそ人生の本質だと断言したり、常識的な既成の権威のもっとめらしさがおかしくなって、突然げらげらと笑い出したりした。
夜更けて、まださめやらぬ興奮を抱きながら、医師に送られて帰る道すがら、この世のものとも思われぬ光彩にかがやく果実店に目をみはり、私は躊躇なく店内に入って宝物のように美しいバナナやりんごをもてあそんだ。全くすでに正気に戻っていると信じながらも奇跡のような色彩感に圧倒されての行為だった。
赤面しつつ弁解する医師に連れ出されて、それから電車に乗った。車内の座席をみわたすと、いるわいるわ、滑稽と奇妙にみちみちた漫画的面貌が、頬をりんごのようにふくらしたり、鼻をピノキオのようにとんがらせたり、木の実のように目を窪ませたり、それぞれが自在勝手の自己主張にけんめいである。
私は「漫画だなあ、漫画だなあ」と連発しつつ、この見世物的人間の座る車内を行きつ戻りつし、医師は恐縮しながら小さくなって後からついて歩いた。
とにかく豊饒な一夜であった。ただ、それに続くまる一日ほどの疲労感と倦怠感は、まるで腑抜けのように無気力で、若い肉体でなければとうてい回復は不可能である。
とはいえ、この実験は私にとってはかなりの大成功で、まさに人生に疲れはてたたそがれなどに、玉手箱を開くようにLSDに身をまかせられたらどれほどしあわせかと思われた。しかしまた、きくところによると、LSDはつねにこのように明るく豊かな世界を開いてくれるとは限らないらしい。いらいらと絶望、暗黒と恐怖、凶暴性のめざめなど、さまざまな精神的地獄との出合いを、忘れがたく身に残してしまう人もあるのだという。
いってみれば私の場合、ばかばかしく楽天的な、警戒心の欠如した若さが、色彩幻覚の場にうまく作用してくれた僥倖によって得られた満足だったといえるかもしれない。

 

(巻三十一)吊し柿こんな終りもあるかしら(恩田侑布子)

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(巻三十一)吊し柿こんな終りもあるかしら(恩田侑布子)

10月8日金曜日

細君のコロナワクチンの2回目接種に同行した。

待合室には老女がいっぱいで昨晩の地震などが話題になっている。目の前の三婆の話には飽きない。話題に社会性があり、意識が的確である。

例えば、老女Aがスマート・フォンからガラケイに戻したという話を始めた。使いこなせないのに料金が高いと理由を語っている。2台持っていたらしく、月に二万円強を支払っていたらしい。これに老女Bが「ガラケイはすぐに無くなるし、新しいことについていかないと」とスマホを示しながら話す。老女Aは高齢者でスマホが使えない人は多いはずだ、ガラケイを無くしたら連絡の手段が無くなる老人が出ると立場を強調する。

飼い馴らす携帯電話露の夜(鈴木明)

老女Bは補強として友だちの老女Dのエピソードを語る。老女Dは暗証番号が覚えられずATMが使えなくなり窓口でお金を出し入れしてきたが、ハンコもカードも娘に押さえられてしまいお金のことが儘ならなくなってしまった。少しでも呆けたと思われたらお金を押さえられちゃうわよ!と、老女Aに忠告していた。

老女Cは黙って二人の話を頷きながら聞いている。老女の個性もそれぞれだ。

ふと忘る暗証番号夏の果(青木繁)

そうこうしているうちに細君の接種も終った。一回目よりは痛かったと言っているが、それが普通のようだ。私と同程度の副作用なら多分明日、明後日と怠さを感じるだろうが、熱は出まい。

帰路、空を見ると美しい鰯雲だ!

鰯雲空にある日の安堵かな(岡川義輝)

夕方散歩。曳舟川から連光寺前、亀中前、新道横断、二丁目の裏通り、リハビリ病院、生協、マルミヤと歩いた。短パンにTシャツでも暑いくらいの気温だ!

