(巻二十二)落書も当を得ており梅雨深し(松岡耕作)

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蜜柑の鉢


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(巻二十二)落書も当を得ており梅雨深し(松岡耕作)

7月29日月曜日

梅雨が明けたと発表された。

今日はお休みであります。週三日勤務で一日四時間で契約していますが、これくらいが限界だな。帰りが遅くなり通勤ラッシュになるとガックリする。四時半までには電車に乗らねば。早い分には問題ない。“ときわ”は五時からだが、モツ焼きの“吟”は三時からやっている。
何時死ぬか分かっていれば通勤なんてしないでしょう。

死ぬときがわかっていたる日永かな(龍岡晋)

*凄い

Hatena Blogに重複掲載を始めた。訪問者は昨日3名今日12名であります。 Goo Blogよりも落ち着いた感じですね。顔本に連結できるようですが止めておきました。

生協に買い物に出掛けた成人女性が脇の花屋さんで蜜柑の鉢植えを気に入った。一人では持って帰れず、戻ってすぐにあたしを買いに行かせた。
旧宅には地植えの蜜柑があって毎年蝶々が卵を産み付け、青虫がバリバリと葉を食べていた。団地住まいとなっても何か眼を楽しませてくれる“樹”が欲しかったのですよ。

芋虫の一夜の育ち恐ろしき(高野素十)

鉢植えを買って店員さんにご教示を頂いた。

今の鉢では来年は小さ過ぎるので大きな鉢に植え替えをしなければならない。
熱いコンクリートの床に直に置くのはよろしくない。
水はたっぷり遣って下の穴から抜けばよい。

らしい。
南のベランダに置くつもりで買ってきたが、ベランダは直射になるので北東の玄関脇の専有スペースに置くことにした。二軒おいて隣の植物好きのお宅は鉢を玄関脇に並べているが、そういう訳があってのことかな?
鉢のある場所は私の机の横の窓の下である。

鉢植えには受け皿がついていなかった。そこで、止せばよいのに、駅前の百均へ受け皿を買いに行き、人生の終末が見えないので、ついでに三ヶ月通勤定期を買った。

夏場の午後の散歩は賢くないな!この夏は昼寝に決めよう。

水分補給にプロントに入り、ついビールにしてしまった。この暑さのなか“ときわ”まで歩く気にはなれず、増してや呑んだあと“ときわ”から自宅まで歩く気にはなれずだ。

帰宅して、細君と水やりのことが話題となる。ネットで調べると“朝、タップリと”と書いてある。
枯らしたくはないが、加減がわからない。

夕立は来ぬと見切りて水を遣る(桑島正樹)

本

「ボケるよりは安楽死がしたい - 新藤兼人新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

を読み終わりました。

“ 助かるか助からないか、どちらにしても結果がはっきりしているからいいが、植物人間になった場合、問題が残る。K氏の場合、医者がはっきり回復の見込みがないといっている。それなのにK氏は体力だけは丈夫に生きているのだ。
回復の見込みのないのをなおかつ生かしておきたい、と願うのは妻の愛である。しかしK氏の意識は死んでいるのだから妻の愛を感じることはできない。子どもたちはどうか。子どもたちは親にとって代わるべく生まれたという潜在意識があるから、意味なく生きているのは無駄だと思う。さらに、K氏をとり巻く人たち、両親、きょうだい、妻の親たち、客観者の目は冷静だ。 ”

君生かしし管はずされぬ青葉騒(池田瑠那)

そんな美談な“妻”が居るのだろうか?あたしと細君とは相互に親族として延命をお断りする協定を結んでいる。
やはり、決着は早くついた方がよい。子どもと云うものについても的確なコメントですね。あたしもそうでした。子どもとして延命は全然望みませんでした。

人の死を願ひて怖し初詣(足立泰佑)