「ヒコーキ - 向田邦子」文春文庫 霊長類ヒト科動物図鑑 から

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「ヒコーキ - 向田邦子」文春文庫 霊長類ヒト科動物図鑑 から

スチュワーデスの方に一度本音を伺いたいと思っていることがある。
あなたがたは離着陸のとき本当に平気なのですか。自転車や自動車が走り出すときと全く同じ気持なのですか。ノミが食ったほどにも、こわいとは感じないのですか。
本当はこわいのだけで、少しは馴れたし、自分たちがこわがっていたら、お客様はもっと不安になる。客足にひびくので、つとめてにこにこしているのではないんですか。スチュワーデスのお給料のなかには「ニコニコ料」も入っているんじゃないんですか。
私は、生れてはじめて飛行機に乗ったとき、あれは二十五年くらい前に、たしか大阪へ行くときだったが、友人がこういう話をしてくれた。いざ離陸というのでプロペラが廻り出した。一人の乗客が急にまっ青な顔になり、
「急用を思い出した。おろしてくれ」
と騒ぎ出した。
「今からおろすわけにはゆきません」
とめるスチュワーデスを殴り倒さんばかりにして客はおろしてくれ、おろせと大暴れして、遂に力ずくで下りていった。そのあと飛行機は飛び立ったが、離陸後すぐにエンジンの故障で墜落した。客は元戦闘機のパイロットであった。
「じゃあ元気でいってらっしゃい」
とその友人に送られてタラップを上ったのだが、プロペラが廻り出すと胸がしめつけられるようになった。
ブルブルブルル、なんてむせたりしているけど、あれがさっき話してたエンジン不調の音ではないか。ああ、ナミの耳しか持っていないのが情けない。ブルブルブルル、やっぱりおかしい、下りるなら今だ。
しかし飛行機は無事に飛び立ち、無事に大阪空港に着陸した。
このときの気持が尾を引いているらしく、私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない。
まわりを見廻すと、みなさん平気な顔で坐っているが、あれもウサン臭い。本当に平気なのか、こんなものはタクシーと同じに乗りなれておりますというよそゆきの顔なのか。
このところ出たり入ったりが多く、一週間に一度は飛行機のお世話になっていながら、まだ気を許してはいない。散らかった部屋やひきだしのなかを片づけてから乗ろうかと思うのだが、いやいやあまり綺麗にすると、万一のことがあったとき、
「やっぱりムシが知らせたんだね」
などと言われそうで、ここは縁起をかついでそのままにしておこうと、わざと汚ないままで旅行に出たりしている。

いつもこわいのだが、この間アメリカへ行ったときは一番おっかなかった。
ロケに同行したので、撮影機材と一緒だったのである。カメラやら照明機具、合せて二十五個、目方にすると二百キロを超す大荷物である。ジャンボ機なので四百五十人のりだが、一人体重七十キロ、荷物二十キロとして - もう大変な目方である。どう考えたって、太平洋を飛び越えるのは無理ではないだろうか。
カラスの首に目覚し時計をブラ下げて飛べというようなものではないか。絶対に落ちる。卑怯なようだが、せめて機材とは別の便にさせてもらえないだろうか。
心のなかで、チラリとそんなことを考えながら、しかし、気どられまいとして私はスタッフの人たちと冗談を言っていた。
こういうときは着陸のときが嫌だ。
あ、海面が妙に近い。海面に飛行機の影がうつっている。地上の街並みや車がぐんぐん大きくなっている。これはおかしいぞ。早く下りすぎたのだ。誰も知らないけど、これは失敗だ。早く教えて上げなくちゃ-などと思っているうちにドスンという衝撃がお尻にあって、無事着陸するのである。
この間はじめて沖縄へいったのだが、帰りに羽田空港の荷物待ちのカウンターで私はしたたかに突き飛ばされた。
ぐるぐる廻って出てくる荷物台のそばである。突き飛ばしたのは、十人ほどの五十五、六から六十歳ぐらいの中年婦人の団体であった。
「ここだよ!ここに出てくんだ!」
一人が叫ぶ。
「荷札ついてねくて、どして判んだよ」
「グズグズしてるとかっぱらわるぞ」
「気つけろや」
「誰か、モトのとこ、走れ、早く」
オバサンたちは、台の廻りの客を押しのけ蹴散らかして、二、三人が荷物の出る場所に走り、二、三人ずつ配置についた。
「廻りかた早いから、取りそこねたらどなれ」
「よお、これ寺内さんのでないの?」
「そだそだ!あ、ちがう!」
まるで戦争さわぎである。
みんなあっけにとられ、押されたまま突き飛ばされたままでいた。田舎っぺだな(このことばは差別語だったかしら)と笑えないものがあった。私だって、今こそ平気な顔をしているが、はじめて飛行機に乗ったときは、オバサンたちと同じ気持だった。引き替えのタグはついているが、自分の荷物が出てくると、品位を失わない程度にすばやく手許に引っぱり、ほっとするのは、どこかで、
「かっぱらわれやしないか」
という気持が働いているにちがいないからであろう。

うちの母がはじめて飛行機に乗ったのは、東京・名古屋間である。もう二十年近い昔のことだが、乗る前になって、小さな声で、
「困ったわねえ」
「いい年してきまりが悪いなあ」
と呟いている。
父がわけをたずねると、
「だって、乗るとき、はしご段の上で、手を振らなきゃならないでしょ」
と言ったというのである。
「馬鹿、あれは、新聞やなんかに写真の出る偉い人だけだ。乗る人間みんなが、あそこで立ちどまって手振ってみろ、どんなことになる。何様の気してるんだお前は」
父にどなられて、シュンとしていたという。
このあと母は何度か飛行機に乗っているが、飛行機は大好きだという。理由は落ちると、飛行機会社でお葬式をして下さるからだそうだ。

スペースシャトルの滑るような着陸を見ていたら、私は完全に乗り遅れだなあと思った。
私の感覚は、プロペラでゆっくりと飛ぶヒコーキである。不時着ということばの使える、プロペラと翼のある飛行機である。
コンコルドではないが、最近の飛行機はだんだん怪獣に似てきた。顔つきがこわくなった。昔の飛行機はのんきな顔をしていた。
これも二十年以上前のことだが、中央線の駅のそばのおもちゃ屋のガラス戸に、
「ヒコーキあります」
と書いてあったのをみたことがあった。