本日は午前・午後で四千五百歩で階段は2回でした。

願い事-知らぬ間に叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

今日の句も好きな句です。どんな終りになるのだろうか?昨晩地震があったが即死なら不慮の事故死でも別に構わないし、大規模小規模を問わず無差別殺人で殺されても構わない。その場合、どちらも即死であって欲しい。即死なら歓迎のwelcomeである。

封じ手は黒に任せて秋扇(星野光二)

「私が〈がん〉に罹ったら - 近藤誠」

「私が〈がん〉に罹ったら - 近藤誠」

*がんで死ぬのもそう悪くない

がんは国民死亡原因の第一位を占め、三人に一人ががんで亡くなっています。治る場合もあるのですから、がんにかかる人はもっと多く、国民の二人に一人程度が、人生いずれかの時点でがんと診断されるはずです。したがってわたしも、がんを発見され、がんで亡くなる可能性がそうとう高い。しかし、これまで多くの患者さんをみとってきた経験から、がんで死ぬのもそう悪くない、別の病気で亡くなるより好ましいのでは、と思っています。
なぜならばたとえは、ぼけて周囲に迷惑をかけつつ長生きするよりずっとましでしょう。死亡原因第二位の心疾患はどうかというと、心筋梗塞でぽっくり死ぬとは限らず、かりに生き延びたら、薬を飲め、食事に気をつけろ、アルコールはどうこうなどと担当医や家族にやかましくいわれるのもうっとうしい。それでいて、いいつけを守っても再発率・死亡率が高いのです。第三位の脳血管疾患にしても、あっさりは死ねずに麻痺が残ってしまった場合、日常生活は苦痛と悲惨にみちるでしょう。
それに比べがんならば、おおむね死の直前まで、ふつうに近い活動能力を維持できます。が、それには、対処法を間違えさえしなければ、という条件がつきます。これまで巷間伝えられてきた悲惨な闘病物語りのほとんどは、初回治療から臨終までのどこかで対処を間違った結果であるはずだからです。そこでここでは、わたしが予定している、がんへの対処法を紹介します。

 

*本当の病名を知る

がんにきちんと対処しようと思っていても、日本ではしょっぱなから壁にぶつかりがちです。本当のことを教えない医者がまだまだ多いので、自分の担当となった医者が病名をきちんと知らせてくれるかどうかが問題なのです。
患者本人が本当の病名を知らないと、困ったことが次々生じます。まず第一に、どの臓器のどの進行度のがんでも、たいてい複数の治療法がありますが、病名を知らなければ担当医と相談しながら選ぶことができません。自然、医者のいいなりになるか、家族が選ぶことになり、本人には不満がたまります。そしてがん治療には副作用や後遺症がつきもので、それらが生じれば不満は増幅し、医者や家族を恨む結果にもなります。
また再発や転移をみたときには、その事実はさらに告げにくくなるわけで、苦痛をとる治療の開始が遅れたり、不十分になりがちです。そのうえ、人生の最後をどう過ごすか、という問題にも影響します。後述する在宅医療やホスピスが好ましいとしても、本人ががんや再発の事実を知らなければ、そのメリットを享受することはかなり困難なのです。そしてなによりも、隠しごとをしているため後ろめたい気持ちになっている家族や友人と心が通いにくくなり、孤独地獄とでもいうべき状況におちいってしまうのが辛い。
そこでわたしの担当医がどう振舞うかを想像してみると、もし患者に真実を教えないのがその医者の流儀でも、わたしががんの専門医である点を重視して、本当のことを知らせてくれる可能性が高い。が、確実にそうするという保証はなく、最悪の場合、わたしがこれまで手術や抗がん剤などの問題点を指摘してきたことを不快に思い、少し困らせてやろうと嘘をつかれてしまう可能性もあります。
まあそれは冗談ですが、担当医から「がん」といわれれば素直にうけとれても、「良性だが手術が必要」といわれたら、疑念は大きくふくらみます。それで多分わたしは担当医に、カルテをみせろ、組織検査の報告書をみせろ、と迫ることになるでしょう。が、それはいささか見苦しい。それに、もし担当医が本気で隠し通そうとしたら、別の虚偽のカルテを作っておくことも可能なので、みせられたカルテが本物かどうか、疑いはいつまでも晴れません。それゆえ、がんかなと思ったら、誰にでも本当のことを知らせているという評判の病院や医者を探して、そこで検査をうけることになるでしょう。-医者のわたしにしてこうなのですから、一般の方がたの疑念はさらに深くなるはずで、こんな余分な気苦労をしなくてすむよう、誰にでも本当の病名を知らせることを世の常識にいたしましょう。

