(巻三十四) 離着陸はげしき中に蝶もつれ(檜紀代)

(巻三十四) 離着陸はげしき中に蝶もつれ(檜紀代)

9月28日水曜日

本日は秋晴れ。

細君が生協に行き、ついでに前の花屋さんで「ポンポン菊」と「カボチャ」を買ったところおまけに「シンフォリカルポス」をくれたそうだ。そのシンフォリの名前が覚えられずジダバタしていたらメモにして渡してくれた由。

私も細君と交代で細君が買い残した米などやや重いものを買いに出かけた。

妻と買ふ妻にキヤベツの重ければ(仲村青彦)

二人で行けばよいようなものだが、家を留守にするのは物騒だと彼奴が主張し、どちらかが在宅することにしている。

防犯について云えば、ここは団地で皆さま鉄扉を閉じて自分の世界に籠っているので両隣りの顔もよく分からないが、昼間廊下を歩き、エレベータに乗りエントランスまで行く間に誰かに会う。それはゴミを出しに行く住人だったり、お掃除の人だったり、空き家になった部屋の内装工事屋さんだったり、宅配さんだったり、幼稚園、介護施設の送り迎えの人だったりするが、だれか人の眼はある。盗人は顔を見られることを嫌うらしいから、そういう点では昼間でもあまり仕事がやり易い環境ではなかろう。

こちらに来て5年過ぎたが泥棒騒ぎは聞いたことがない。前に戸建てにいたときは隣りの夜でも洗濯物出しっぱなしのバカ女の家がやられた。

BBC CrowdScience からWhy don't somethings burn?を聴いた。

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct3j7f

大体のところは解るが、1300辺りから頻出する「メタル・ゴウズ」が判らず、苛々し、文献に頼った。

“mine safety lamp”で検索したら、

“Humphry Davy's miners' safety lamp

https://www.rigb.org/explore-science/explore/collection/humphry-davys-miners-safety-lamp

の中に“wire gauze”が出てきた。「ゴウズ」は日本発音の「ガーゼ」のことかと自らに失笑。

ついでにガーゼの俳句を探したら、

三寒の喉のガーゼを替へにけり(櫻井博道)

というのがあった。書き留めず。

その流れで、顔本の俳句グループ、Japanese

English Haikuをスクロールしていたら、

Amazing lovers

Fall head over heels in love;

Grasshoppers in tune

Dabacrata Mohanty

と云うのがあって、調べたら“be head over heels in love with”で首ったけとか血道をあげるという意味だそうだ。

片耳は蟋蟀に貸す枕かな(三笑亭可楽)

昼飯喰って、昼寝して、散歩。

都住3でフジちゃんに呼び止められてスナックをあげていると、サンちゃんが階段を降りてきた。サンちゃんは丁度食事が終ったところらしくスナックは欲しがらないが、挨拶に来てくれたようだ。撫でて掻いてやる。

そこから白鳥ファミマへ回りアイス・珈琲を喫し、葛飾野高校の裏手を歩き、野球部のブルペンを覗く。バッテリーが3組。ミットの音がよろしい。

帰宅してアイロン掛け。

願い事-涅槃寂滅。

長生きもそこそこでよし捨扇(副島いみ子)

そこそこ、ソコソコ、になってきたな。

そう言えば大転びしてから7ヶ月たった。あの時大怪我していたら今どうなっていたやら?

大音に落ちたる梨の怪我もなし(平畑静塔)

(巻三十四) さみだれや船がおくるる電話など(中村汀女)

(巻三十四) さみだれや船がおくるる電話など(中村汀女)

9月27日火曜日

TEDから今週の推奨番組のお知らせが届いた。朝っぱらからではあったが、その中からPsychology of narcissismという5分ほどの番組を見てみた。

https://www.ted.com/talks/w_keith_campbell_the_psychology_of_narcissism?user_email_address=c524f1717fc75111282c5b762dff654f

番組によれば、心理学的にはnarcissismは自己愛と云うよりは自己肥大ということらしい。narcissismにはgrandioseとvulnerableの二種類があるとのことだが、言ってみれば“自己中”のことのようで精神障害として認識されているらしい。主に男性に見られ2%くらいの割合だそうだ。この性格形成には遺伝的な影響と後天的な影響と両方あると云っている。中に元大統領らしきイラストが挿しこまれているが、あれがナルシストか!と理解した次第だ。

続いて顔本を読むと“顧問業斡旋”の広告に引っ掛かった初老の旦那方のボヤキと怒りが目に入った。“あなたの力をお借りしたい。”などと爺のナルシズムに付け込んだ登録料詐取の手口だそうだ。

