(巻二十三)本物は世に出たがらず寒の鰤(加藤郁乎)

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9月15日日曜日

おじいさん

風呂の排水口掃除の命が下った。二ヶ月くらい掃除を怠ったのてちゃんと垢が付着している。
使い古しの歯ブラシで四隅を丁寧に擦り落としたつもりだけど、四隅はしぶとい場所であります。

釣堀の四隅の水のつかれたる(波多野爽波)

本

「罵る - 開高健」角川文庫 白いページ2 から

を読みました。

本文の結びは以下のとおりです。

《 日本酒の酒造家ばかりのある集りでおおむね以上のような骨子で講演をした。いいたりなかったことをちょっと補い、いいすぎたことをちょっと削って要約して書いてみたらこうなったのだが、その夜、あるお座敷へいって聴衆の一人であった伏見の旦那にそれてなく意見をたずねてみたら、“叱りかたがたりない”といわれた。》

日本の酒蔵が戦中・戦後に手抜きをしたことを叱り、罵っているわけです。
この稿が起こされたのは80年代のようですから、それから40年になります。
今や日本酒は名誉を回復したようで海外での需要も強いようです。酒税法も輸出支援を考えるようですし、“日本酒”は地理的標示として認知されました。
復活めでたしめでたしですが、ただ高くなって手が出ません。一合千円ですからねえ!でも、一合しか身体が受けつけなくなっているから、支出額に変わりはないか。

秋の暮水のようなる酒二合(村上鬼城)

以下、罵りの一部です。

《 戦争中に酒造米が不足したのでそれをカヴァーするために日本酒にアルコールを添加してよいということになり、そのアルコールというやつが、何からとれたものやら得体の知れない先生方ばかりだったが、それで酒そのものがすっかり奇妙キテレツなものに成りさがってしまったのを、八月十五日の御一新があってもいっこうに改めることなく、酒屋も飲みスケも酔えたらいいんだ程度でつくりまくり、飲みまくり、以後今日にいたる。たいていの旦那衆と酒談義をすると、そういうハナシを聞かされる。きまりきまっておなじハナシばかりです。なにしろ大量生産方式を旨とするものだから酒造家のことを“メーカー”などと味気ないことをいう。大手メーカーとか、灘のメーカーとか。しかもそれを恥としないばかりか、むしろなかには“メーカー”と呼ばれることを誇りにしているヤツさえいるというじゃありませんか。レッテルにしかめつらしく“吟醸”だの、“嘉撰”だのと美しい凄文句[すごもんく]がならべたててあるのに当の旦那は“メーカー”だとおっしゃる。なんで“うま口”をつくらないのです。アマ口なら一本でいきついてしまうが“うま口”なら飲んであきないのだから商売としてもそのほうがいいのじゃないか。いまの醗酵化学の技術をもってすればやさしいことじゃありませんか。旦那衆にそうたずねると、やさしいことではないけれど、やってやれないことはないし、やればできるとわかってる。けれどこれまでの習慣をこわすのがこわい。メーカーも、小売店も、こわい。お客に味が変ったといわれるのがつらい。そこです。と、こう、おっしゃる。私にいわせると日本酒をここまで堕落させたのは、酒税局と、メーカーと、そいつらをそのままで許して黙って飲んでいる飲みスケども、つまり官民こぞっての責任であります。飲みスケどもはブドー糖のアルコール割りに慣れてしまって、ただもう酔って、タハ、オモチロイと口走り、こんな酒品のない酒が飲めるかとつきかえすほどの気概もなければ、自信もない。飲み屋へきたら酒はサカナにすぎなくて、ひたすら上役と女房の悪口をいうのに精いっぱいです。》