 

*医者はなぜ本当の病名を知らせてこなかったのか

医者が本当のことを知らせてこなかった一番の理由は、患者が不安になる、人生に絶望して自殺するかもしれない、ということでした。しかし数千人に病名を知らせてきたわたしの経験からすると、それはむしろ逆です。真実を隠されているとうすうす感づきながら治療をうける患者さんの不安は、本当のことを知った場合よりも大きいし、がんと知って自殺した人もみたことがありません。しかし逆に、病名を隠され孤独地獄におちいって自殺する方はいくらでもおります。
本当の病名を隠そうとする医者や家族は多分、余命の具体的長さまで告げなければならなくなる、と思いこんでおられるのではないか。しかしそれは誤解で、病名は知らせても、余命を知らせる必要はありません。また、患者さんのほうから聞いてくることもじつは少ないのです。治療法の選択は比較の問題ですから、余命を知らなくとも比較・選択は可能です。そして余命の判断は当てにならず、たとえ全身に転移があっても寝たきりでなければ、どんな名医も余命を月の単位で予測することは不可能です。したがって担当医が自信ありげに「余命は半年」と語るとすれば、その医者は神仏に近いか出鱈目な人間であるかのどちらかです。
余命を知らせなくてよいといっても、患者のほうから尋ねてくる場合には、希望を奪わないようにしつつ、きちんと説明する必要があります。わたしは自分の患者にはたとえば、「再発ですが、それだけ元気なのだから、すぐに亡くなることはありません」「ただ六か月くらいたつと、亡くなる方もでるはずです」「そして月日の経過とともに亡くなる人が増えていきますが、ある日突然全員が亡くなる、ということはありません」「五年、十年と生存する方も少なくないので、そちらに入るよう努めましょう」などと伝えるようにしています。

 

*治療法は自分で考え自分で決める

さて、わたしががんと告げられた場合を想像してみると、おそらく「いよいよ来たか」という心境になるでしょう。がんには老化現象という側面があるのだし、前述の発生頻度からしても、自分ががんにかからないですむと思うのはいささか能天気であるからです。そしてどこかで、いつ死んでもいいや、という気持ちがあるので、いざそのときがきても、あまりじたばたしないですむのではないか(実際には泣いたりわめいたりするかもしれませんので、その場合にはお許しを)。
ただ、痛いのや苦しいのはぞっとしません。また、いつ死んでもいいといっても、必要のないのに死ぬことは願わない。それゆえ、苦痛なく人生をつづけられるなら、そちらの道を選ぶことでしょう。
苦痛なく生きていくためには、治療法の選択がポイントになります。前述したように、どの臓器のどのような進行度のがんも、可能な治療法がたいてい複数存在するのですが、選択を過つと治療死したり、副作用や後遺症で苦しんだりすることが多いからです。そこでわたしは、たとえ自分が医者でなくても、治療法は自分で考えて決めるつもりです。なぜならば医者任せにすると、彼や彼女の専門とする方法に固執して別の治療法をかえりみなかったり、これもやろうあれもやろうとなって患者の負担が増える、という通弊があるからです。もちろん、それで生存期間がのび、治る率があがればいいのですが、たいていはそうならず、治療死や副作用・後遺症が増えるだけの結果に終ります。
これに対し決断するのが患者本人であれば、各治療法のメリットばかりでなく、デメリットのほうにも目がいきますから、おおむねバランスがとれた選択ができるはずです。現にわたしの外来には胃がんや肺がん、あるいは悪性リンパ腫といったように、さまざまな患者さんがセカンド・オピニオン(第二の意見)を聞きに来られるのですが、そのほとんどのケースで、患者本人のほうが各自の担当医より思慮が深く、妥当な結論に達しているように感じられます。
ところでわたしが医者であるため、治療法に関して「自分ならこうする」と語ると、かなり影響が大きいでしょう。その懸念と、患者自らが考えて選んだ治療法でないと、あとで後悔する可能性が高いので、診察室では「わたしならこうする」と語るのを極力避けてきました。しかしこれは本のなかでのことですから、興味ある読み物として、あるいは将来役にたつかもしれない選択肢の一つとして読んでいただければ