老人はとしよりやすし小鳥来る(橋本栄治)

私の場合はこの詐欺まがいが騙っているような顧問をさせて戴いていてありがたきことこの上無し。

家事は洗濯と毛布干し。

昼飯喰って、昼寝して、散歩。

先ず郵便局に寄って扶養親族申告書をを発送した。84円。猫さんへの手土産を忘れたので生協に寄り一袋だけ買う。そこから都住3へ向かい1号棟でクロに挨拶。そこから自転車置場を通るとフジちゃんに声を掛けられた。藤棚まで行ってフジちゃんにスナックをあげているところにサンちゃんが入口の方から小走りにやってきた。2匹とも腹が減っているらしくよく食べるので一匹あたり10粒あげた。フジちゃんは触らせないが、サンちゃんは首や喉を掻いてあげるとうっとり顔になる。そこから都住2に廻ってみたが、パトロン婆さんが戻ったので猫さんたちも家猫に戻ったのだろうか、不在。

顧問業のお手当ての振り込み通知を頂いた。いつもそれをcueに床屋へ行くので床屋の前を通ってみたが二人待ちなのでpassした。床屋の先にあるファミマに入りアイス珈琲のSを喫する。百円珈琲が110円珈琲に値上がりしていた。

写真は昨日歩いた立石の商店街だ。蔵書の中で立石の名が出てくる作品には五木寛之の回想随筆がある。

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2019/11/30/072320

その雰囲気を遺していた怪しげな飲み屋の裏路地も区役所新庁舎建設で消える。青線跡に区役所と言うのもこの街らしくて一興か。“呑んべ横丁”の一撮は四、五年前のもの。

さし招く団扇の情にしたがひぬ(後藤夜半)

願い事-涅槃寂滅。

菊白し安らかな死は長寿のみ(飯田龍太)

だそうだけれど、早くてもそこのところをなんとかお願いしますよ。

(巻三十四) 酔浅くまだ行儀よし秋扇(中村伸郎)

(巻三十四) 酔浅くまだ行儀よし秋扇(中村伸郎)

9月26日月曜日

血圧計の電池を交換した。今朝の数値は116-80。前回の交換が7月18日だから2ヶ月もつのか。

箪笥の衣類を竿に掛けて風を通す。この季節いつもの事だが礼服にクリーニング出すほどではないが黴が生える。冠婚葬祭蒙御免だし、世間との繋がりもないから礼服など着ることはないはずだが、まだ廃棄せずにいて場所を取っている。スーツはない。替え上着3着でズボンはチノパン。これでたま~に出て行く会社も済ませている。

昼飯喰って、昼寝はせずに2割3割の判定について区役所の国保課に教示を受けに行った。ご担当は親切に教えてくれたが、課税標準の算定にについては税務課へということでそちらへ。税務の若い頭の良さそうなねえちゃんはなかなかの切れ者であの役所にはいないタイプだ。電卓を私の方に向けて反対側から数字を打ち込みテキパキとご説明頂いた。要は基礎控除などで145万円という臍価格に20万円ほどhead roomがあることが判った。細君の扶養控除がなくなると3割になるなあ。大事にしよう。

帰りは立石駅まで歩いてみたが、入りたくなる飲み屋はなく、おとなしく帰宅した。

The Food Chain のOnline food fighterを聴いている。SNSに掲載される食品関係の記事の中の誤まった宣伝や誘導に反論をぶつけていくというファイター二人へのインタビューだ。

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct1rh0

聴いていて、今更ながらではあるが、2000年代、2010年代をそれぞれどのように云うのかを知った。80s、90sはそのままだが00sと10sを知らなかった。00sはnoughtiesと云い、10sはtwenty-tensと云うとのことだ。 “Ignorance is a lifelong shame.”

