(巻二十二)寒卵置きし所に所得る(細見綾子)

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(巻二十二)寒卵置きし所に所得る(細見綾子)

7月28日日曜日

明け方の3時半に地震があった。 おかげで眼が覚めた。 FM葛飾でも東京は震度3と告げていた。

ヤフー!のブログはあと一ヶ月しかないわけだ。はてなに引っ越しできるとアナウンスされているが、7月もここまで来て実行できない。
取り敢えずHatenaにブログを立ち上げました。
nprtheeconomistworld
にしてありますので立ち寄ってみてください。内容は重複です。

午後は図書館に角川俳句の八月号を捲りに参りました。「新興俳句」の特集号のようで、書き留めたい句があまりございませんでした。

事故に慣れ待つに慣れたる春の夕(野村絢子)

泌尿器科真つ赤な薔薇の置き処(是松みつを)

マネキンの鼻の生意気更衣(中西宏)

朝日俳壇からは、

七夕や不治を悟れば何願う(秋山尚之)

とりあへず駅構内へ大雷雨(縣展子)

泌尿器科にはお世話になっておりますが、泌尿器科が詠み込まれた句にお目にかかるのは初めてです。そこでの病は不治の病でして治りません。これ以上悪くしないように見守るだけです。

*連想句

上下線ともに不通ぞ夜鳴蕎麦(後藤一之)

いかにしてここに入りしかラムネ玉(森川清志)

マネキンが遠いまなざしして水着(西原天気)

病みて知る心の弱さ秋の暮(阿久沢双樹)

改札の先に道なし大夕立(丸山清子)

死ぬことが間違いないわけだから、そこまでにおきるであろういろいろな雑事、不便、困難、不快、苦痛、苦悩、は起きるわけだ。それが短ければ短いほどありがたいわけだな。

本

「ボケるよりは安楽死がしたい - 新藤兼人新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

を読んでいるから、考えることが終末のことになる。