(巻二十二)巣作りの一部始終の見ゆる窓(遠藤千鶴羽)

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8月3日土曜日

本日の句をもって巻二十二の読み切りでございます。追って一挙掲載いたします。

おじいさん

毛布カバーを外し、カバーは洗濯、毛布はクリーニング屋さんに持って参りました。
午前はこのような家事雑務で終わりました。雑務に終われていると余計な事を考えないで済む。

地球

顔本の友達限定で蜜柑の鉢の話を再掲載した。ベスかん、ギルバートさん、小坂さんが直ぐに反応して呉れました。

おじいさん

午後は扇風機を回して昼寝をした。

本

「金の生い立ち - 邱永漢」中公文庫 金銭読本 から

を読み終えた。

『 さて、紙幣が不兌換紙幣になってからは、紙幣の値打ちはその購買力、即ち物価から逆に算定するよりほかなくなった。今日でも紙幣は物の値段をはかる一応の尺度になっているけれども、その尺度をきめるものが実は物の方であるから話がややこしい。従って物価を決定するものは物の数量と紙幣の数量であり、この間に或る種の数学的な関係があると考えるのがいわゆる貨幣数量説である。しかし、紙幣の数量、即ち銀行の発行高が物価とどの程度の比例的関係を持つかはこれを正確に知ることは出来ず、いかに数学や経済学の天才が現われたところで、この問題を完全に解くことが出来るとは信じられない。
私たちが金に期待するのは、それが物を買う力を持っているからであるが、たとえば十年後に同じ金額の金がどれだけの物を買いうるかも全く予知出来ない。それを頼りにして生きているのだからいよいよ頼りがないが、そこがまた魅力で、少なくとも結婚前の男の愛の誓いよりは大分頼りになると思う人は案外多いかも知れない。 』

が締めくくりですが、そうなんですよ!だから安心なんか死ぬまで出来ないんです。
2%のインフレが続けば十年後の購買力は60%だったかな?2%に決まっていりゃいいが何がどうなるか分からない。

はこばれているとは知らぬ海鼠かな(山田麦城)