願い事-涅槃寂滅。知らないうちに死んでいたい。ウディ・アレンの云う通りだ。

(巻三十四) 淡雪やBARと稲荷と同じ路地(安住敦)

(巻三十四) 淡雪やBARと稲荷と同じ路地(安住敦)

9月25日日曜日

台風が去って快晴。洗濯をして、毛布を干して、布団も干す。ドラッグストアに買い物に行き、花屋の前を通ると仏花の花盛り。彼岸は明日までだそうだ。稼ぎ時の金曜日、土曜日を嵐に邪魔された花屋さんとしては今日に賭けているのだろう。しかし花の命は短いようで、値下の桶も置かれていた。

昼飯喰って、昼寝して、散歩。

昨日予約した角川俳句9月号が届いているとの連絡が入っていたので図書館に向かう。図書館から曳舟川を上り、さと村の角を曲がる。日曜日の午後のさと村にはもう随分と客が入っていた。そこから新道を渡り、銀座を歩き、仲町アーケイドの活々水産を目指す。店はそこそこ混んでいたがお一人さまでも座れる余地はあった。影虎でお通し刺身、宮城の酒と真鯛で2700円。安いのか高いのか?日曜日を避けて北口の第八たから丸の方が結果的によいのかもしれないな。

帰りも歩いて都住3に立ち寄るとヘルメットを被った猫婆さんがサンちゃんに食事を与えていた。婆さんはバイクに股がりこれからお仕事だとか。

帰宅して、二合呑んだヨレヨレの頭で角川俳句9月号を捲ると巻頭に「梅雨鴉」と題する高野ムツオ氏の五十句。第一句が

映像の癌美しや寒燈

ときた。

どうやら喉頭癌のご様子。氏らしくない句が続くが、

呑み込みの悪さもともと心太

は、らしいので書き留めた。

他、

マイナスをプラスにと賭し秋遍路(森★)

粉チーズととんとほぐす木の芽時(露草うづら)

決心の百段のぼる竹の秋(柳澤君代)

少しずつ貧しくなれど良夜かな(温泉川清志)

温度差のほどよき人とゐて涼し(濱口宏子)

を一次書き留め。

今日も、Thinking Allowed のPsychiatry A Social History

https://www.bbc.co.uk/programmes/m0016xrc

に食いついた。一応字句を確認ながら聴いてお仕舞いまで辿り着いた。大筋がやっと掴めた程度の理解だがこの番組はしばらく寝かしてから再度、再再度と挑戦していくことにして、目先を変えた。

The Food Chain のOnline food fighterを聴いている。SNSに掲載される食品関係の記事の中の誤まった宣伝や誘導に反論をぶつけていくというファイター二人へのインタビューだ。

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct1rh0

願い事-涅槃寂滅。

二合でクラクラ。何も出来ず。一升呑めば逝けるかも知れない。

死に方を思ふ齢やちちろ鳴く(景山薫)

Why does cooked food taste so good? TASTE & FLAVOUR The SCIENCE of COOKING - Dr.Stuart Farrimond

The SCIENCE of COOKING - Dr.Stuart Farrimond

TASTE & FLAVOUR

Why does cooked food taste so good?

Taste is a surprisingly complex process.

In 1912, French medical researcher Louis-Camille Maillard made a discovery that would leave a lasting impact on cooking science. He analyzed how the building-blocks of protein (amino acid) and sugars react together, and uncovered a complex family of reactions that begin to take place when protein-containing foods, such as meats, nuts, cereals. and many vegetables, reach around 140゚C (284゚F).
We now call these molecular changes the “Maillard reaction”, and they help us to make sense of many ways in which food browns and takes on flavour as it cooks. Seared steak, crispy fish skin, the aromatic crust on bread, and even the aroma of toasted nuts and spices are all thanks to this reaction. The interplay of the two components creates enticing aromas unique to each food. Understanding the Maillard reaction helps the cook in many ways: adding fructose-rich honey to a marinade fuels the reaction; pouring cream into simmering sugar provides milk proteins and sugars for butterscotch and caramel flavours; and brushing pastry with egg provides extra protein for the crust to brown.

THE MAILLARD REACTION
Amino acid - the building-blocks of protein - clash with nearby sugar molecules (even meats contain traces of sugar) to fuse into new substances.
Fused molecules fling themselves apart and crash into others to combine, separate, and reform in countless ways. Hundreds of new substances are born, some brown in colour and many carrying aromas. As the temperature climbs, more changes occur. The exact flavours and aromas generated by browning depend on a food's unique combination of protein typer and sugars.

 

UP To 140゚C (BEFORE THE MAILLARD REACTION)
The Start of cooking
The temperature needs to reach around 140゚C(284゚F) before sugar molecules and amid acids have enough energy to react together. While the outer layers of the food are damp, food will not warm above the boiling point of water (100゚C/212゚F), so surface moisture must be driven of f by dry heat for this to happen. The exact flavours and aromas generated by browning depend on a food's unique combination of protein types and sugars.