と思います。

 

*治療法を選択するためのわたしの視点

さて、治療法を選択するためには、判断する姿勢や視点といったものが必要で、それがなければ場当たり的になります。そこでわたしの姿勢や視点をあげてみると、
・がん細胞といえども、自分のからだの一部である。それゆえ必ずしも敵対視せず、共生する道がないかどうか考えてみる。
・がんの成長は世間で思われているほど急速ではなく、意外とゆっくり。早期がんも進行がんも、その大きさになるまでに、五年や十年はかかっている。それゆえ、治るか治らないかという運命は、診断される以前におおかた決まっているだろう。診断されてからの一か月や二か月程度のうちに、現在もっている運命が変わるとは考えにくいから、あせるのはやめる。それよりも腰をすえて、治療をうけるのが得か損か、うけるとしてどの治療法にするか、じっくりみきわめよう。
・がんで死ぬのは自然だけれども、治療で死ぬのは不条理。副作用や後遺症のない治療法は存在しないから、治療をうける場合のデメリットもよく考える。
・成人期以降のがんは、老化現象の一側面である。老化現象であれば、副作用や後遺症なくがんを克服することが困難なのは当然。
・がんが治るのであれば、すすんで治療もうけよう。ただし確実に治るという方法はないから、治る率と、治療死や副作用などの程度・頻度と比較考量する。
・治療は、うけたメリットが患者本人に実感できなければならない。したがって、苦痛の軽減する方法は、本物と評価できる。
・治療がある程度苦しくても、治療後に楽になることが確実なら、治療期間中と直後の時期は我慢しよう。
・治療前より日常生活が苦しくなり、それが一生つづくのなら、本当の意味での治療ではない。この点手術で臓器を摘出したら、ふつう手術前より苦しくなる(少数の例外あり)。したがって摘出手術の多くは、治療として失格。また副作用が強い抗がん剤治療も、ずっとつづけなければならないとすれば失格。
・大部分のがんにおいて、治癒ではなく延命を目標とせざるをえない。が、個々人の本来の寿命がわからないから、治療によって延命したかどうかは誰にもわからない。あるかないかわからない延命効果を重視して、それをもたらすという治療法に賭けると、人生がめちゃくちゃになる恐れもある。
・それゆえ発想法を転換し、日々の生活能力を大事にする。日常を楽にすごすことができる治療法なら、結果的に延命できる可能性も高いだろう。
・複数の選択肢があって、どちらがよいか判断に苦しむときは、現状を維持する方向で考える。たとえば手術と、臓器を残す治療法がある場合には、後者を選ぶ。
などとなります。
問題は具体的な対処法ですが、各臓器のがんについて語るのは、紙幅の関係で不可能です。詳しく知りたい方は、『ぼくがすすめるがん治療』(文藝春秋)や『安心できるがん治療法』(講談社+文庫)などを参照してください。ここでは、日本人の場合の代表的ながんである胃がんについて、わたしの対処法を示します。

 

*具体的な対処法①-早期がんの場合

胃がんも他臓器のがんと同じく、「早期がん」、「進行がん」、臓器への転移を伴う「転移がん」の三段階に分かれます。
早期がんの場合にはわたしは、治療をうけずに様子をみることに決めています。早期がんのほとんどは「がんもどき」であるはずだからです。つまり市町村のがん検診、職場健診、人間ドックなどで発見されている、いろいろな臓器の早期がんのほとんどは、治療しないで放置しておいても命に別状がないようなのです。少なくとも、それらを治療すると寿命がのびるとか、メリットがあるということは立証されていません。それが早期胃がんの場合に様子をみるという大きな理由です(がんもどきやがん検診については、『患者よ、がんと闘うな』文春文庫、などを参照してください)。
さて様子をみた結果、大きくなっていくことがわかった場合、内視鏡で病変を簡単に切除できるなら、内視鏡的切除をうけるでしょう。これに対し病変がかなり大きくて、病変を取り除くためには胃の部分切除ないし全摘をしなければならない場合には、切除をせずに様子をみます。お腹を開けること自体ぞっとしないし、胃を全部ならもちろん部分切除でも、食事に不自由したり、げっそりやせたりして、手術前とはうって変わった状態になってしまうからです。

