「春侘びし - 鏑木清方」岩波文庫 鏑木清方随筆集 から

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「春侘びし - 鏑木清方岩波文庫 鏑木清方随筆集 から

歓楽の後を追って、あげしおに寄せる波のように、すぐひたひたと襲い来る哀傷のやるせなさ。誰しも子供心には覚えのあることであろう。凧揚げ、追羽根の興はなかなか尽くべくもないうちに、うそ寒い西風飄々と軒並に立つ笹の葉を揺って春着の袖を吹き翻えすころともなれば、遊び足りぬうらみをとどめて各々家へと呼び戻される。そんな時分のやるかたないた淋しい思いが、いつか潜在意識として残されているのか、正月を楽しむそのうちに、ひとしお身に沁む哀愁の、それは店に立てたる金屏風の、あかるい表くらい裏、そこにそのまま正月があるのではないかという気がする。
正月がといっても、行事は年ごとに省かれて、初春らしい景物は、今ではもうほんの少しばかりしか見られなくなってしまった。
私は長いこと家例のように、元旦には産神[うぶがみ]を初めに二、三の神社に参詣をして、谷中にある先祖代々の御墓へまいるのをずっと欠かしたことがない。
家例といっても、これは古くからしているのではなく、私の代になって始めたので、元日に年始には出なくても墓参りに行くのを妙に思う人もあるかも知れない。しかしこれは私が新規にやり出した例ではなく、世間にいくらも行われていることで、年の始めに一家の祖先に新年の礼を申述べるのは当然のことであるし、元日から墓参りをして置けば、松の内に会葬に行かなければならないことがあっても、かえって御幣を担がないで済むという、そんな訳合いもあるのだということである。
年始廻りは殆どしないといってよく、年始状だけで失礼している。以前にはこの年始のハガキに凝ったことがあって、木版の色摺で歳々の干支に因んだり、勅題に拠ったりして趣向を練ったりしたものだったが、近来は無精になったのか、暮が展覧会などで忙しかったりするためでもあるが、甚だつまらないとおもいながら活版刷で済ませている。
今年は寅で自分の歳に当っているから、久しぶりで一工夫と夏にさなかから思ってはいたが、もう十二月も半分過ぎてまだ手をつけてないのだから、たぶんことしも活版刷ということになってしまいそうである。
江戸の人は年中行事、四時[しじ]の行楽になみなみならぬ興味と愛着をもっていて、よくその季節々々の趣を味わうことを重んじた。
まだ江戸の慣例[しきたり]の十分に保たれていた時分に生れた私などは、やはり先人の行っていたことに慣らされもし、いつかそれが自分の趣味....というよりはもっと根強い習性になって、この土に残されたさまざまの名所古蹟にとどまる行事行楽は、生活にとっての重要なものとして、私には伝えられて来ている。
そういう私に、正月は数々思い出のなつかしいものが積もり積もっている季節ではあるが、若い時分はとかく引込みがちの陰気と人には見えたろう、あまり人中へ出るのを好まず、常に独居を楽しんだ自分には、思い出として新春らしい派手な何ものを持ち合わせない。それは今でも同じことで、たいして初春を興ずることもないのだが、それでいて、春の逝くのはたまらなく淋しい。七草の日に松が除[と]れて形ばかりの葉をつけた小さな枝が、門辺[かどべ]の土の中に挿されているのを見出すと、松の内ももう過ぎたとしみじみと眺め入る。今まで門に土はなく、コンクリートを穿[うが]って松を立てるための鉄の四角な容器を埋めてある慣[なら]いとなっているが、これはいよいよ侘びしい限りである。
正月気分に別れを告げる二十日正月、それよりも、松を除き輪飾を外す時の方がよけいに淋しい。
押し詰まった年の暮には、注連、輪飾りの取散らした部屋の中にも、春を待つけしき、明日にもつ望みに生きいきと、新しいものを迎える設けに充ちていたのが三ケ日も早暮れて、床の間に高くかけた青竹の筒花入に生けてある輪柳、万両も水が涸れて、埃が薄霜を置いたように積ってくる時分には、正月も三日過ぐれば人古く、まことや新しきものの老ゆるは早し、あら玉の春の行衛[ゆくえ]、屠蘇の酔も醒めぎわの襟元そうけだって、錦の裏のあわれ興寒々と、百目蝋燭の溶けて流るる灯影[ほかげ]の下に、ほろ苦く杯をふく[難漢字]んだ江戸の遊子の俤[おもかげ]が偲ばれるもそのころである。
(昭和十三年一月)