140 - 160+゚C (DURING THE MAILLARD REACTION)
140゚C(284゚F)
At around 140゚C(284゚F), protein-containing foods start to turn brown in the Maillard reaction. This is also called the “browning reaction”, but colour is just part of the story. At this heat, protein and sugars clash and fuse, creating hundreds of new flavour and aroma substances.
150゚C(302゚F)
Maillard reactions intensify as the temperature rises. As food reaches 150゚C(302゚F), it generates new flavour molecules twice as quickly as it did at 140゚C(284゚F), adding more complex flavours and aromas.
160゚C(320゚F)
As the temperature increases, molecular changes continue and more enticing new flavours and aromas are created - the flavour enhancement peaks at this point. There are now cascades of malty, nutty, meaty, and caramel-like flavours.
180゚〉(After THE MAILLARD REACTION)
180゚C(356゚F)
When food reaches 180゚C(356゚F), another
reaction called pyrolysis, or burning, begins and food starts to char, destroying aromas and leaving acrid, bitter flavours. Carbohydrates, proteins- and then fats, break down, producing some potentially harmful substances. Watch food closely and remove from the heat before food begins to blacken.

(巻三十四) わたり来し橋をかぞへて夜寒かな(久保田万太郎)

(巻三十四) わたり来し橋をかぞへて夜寒かな(久保田万太郎)

9月24日土曜日

今朝の2時過ぎにこのあたりにも大雨洪水注意報が出たとFM葛飾が顔本で伝えている。7時に起きたが雨音がしっかりと聞こえる。

家事は、台所の換気扇のフィルター交換、エアコンフィルターの掃除、四部屋の拭き掃除。

格下げになつた嵐の暴れけり

で静岡の方が大変らしい。昼寝覚めの当地はまだ小雨。

昼寝したが、散歩には出かけず。

『外国語 - 井上ひさし』に刺激され、はたまた精神安定のために猛烈に勉強することにした。新しいことに手を出しても充実感は得られないので英語の聞き取りに夢中になることにした。今日は、Thinking Allowed の中から興味があり、何とかついて行けそうなPsychiatry A Social History

https://www.bbc.co.uk/programmes/m0016xrc

に挑んでいる。どうしても聞き取れない詞はあるが、eviscerate=内臓器官の抜き取り、何て言うのを突き止めたときは充実する。Electroconvulsive therapyとかInsulin coma therapyとか荒っぽい治療法があったのだなあ!

頭に余計なことを考えさせないためには頭を拘束するしかない。

辞書まめに引いては忘れ秋の夜(中村雅遊)

願い事-涅槃寂滅。兎に角“滅”。

諸行無常諸法無我一切皆苦涅槃寂静

「外国語 - 井上ひさし」死ぬのがこわくなくなる薬 から

なぜ私は外国語が話せないのだろうか。勉強しなかったわけではない。それどころか大いに勉強したはずである。それなのになぜ……?私たち日本人の大多数は中学と高校の六年間に約七千語も英語の単語をおぼえる。私の場合で言えば、英語のほかに中学生のときからフランス語をやってきた。大学では猛烈な勢いでドイツ語を叩き込まれ、途中から転科してフランス語をつづけた。卒業論文のかわりにモンテルランの戯曲の翻訳するという「暴挙」(フランス人教師の弁)さえやってのけた。だから英仏の二語ぐらいなんとか喋れそうなものだが、たとえば電車の中などで外国人が物問いたそうに車内を見渡していたりするのに出会うと、まるで借金取りにでも出っ喰わしたかのように、目が合わぬよう顔を伏せたりする。どうしてそんな情けないことになってしまったのか。この疑問が頭の片隅に巣喰ってからだいぶたつが、このごろになってようやく答えの見当がついてきた。つまり笑われるのがイヤなのだ。きれいな発音で、文法にも叶った英語を操って、できれば「お上手ですね」とほめられたい。つまらない発音で、文法もまちがえて、笑われてはいけない。よく言えば完全主義者、ふつうに言えば恥ずかしがり屋、ものはついでだから悪く言うと見栄っぱりなのである。

さらに言うなら、私たちは、たとえば、ここで英語をつかわなければ生死にかかわるという追い詰められた情況におかれていない。フランス語が喋れなければ生活できない。朝鮮語が話せなければまともな職につけない、そういうふうに切っ羽詰まった状態におかれていないから見栄も張れるのだろう。