 

*具体的な対処法②-進行がんの場合

次に、発見されたのが進行がんだとすると、がんが胃の出口を塞いで食事が通らない、などの症状がある場合と、胃がんに由来する症状がない場合とに分かれます。前者では、胃を切除して食事ができるようにすることには意味がありそうです。しかし、胃切除にともなう合併症や後遺症の危険もあるわけですし、そのために死んでしまう可能性もあります(いわゆる手術死)。これに対し以前、手術ができない時代には、胃がんで死亡する人の数は今よりずっと多かったのですが、大部分は比較的穏やかに死んでいかれたようです。(『患者よ、がんと闘うな』参照)。
症状がある場合に実際どうするかは、症状の出方や強さに照らして、そのときの心境のなかで決めていくわけですから、今から胃切除手術をうけるか否か断言はできません。ただし、胃と腸をとつないでわき道をつける手術(バイパス手術)ですむなら、手術をうけてもよいのではないかと考えています。あるいはそれもしないで、少量の放射線を照射して症状の改善をはかる可能性もあります。
これに対し進行がんでも、胃がんに由来する症状がない場合には、手術をうけないことに決めています。胃袋を部分的にしろ切除されたら、その瞬間から体調が悪化することが一番の理由です。わたしの外来には、進行がんでも様子をみている患者さんが数人おられますが、胃がんが進行して症状がでてくるまでには相当な年数が必要で、その間ふつうの日常生活を送っておられます。そしてもし症状がでてきた場合には、その段階で対処法を相談するようにしています。
誤解がないように付け加えると、がんの手術がすべて不要というのではありません。がんの手術のなかには、必要なものや、うけると苦痛がとれるものもあります。たとえば大腸がんで大腸が閉塞して苦しくなったら、わたしは病変部の切除手術をうけるでしょう。大腸は長いので、一部を切除しても日常生活が苦しくならないからです。これに対し胃袋の場合は、その形態や機能の特質ゆえ、部分切除(たいてい三分の二ほど切除する)でも相当苦しくなってしまうわけです。

 

*具体的な対処法③-転移がんの場合

つぎに転移がんですが、胃がんが転移していることが判明するのには数通りあり、手術してみたら腹膜や肝臓などに転移があったという場合が一つです。第二は、手術後に転移が顕現してくる場合です。このどちらも、肺がん、食道がんなどからの臓器転移と同じく、治癒不能のサインです。世の中には、臓器転移の存在を知っても胃切除をくわだてる外科医が多々いるのですが、医者の自己満足以外の意味はないでしょう。わたしとしては、転移の存在がはっきりしている場合は、胃の切除手術はもちろんうけませんが、検討すべきは抗がん剤治療をどうするか、です。
転移した胃がんは、抗がん剤では治らないので、延命を目的とせざろう得ません。が、はたして延命効果が得られるか。この点欧米で、くじ引き試験がいくつかおこなわれています。転移性の胃がん患者をおおぜい集め、くじを引くようにして二群に分け、片方には抗がん剤を使用し、他方は使わず様子をみて生存期間を比べる試験です。その結果、抗がん剤治療により数か月の延命効果を得ることができる、とされています。しかし、実情に詳しい人の弁によると、それらくじ引き試験では、非抗がん剤群のほうの治療にかなり手抜きがあるとのことで、延命効果があるとの推論を素直にうけとると危険です。
またかりに、数か月の延命効果が本当に得られるとしても、抗がん剤治療は一般に数か月つづくので、副作用で苦しむ期間分だけ延命する、という結果になってしまいます。そして前述のように、本来の寿命つまり何もしない場合の余命期間が不明ですから、本人を含め誰も、延命効果が得られたかどうか知ることができずに終わります。したがって本人としては、こんなに苦しいのだから延命しているはずだ、と思いこむしかないわけですが、それでは点滴を繰り返しうけて副作用をこうむる代償として十分なものではありません。わたしは、医者の指図をうけずに自由に暮らしていたいこともあり、抗がん剤治療はうけないことに決めています。
念のため述べておくと、抗がん剤治療の意味は、がんの種類によって異なります。大部分のがんでは胃がんと同じく、せいぜい延命効果しかないのですが、治る(可能性がある)ものもあります。急性白血病悪性リンパ腫、睾丸腫瘍、子宮の絨毛がん、子どものがん、がそれです。ただわたしは男性ですから、子宮がんの可能性はなく、子どものがんにもかかりようがない。そして子どもならよく治る急性白血病も、わたしの年齢になるとまず治らないので、副作用が甚大な抗がん剤治療をうける気にはなりません。したがって、わたしが治療や延命を目指して抗がん剤治療をうける確率は、百に一つ程度しかないことになります(ただし、放射線治療の効果を増強するために用いる抗がん剤は別の議論になる)。

