「第六章 左沢線・長井線・赤谷線・魚沼線 -  宮脇俊三」河出文庫 時刻表二万キロ から

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「第六章 左沢線長井線・赤谷線・魚沼線 -  宮脇俊三河出文庫 時刻表二万キロ から

金曜日の朝、眼が覚めたとき、きょうはどこかへでかけそうな予感がした。
上野から北の方へ向かいたい気がするので、鞄に時刻表とその方面の地図、洗面道具などを詰めて家を出た。地図帳をいろいろ入れたので鞄が重い。
私の鉄道旅行はスケジュールが決まりすぎていて味気ないように思われるだろう。たしかに、時刻表をたよりに暮夜いろいろ検討した結果を実行するのだから、列車事故でもないかぎり身動きならぬ計画となるのだが、それは方面別の計画内容であって、どの方面の計画をいつ実行するかは、恣意的なものである。
その日、五月二八日の出勤途上、渋谷駅のみどりの窓口に立ち寄った。週休二日制の普及で金曜日の夜行の寝台券は五月末の閑散期でも当日では入手しにくい列車が多い。私は申込用紙四枚に四方面の列車を記入して、短い行列のうしろに並んだ。順番がきて、まず上野発19時27分「津軽1号」の寝台券をABいずれでも可、で申し込んだ。これがあれば、あすじゅうに秋田県に残存する角館線、矢島線、阿仁合線に乗ることができる。しかしABともに赤ランプがついて不可。
津軽2号じゃだめなの」と窓口氏は言った。当然で親切な問いである。しかし2号では角館線に乗れなくなる。
私は20時51分発福井行「越前」と記入した申込用紙をさしだした。能登線珠洲蛸島間三・七キロと富山港線の残存一・一キロをやろうと思ったのである。窓口氏はちょっと怪訝な顔をしたが、とにかくマルスに入れてくれた。しかしこれも赤ランプ。こんどは「北陸」や「能登」ではどうか、とは訊ねなかった。
後続の客に気がねしながら私は、19時50分発青森行「ゆうづる1号」、第二志望「ゆうづる2号」、乗継列車「おおぞら2号」東室蘭まで、と記入した三枚目をそっと出した。この指定券がとれると、北海道の残存一四線区のうち最長の瀬棚線四八・四キロをはじめ五線区を消化できる。ただし月曜を休まねばならぬから、仕事のことが多少は気にかかるが、「ゆうづる」の1号2号は人気列車だからたぶん満員だろう。窓口氏は申込用紙を見てはじめて私の方に顔を向け、
「お客さん、いったいどこへ行きたいの」
と言った。この質問ははじめてではないが、やはりちょっとたじろぐ。しかし私は、
「いろいろ行きたいところがあるんで」
と答えた。我ながら簡にして要を得た答えである。窓口氏は「これはないですよ」とつぶやきながら、それでもボタンを押してみてくれた。やはり満員の赤ランプがつくと、こんどは頼みもしないのに、慣れた手つきでグリーン車のボタンを押した。「ゆうづる」1号2号は寝台特急だがグリーン車が一両だけ連結されている。しかし、青森までの九時間をあの高価で中途半端な座席で行くのは好ましくない。それはいらない、と言いかけたとき、やはり赤がついた。私は内心ほっとした。
もう一枚申込用紙を用意してあったけれど、それは出しかねた。

その晩は、けっきょく上野発22時41分の「津軽2号」に乗った。あすの朝から夕方までに山形県に残る左沢線長井線新潟県に残る赤谷線と魚沼線の四線に乗り、両県の未乗線区をなくすのが目的である。指定券は勤め先の近くの交通公社でグリーン券を買った。
寝台はとれないし、夜行だからいくらかでも楽をしようとグリーン車にしたけれど、あれは私には扱いにくい。背もたれが傾くからそれだけ尻にかかる重みは分散するが、なまじ仰向け気味になるから足を伸ばしたくなる。するとかならず足がつかえる。床の上に足を投げだせば背中がずり落ちてくる。思いきって前の席の背もたれの上にのせると楽らしいが、前に客がいなくてもそれはやりかねる。どうにも中途半端な構造である。いっそ背を立ててきちんと坐り、「普通車よりはいくらか楽だぞ」と自分に言いきかせているほうがむしろ楽なのだが、高い特別料金を払ったのに施設を十分に活用しないのは損な気がしてくる。こうなると品性の問題になってきて、ますます扱いにくくなる。
それにしても隣の窓際のおじさんは、発車ぎりぎりに上野で乗ってくると、ワンカップの日本酒をぐいとのみ、上着を掛蒲団代りにして忽ち眠ってしまった。疲れているのか旅なれているのか知らないが、よくもこんなに手際よく眠れるものだと感心した。
しかも、このおじさんはグリーン車がよく似合っている。グリーン車は論ずるよりも似合うことが大切なのかもしれない。孝行息子でもいるのか、草履を脱いでグリーン車にちんまり坐ったおばあさんなど、もっともよく似合う。私などグリーン車に乗ると食堂車に席を移すのがもったいない気がするから、まだまだだ。
隣の人がよく眠っていると、こちらは全然眠れないような気がするけれど、福島に気づかなかったからいくらかは眠ったのであろう。米沢を過ぎると夜が白みはじめ、4時45分、山形に着いた。

(ここで途中下車)