「永井荷風 濹東綺譚」111 頁 岩波文庫

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永井荷風 濹東綺譚」111 頁 岩波文庫

わたくしは既にお雪の性質を記述した時、快活な女であるとも言ひ、また其境涯をさほど悲しんでもゐないと言つた。それは、わたくしが茶の間の片隅に坐つて、破団扇[やれうちは]の音も成るべくしないやうに蚊を追ひながら、お雪が店先に坐つてゐる時の、かういふ様子を納簾[のれん]の間から透し見て、それから推察したものに外ならない。この推察は極く皮相に止つてゐるかも知れない。爲人[ひととなり]の一面を見たに過ぎぬかも知れない。
然しこゝにわたくしの観察の決して誤らざる事を断言し得る事がある。それはお雪の性質の如何に係らず、窓の外の人通りと、窓の内のお雪との間には、互に融和すべき一縷の糸の繋がれてゐることである。お雪が快活な女で其境涯を左程悲しんでゐないやうに見えたのが、若しわたくしの誤りであつたなら、其誤はこの融和から生じたものだと、わたくしは辯解したい。窓の外は大衆である。即ち世間である。窓の内は一個人である。そしてこの両者の間には著しく相反目してゐる何物もない。これは何に因るのであらう。お雪はまだ年が若い。まだ世間一般の感情を失はないからである。お雪は窓に坐つてゐる間はその身を卑しいものとなして、別に隠してゐる人格を胸の底に持っている。窓の外を通る人は其歩みを此路地に入るるや仮面をぬぎ矜負[きようふ]を去るからである。

わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉はれて、彼女達[かのおんなたち]の望むがまゝ家に納[い]れて箕帚[きそう]を把らせたこともあつたが、然しそれは皆失敗に終つた。彼女達は一たび其境遇を替へ、其身を卑しいものではないと思ふやうになれば、一變して教ふ可からざる懶婦[らんぷ]となるか、然らざれば制御しがたい悍婦になつてしまふからであつた。
お雪はいつとはなく、わたくしの力に依つて、境遇を一變させようと云ふ心を起してゐる。懶婦か悍婦かになろうとしてゐる。お雪の後半生をして懶婦たらしめず、悍婦たらしめず、眞に幸福なる家庭の人たらしめるものは、失敗の経験にのみ富んでゐるわたくしではなくして、前途に猶多くの歳月を持つてゐる人でなければならない。然し今、これを説いてもお雪には決して分らう筈がない。お雪はわたくしの二重人格の一面だけしか見てゐない。わたくしはお雪の窺い知らぬ他の一面を暴露して、其非を知らしめるのは容易である。それを承知しながら、わたくしが猶躊躇してゐるのは心に忍びないところがあつたからだ。これはわたくしを庇ふのではない。お雪が自らその誤解を覚った時、甚しく失望し、甚しく悲しみはしまいかと云ふことをわたくしは恐れて居たからである。
お雪は倦みつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿たらしめたミューズである。久しく机の上に置いてあつた一篇の草稿は若しお雪の心がわたくしの方に向けられなかつたら、- 少なくとも然う云ふ気がしなかつたなら、既に裂き棄てられてゐたに違ひない。お雪は今の世から見捨てられた一老作家の、他分そが最終の作と思はれる草稿を完成させた不可思議な後援者である。わたくしは其顔を見るたび心から禮を言ひたいと思つてゐる。其結果から論じたら、わたくしは處生の経験に乏しい彼の女を欺き、其身軆のみならず其眞情をも弄んだことになるであろう。わたくしは此の許され難い罪の詫びをしたいと心ではさう思ひながら、さうする事の出来ない事情を悲しんでゐる。
その夜、お雪が窓口で言つた言葉から、わたくしの切ない心持はいよいよ切なくなつた。今はこれを避けるためには、重ねてその顔を見ないに越したことはない。まだ、今の中ならば、それほど深い悲しみと失望とをお雪の胸に與へずとも済むであろう。お雪はまだ其本名も其生立をも、問はれないままに、打明る機会に遇はなかつた。今夜あたりがそれとなく別れを告げる瀬戸際で、もし之を越したなら、取返しのつかない悲しみを見なければなるまいと云ふやうな心持が、夜のふけかけるにつれて、わけもなく激しくなつて来る。