 

*死ぬための場所をどう考えるか

さてどんながんでも、進行してきたら、あるいは転移が顕現したら、死ぬための場合を考える必要があります。その場合これまでは、今まで治療をうけていた病院の病棟に入ることが圧倒的多数でした。が、それは問題が少なくない。というのも一つには、医者が手術や抗がん剤を信奉していると、亡くなる寸前まで積極的に治療しようとするからです。わたしの担当になる医者も、そういう性癖を有している可能性があるので、一般病棟に入るのは二の足を踏みます。
またかりに担当医の、終末期医療に関する識見がすぐれていたとしても、一般病棟では看護婦の数が決定的に不足しています。したがって、そこそこのケアではあっても、十分満足がいくケアをうけられるかは疑問です。そして一般病棟には、終末期の患者ばかりでなく、急性疾患の患者や術後の人もおおぜいいます。その場合、医者も看護婦も、治る可能性がある患者の治療や処置を優先しがちになりますから、わたしは寂しい思いをすることが多くなるでしょう。また急性疾患や術後の患者が笑顔で退院していくのをみるのも、覚悟をしているとはいえ辛いものです。
そこでわたしは、同類の方がたばかりがいるホスピスに入所することを考えてみることになる。ホスピスは別名、緩和ケア病棟といいますが、病院とは別の建物になっているものと、病院のワンフロアをそれに当てているものとがあります。部屋の広さや施設が一定の基準をみたすと、緩和ケア病棟として認可されます。患者一人あたりの看護婦の数が多く、部屋もゆったりしているので、一般病棟に比べると別天地です。ホスピスにつとめる医者の考えや方針も、わたしのそれに近いでしょうから、その面でもストレスが少ないはずです(例外もあって、抗がん剤治療を好むホスピス医もいますから、油断めさるな)。
ただすぐれたホスピスはふつう、入所待ちの患者が多いという欠点があります。それゆえ、ぎりぎりまで家で粘って、いざというときさっと入る、ということはできそうにない。部屋が空いたという連絡がきたら、自分ではまだ必要ないとおもっても入所しなければならないのは考えものです。またいくらすぐれていているホスピスでも、入所すると、いろいろな規則を守らねばならず、医者や看護婦の顔色を多少ともうかがうことになるはずです。そうだとすると、気ままに生きてきた者にとっては堅苦しい

 