それからもう一つ、私たちの外国語に対する態度はいささか甘いようである。オーストラリア国立大学の日本語科に招かれてまず胆を潰したのは、学生諸君の猛烈な勉強ぶりであった。信じられないほどの大量の宿題をこなす、たいてい二年間で辞書を引き潰す、三年生が太宰治全集を読み通す、四年生が宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を全文、そらで覚えている。全豪の秀才が集まる大学だから、よく出来てよく勉強するのは当然だが、それにしてもすごい猛勉家がそろっていた。彼等は、もちろん日本語が喋れなければ生活できないわけではない。ただ、語学というものは死物狂いにならないと身につかないものだと信じているのである。「発音がなってなくても当然、文法的なまちがいをいくら仕出かしても平っちゃら。なぜなら私たちの母語は日本語ではないのだから」と開き直っている。

この開き直り、「お上手ですね」とほめられるより、発音や文法がどうであろうと外国語で意思を疎通させようという覚悟、これを少年時代に、だれかに叩き込んでもらいたかった。前置詞がどうのこうのといった枝葉末節の受験英語技術よりも、笑われのは恥ではない、まちがいを笑うことこそが恥になるということを教わっておきたかった。そういうわけで近ごろの私は、電車へ外国人が乗ってきても目を伏せないようにつとめている、これが語学上達のための第一歩だと信じて。

「質屋について - 永井龍男」日本の名随筆別巻18質屋 から



 

「質屋について - 永井龍男」日本の名随筆別巻18質屋 から

この年になるまで、私はとうとう質屋というものの味を知らずに過ごした。今後も、もうそういうことはないだろうが、振り返ってみると、このことは私という人物にとって案外意味を持つように考えられる。
貧しい家に生まれ、幼時からずいぶん苦しい生活をしてきたものだが、地方とは違い東京の町々には質屋という商売がことのほか多く、そういう土地に暮しながら、母の代からわれわれ一家は、質屋の暖簾をくぐった経験は皆無といってよかろう。なが患いをしていた父が没したのは、私の十三歳の時で、すでにその頃生計は若い兄二人が立てていたくらいだから、月々支え切れぬ場合も多々あったに相違ないが、一家の台所を預かった母は、遂に親戚を頼ったとか質屋を利用したとか云うことはなかった。
質屋という商売も、この頃はきわめて数が減ったようで、これにはいろいろと理由のあることだろうが、戦前までの都会では、庶民の生活と切っても切れぬ関係があり、大きな役目を果たしていた。特に世の中の不況時には、朝入質したものを夕方仕事帰りに受け出すという切羽詰った利用がなされ、零細民と称された日雇労務者の多い本所深川界隈などでは、まだぬくみの残っている寝具類から鍋釜までを質草として、その朝の食事代とか電車賃に換えたものだそうだが、それほど差し迫った事情はなくても、貧窮時代に駆け込んで急場をしのいだとか、学生時代に教科書や辞書類を入質して一時の快をむさぼったというような話は、少しも珍しくはない。一度味をしめたら忘れられぬ気易さがあり、町中の質屋は一部の人々に親しみすら持たれていた。
また、質屋の入質品に対する保管のよさを信頼して、現金を入手するのが目的ではなく、虫のつき易い衣服類などを季節季節に応じて出し入れし、自分の家での手数を省くような人もあったそうだし、「女房を質に入れても」云々の古い云いならわしがいまも残っている通り、いっときの散財のために、思い切りよくこれを利用する庶民の数も多かったが、さらにまた、世智にたけた質屋の主人なり番頭なりを相手に、一と勝負するつむじ曲がりもいた。たとえば印刷活字の鋳造工が、一時流行した指輪の実印を鉛ででっち上げ、それに金メッキをほどこして入質する。こういう連中は、不当の現金をせしめるうまみの他に、いつも貸し渋りをする質屋の当事者に復讐を敢えてし、してやったりの快感が忘れられなかったようだ。
質屋の店は、町中の眼に立たぬ場所に暖簾を下げ、ひっそりとしたものであった。表通りからちょっと人通りの少ない横丁へ入り、商店の並んだ通りよりも、仕舞うた屋にまぎれて何気なく構え、客を待つといった形が定石であった。本所深川のような土地柄の場合は知らず、主として夜の商売だったのは、客が他人の眼をはばかったからで、「女房を質に入れても」の言葉の中には、質屋通いを恥じた上の無理算段だからこそ、それを誇った意味も含まれていよう。
当時、東京に少し大きな火事があると、必ずといってよいほど、焼跡に質屋の土蔵が残ったものだった。それくらい質屋の数があったという証拠にもなろうが、もし、その土蔵に火が入ったとなれば、預かり品の賠償のため倒産するようなこともしばしばあったらしく、時には暴漢の押し入ることもあり、町内の鳶職とは平素から密接な関係がつけてあった。