*自宅で死を迎えるための条件

結論をいうと、可能であれば家で死ぬのが一番だと思っております。広い家である必要はなく、マンションやアパートの一室でも臨終を迎えることは可能です。ただし自宅で亡くなるのを現実のものとするためには、いくつかの条件があります。その一つは、誰か夜中も面倒をみてくれる人が最低一人、できれば交代をみこんで二人程度確保できるかどうかです。
別の条件は、近所に在宅医療をおこなっている医者がいるかどうかです。なるべく医者を遠ざけて過ごしたくても、亡くなる前に最低でも一、二週間程度は、医者の往診が必要になるからです(長ければ数か月)。いいかえるとがんの場合、その程度ですむともいえます。苦痛さえとることができれば、わりあい最後まで動き回れ、寝つく期間が短いことが多いからです。医者や看護婦が訪ねてきてくれる在宅医療サービスが近年充実しつつありますが、まだ地域差が大きいので、受けられる場合と受けられない場合あるでしょう。
残る問題の一つは、がんによる痛みや、呼吸困難などの苦しみがでた場合にどうするか、です。まず痛みに関しては、モルヒネを十分に使うなどの対処法がほぼ確立しており、一〇〇%近くの患者さんで痛みを消失させるか、軽減することができます。
ただし、対処法が確立しているということと、それが受けられるかどうかは別問題で、モルヒネの使用量からみても、日本では普及がまだまだ遅れています。病院の一般病棟に、対処法に通じた医者がいるかは疑わしく、十分に除痛してもらえない場合めあるでしょう。また、本人にがんと知らせていない場合には、モルヒネを処方したら本当のことがわかってしまうではないか、となる可能性もあります(その意味でも、患者本人が病名や病状を知っている必要がある)。
とにかくわたしは医者ですし対処法を知っていますから、疼痛についてはあまり心配していませんが、肺転移による呼吸困難や、腹水がたまってお腹がパンパンになるような場合は問題です。これらについても、症状を軽減できる方法は存在します。が、いろいろやってみた結果、どうしても症状が軽減しないときがあるのです。その場合には、寿命が短くなることを覚悟しないと、楽になれません。たとえば呼吸困難に対しては、睡眠薬を点滴して意識レベルを下げてしまう(つまり眠らせる)。すると呼吸苦は感じなくなりますが、周囲と会話することができなくなり、体内に炭酸ガスが蓄積しやすくなるので、多少なりと寿命が短縮します。(念のためにいうと、痛みをとる場合には、モルヒネを使っても寿命は短縮しない。楽になるので、むしろ延命につながるはず)。
腹水も、なにをやっても増える一方でたいへん辛い、という状況におちいることがあります。それを楽にしようとすると、お腹にチューブを刺して腹水を抜くしかありません。そうして数リットルも抜けばいったん楽になるのですが、すぐに再びたまってきてパンパンになり、また抜くことを強いられます。腹水にはタンパク質がたっぷり入っており、数リットルずつ抜いていると身体は栄養失調になっていき、結局寿命を縮めるわけです。
そういう問題はあっても、それらの処置を希望される患者さんが多いことも事実です。わたしの経験では、寿命短縮の可能性まで説明しても、呼吸困難の場合にはほぼ全員が、腹水の場合には数割が、楽になることを希望されます(腹水のほうがまだ我慢できる、ということなのでしょう)。わたしはどうかというと、かりにそういう状況に直面したら、どちらの場合も楽になる方法を希望します。
このようにして医学的な意味では、あらゆる苦痛は除去ないし軽減できます。しかし、精神的な苦痛はどうか。生きることや、がん治療をうけつづけることに倦むという以上に、精神的な苦痛を感じるようになったときにどうしたらよいのか。医学や医療は答えをもちません。ひとつ理論的に考えられるのは、医者に頼んでいわゆる安楽死をおこなってもらうことですが、現在日本では認められておらず、患者が希望してもどうにもなりません。
別の解決策は自殺です。これはわたしには、たいへん魅力的にみえるのですが、そのときになって自殺するだけの気力があるかどうかが問題です(その意味で、実際に自決された三島由紀夫氏や江藤淳氏の気力はすごい)。結局わたしは、がんの終末期においては、はやく死にたいけれども自殺するほどの勇気もなく、うじうじとして最期を迎えることになりそうです。やれやれ。

 

(巻三十一)熟柿皆承知年貢の納め時(高澤良一)

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(巻三十一)熟柿皆承知年貢の納め時(高澤良一)

10月7日木曜日

年金関係の通知のミスがあったらしく、ニュースで報道されたらしい。そのことが今朝の細君の話題であった。続いて“いわい・ゆうき”と云う漫才師のエッセイ集がラジオ番組の中で紹介されたらしく、そのことが話題になった。

少しは反応を示して置こうと、細君の外出中に図書館サイトで検索すると『僕の人生には事件が起きない-岩井勇気』という作品が出てきた。この方のことだろうと予約すると、何と!82人待ちとのことだ。この図書は何と!区内4つの図書館に配本されているとのことだが、それでも読めるのは半年先かその先になろう。生きていればのことだ。

人生は誤植か秋の数ページ(伊藤五六歩)

午後の散歩は柿の木がある高校コースにした。熟してはいないが、赤く色付いた柿がたくさん生っていました(一撮)。

本日は三千四百歩で階段は2回でした。

10時半過ぎに震度4に揺すられた。

願い事-知らぬ間に叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

「「人は死ねば死にっきり」という仏教的ニヒリズム - 小浜逸郎」癒しとしての死の哲学 から

を読んだり、楽天AVのサンプルを観たり、BBCのMoney Boxから録り貯めのLive how to retire earlyを聴いたりして一日を過ごした。

《 なぜならば、実際人々は、ことさらこの世のすべてが不浄に満ちたものだなどと考える必要性を感ずることなく、幸と不幸、安らかさと不安の間を往復しつつ、そこそこ平気な顔をして生きていることが圧倒的に多いからである。》

と文中にあるが、そういうことだ。不安が涌くとポルノを見る時間が増える。

本棚のどこかに悪書大西日(寺井谷子)

(巻三十一)学友の頃なる夫の書を曝す(山田弘子)

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(巻三十一)学友の頃なる夫の書を曝す(山田弘子)

10月6日水曜日

昨晩はFM葛飾の鉄ちゃん番組「きしゃぽっぽ」を

聴きながら就寝。テーマは京阪のダイヤ変更とのこと。関西の鉄道、殊に私鉄については全く土地勘がなく寝屋川だとか枚方だとか言われてもピンと来ない。中之島線がどの辺りを走るのか?京橋、淀屋橋とはどのようなところかもイメージ出来ない。出町柳駅って一面二線だと言ってましたが京都のどの辺りなんだろう。

待春や私鉄の線路錯綜す(植松紫魚)

BBCの先週の番組中に塾聴したくなるものがなく、録り貯めのなかかから、Foodchain2017The Art of Fermentationを聞き返した。発酵食品、特に漬物の話であります。1128chance conversationと言う表現を知りました。

白菜を旨しと思ふ無位無冠(山尾かずひろ)

とにかく、耳目から入るものは刺激のないものがよろしい。

手仕事の友としこころ遊ばせる

耳にやさしいラジオの音声(松本知子)

夕方散歩。昼間は気温が上がったが、夕方は涼しい。日の暮れるのも早くなってきた。図書館で4冊返却し、館内をブラブラしてみた。繁盛している。本日は二千七百歩で階段は2回でした。

願い事-知らぬ間に叶えてください。ラジオ番組に限らず何事でも刺激のないことが一番だ。修行してこちらが刺激を感じなくなってしまえばよいのだ。生きているのか死んでいるのか分からないというところまで修行できれば完璧だが未熟練者だから無理だ。呆けても効果は同じだろうが迷惑をかける。やはりさっさと叶えていただくに越したことはない。静かに叶えてください。

捨案山子安堵の顔をしてゐたり(山本けんえい)

(巻三十一)洋梨の疵を向こうに向けて置く(池田澄子)

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(巻三十一)洋梨の疵を向こうに向けて置く(池田澄子)

10月5日火曜日

昨日の投稿で連続投稿1800日だそうだ。5年弱だな。

区の方から頂いたインフルエンザ予防接種の割引券を持ってリハビリ病院へ行った。午後の3時過ぎだし空いているだろうと楽観的に思っていたが、少し待つことになった。20分待って問診を受けて、処置室で注射。コロナのワクチンよりは痛い。待機室で15分様子を見てから会計へ行き割引である2500円をお支払いした。小一時間かかったが駅前に行くよりは遥かに近短である。血圧もこちらで診て頂こうかと相談してみたら、どうぞとのことだ。

帰りに生協に寄り、胡麻煎餅、バターピー、黄桜パックを買う。このくらいしか思いつかないのだ。贅沢なものはいらない。

本日は二千百歩で階段は3回でした。

願い事-静かに叶えてください。

行秋の波の終焉砂が吸ふ(伊藤白潮)

*この句も大好きです。

細君が買い物に出かけて、とある9?歳になる爺から元気で長生きの自慢を聞かされて戻ってきて、そんなことは聞きたくもない私に話してくる。“静かに叶えてください”なのだ。