黙阿弥の芝居にでも出てきそうな古風な話だが、事実守れるだけしきたりを守るという気風が、この商売には根強かったらしく、質屋気質といった特別なものが、巷間に云い伝えられている。表向きは極力つましく、腰を低く暮し、奉公人などの食事は年中ひじきと油揚の煮つけばかり、ひまがあれば質草に結ぶ観世よりをよらされていたように云い触らされたものだが、内輪は充実し、それこそ隠然とした実力を蔵していた。
前言をひるがえすようになるが、二十代に一度だけ、私は質屋の内部に入ったことがある。それは、Iという新進作家が物故して、その葬式の手伝いをするためであった。Iは私より四つか五つ年上であったが、その才気を菊池寛に愛され、横光利一川端康成らの人々と並んで、当時華やかな新進作家であったが、肺を病んで夭折した。私は文藝春秋社員として葬儀の前夜から手伝いを命じられた訳だが、Iの家は神楽坂の盛り場をひかえた牛込の質屋で、息子が小説家などという浮草稼業に身を投じたことを、平素から快く思っていなかったものか、通夜から葬式にかけて、一家の態度はまことに冷やかなものであった。
十二月のことで寒さは身に染むし、番茶一杯も気楽には飲めぬようなわれわれへの扱い振りは、若くして死んだ故人にそのまま伝わりそうな侘しさで、人情にからんでは質屋などという商売は出来ぬと教えられているような気になった。Iという人が、人一倍身近に意を用い洒落者の評判があっただけに、「ひじきと油揚げ」の内輪をのぞいたような気もした。二十代の若造のことで、私の観察は皮相に違いないが、茶色にやけた古畳や、ひえびえした古廊下が、いまも記憶に残っている。
しかし、すべての質屋稼業がそういう気風の人々に占められていた訳ではもちろんない。山本周五郎の経歴を読むと、少年時代に京橋木挽町の質屋に奉公している。明治三十六年の出生で、本名は清水三十六、ここの見世から夜学へ通って勉学した。主人が物のわかった人物で助力を惜しまなかったために、一人の作家の基礎が数年の間に固まった訳で、清水三十六がいかにこれを徳としたかは、後年この主人公の本名をそのまま、山本周五郎を自分のペンネームに用いたという事実が、余すところなく物語っている。
さて、私の母が貧しい暮しを切りまわしながら、質屋の暖簾をくぐることがなかったというのは、外聞をはばかったとか見栄を重んじたとかのことではない。外聞も見栄もない長屋暮しをした上の、必死の生活術であった。一時しのぎに質屋を利用したとして、その後月々利息を払うのは当然だが、それまでは延々と利息を注ぎ込まねばならぬし、利息に詰まればみすみす質草を流してしまわねばならず、流してしまった物品をふたたび購入するのはさらに難事である。気をゆるしたら最後、そういう落し穴に落ち込まなければならぬことを、周囲の生活の中に見あきるほど見た末、ほぞを決めた生活術だったに違いない。
貧しい生活の中にも、子供の入学とか町内の祭りとかの祝いごとはめぐってくる。子煩悩の親ならば無理算段をしても正月の晴れ着を作ったりする気質が、貧しければ貧しいほどあったものだか。私の母は一切そういうことには眼をつむり、質とか借金とかを拒否し続けた。落し穴を避けるためには、子供たちにもたのしみを捨てさせて省みなかった。
祭りをたのしくむかえるために、一と張りの蚊帳を入れ質したとして、そのため一夏蚊に攻めまくられような生活があっても、子は決して親を軽んじはしまいし、その辺に親子の情が濃く通うものだろう。
少年時から生計の稼ぎ手だった長兄が、私よりさらに母の生活術に影響をうけ、成人して以来、どんな苦しい場合も借金という方法を用いることはなかった。わが身を食むように家の中を切り詰めて急場をしのいだ。一生のほとんどがそういうものだった。他人に迷惑をかけぬということをひそかに誇りとし、一家のために自己を犠牲にした長兄を見るのは、居たたまれぬ思いであったが、さらに自分を振り返る年齢に達してからは、そういう私自身に母の感化の執拗さを感じる。幼少時の生活は、一人の人間に強い影響力を持つのである。
貧しいということは決して恥ずべきではなく、貧しさに負けることを恥じとすべきはずが、わが一家は貧しさに負けまいとして金銭を怖れ通した。この頃そんなふうに考える。