「1、男はどんな風に性に目ざめるか - 北原武夫」旺文社文庫 告白的男性論 から

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「1、男はどんな風に性に目ざめるか - 北原武夫」旺文社文庫 告白的男性論 から

男の裏おもてといっても、そういう場合はたいてい表側のことより、裏側のほうに重点があるのが常だから、この場合も主として男性の裏側の方を、僕は語るようになるでしょう。第一に、たいがいの男性の表側のことは、すでにあなた方ご自身がよくご存じだ。
だから、それはそれとして一向差し支えないのだけれども、そうなると
やたらに他人さまのことは語れないので、よほど一般の男性に共通したこと以外、主として自分自身のことを僕は語るしかない。幸いなことに、僕はH(変態性欲)でもなんでもなく、ごく当たりまえの人間なので、僕の感じたことはたいていの男性が感じると、まず大した違いはなく、僕が正直に告白することは、そのまま大多数の男性の内心の声だと思っていただいていい自信が、僕にはあります。(あなた方はすでにご存じかもしれないが、女性には一人一人の気質によって、考え方の上でずいぶん違った点があるけれども、男性の考え方というのは、だいたい似たようなものなんです。)それで、ここでは、男性の性の目ざめが、女性とはどう違うかという点から、話に入ってゆきたい。
僕は八つのとき、(いまの考え方でいうと七つだが)失恋した覚えがあるので、性的欲望の点ではともかく、恋愛感情の点では、たしかに少し早熟だったかも知れません。 - この話をすると、誰でも笑い出すばかりで、ちっとも信用してくれないのですが、僕はそのとき、田舎の僕の町に巡業にきた松旭斎天勝の奇術を、母や祖母に連れられて見にゆき、濃い白粉で真っ白に塗りこめられた、彼女の豊満な胸や腕に、首飾りや腕輪などがキラキラと光っているのを見て、たちまちボウッとなってしまったのです。そのとき貰ってきた劇場のプログラムに、その彼女の写真がボヤけて印刷されているのを、後生大事に毎日持って歩き、教室の中でも休みの時間のときでも、コッソリそれを眺めては、半年ばかりの間、誰にも言えない辛い思いをして日を送っていたのを、僕は今でも覚えています。
だから、それからさらに七、八年たって、肉体的にもいよいよ青春の入口にさしかかり、性的に目ざめてからは、その毎日の息苦しさといったら、言いようがなかった。
夕暮になると哀しくなるとか、月に煙った森が風にそよいでいるのを見ると、涙がこみ上げてくるとか、そういう漠然としたものならいいのだが、男性の僕には、生憎なことに、その悩みの対象が、実に具体的ではっきりしていました。うら若くて清純なあなた方には、さぞ軽蔑されるだろうとおもうのですが、(しかし、もうこんなことを書き出してしまったのだから仕方がない。)それはほかでもない、あなた方の持っているあの女体というものです。薄白くてむっちりとした、天与の曲線を持ったその幻影が、日夜目の前にチラついて、文字どおり、寝てもさめても息ができないのです。
目の前に女性がいたりすると、腕の柔らかさや白さが、まず目につく。特に二の腕の裏側の素肌の、息で曇った陶器のような白さが、目につく。薄いブラウスの内側から強く押している、ムッと温まった二つの隆起の固い実りや、何かの拍子に見える。大胆そうに引きしまった太腿の若々しい充実感などは、チラッと目に入るや否や、息もできない苦しさで咽喉をふさいでしまう。そのなかで、わけても悩ましいのは、煙のような繊毛に守られて、柔らかく暖かくしめっている、あの薔薇色の香ぐわしい部分で、神様は、男性にはめったなことではわからないああいう神秘なものを、どうしてわざわざ女性の身体の中に作ったのだろうと、その部分を悩ましく頭の中で思い描くたびに、僕は大真面目でそんなことを考えたものです。
十四、五から二十歳ぐらいまでの、いわゆる青春前期の間、四六時ちゅう僕の目の前にモヤモヤと立ちふさがり、胸苦しいほどの悩ましさで僕を苦しめたのは、そういう女体の幻影でした。朝も昼も夜も、(もっとも、その間に食事をしたり遊んだり、少しは勉強もしたけれど)僕はそのことばかり考えていた。そしていつになったら、あの清らか腕にこの手でさわり、あのムッと息苦しい乳房をこの手でにぎりしめ、そして何よりめ、あの柔らかで暖かい内部にこの自分の欲望を吸い取って貰うことができるのかと、その瞬間のことばかりを、僕は灼けつくような思いで想像していました。
浅ましいといえば、その一と言で片づいてしまうことですが、なにも、僕一人が特別に浅ましかったわけではなく、この時期の男性というものは、哀しいことに、みんなこの程度には浅ましくできているのです。言い換えると、この時期の男性は、恋に憧れているというより、ひたすら女体に憧れている人間なのであり、もっとはっきりいえば、性的飢餓という餓えに苦しめられている、なんとも哀れな一匹の雄なのです。薄白くてふくよかな肉体の幻影に、日夜身心を掻きむしられるあまり、まるで毎日、熱いフライパンの上でジリジリと身を焼かれていたようなあの悩ましさは、あなた方女性には、恐らく永遠に分ってもらえないでしょう。
松旭斎天勝に夢のような失恋をしたときも、つくづく考えてみると、濃厚な化粧やバタ臭い扮装からかもし出される、一種のエキゾティシズムのほかに、豊満な彼女の肉体に刺激された性的なものが、僕の中では、かなり強かったと思うのですが、その後十四歳ぐらいになってある女性に失恋したときは、今書いた意味での性的欲求が、明らかに大部分を占めていたように僕は思います。
僕の家は医者だったので、看護婦の姿などは見なれていたが、たまたま胃癌を病んでいた母の看護のために、特に雇われて来た彼女の場合は、そうではなかった。強く緊まった、どこか冷たくくらいその顔立ちが、文学書などで養われた僕の好みに合っていたので、僕は一と目で彼女に惹きつけられてしまったが、このとき何よりも強く僕の官能が惹きつけられたのは、やや冷たい感触をもって浅黒く澄んだ、その肌の色でした。
僕はそれからかなり長い間、小麦色の肌にしか魅力を感じない、奇妙な習慣がついてしまったけれど、それは恐らく、この時のことが強く影響したのに違いありません。
その時のことで思い出されるのは、ある曇った日、誰もいない茶の間で、彼女と偶然二人きりになった時のことです。彼女はその時、長火鉢に火にかけた小鍋で、薬か何かを長い間コトコトと煮ており、僕はただその前に坐って、火の上に差し出された彼女の手の、少し冷たそうに澄んだ浅黒い肌の色を、なんて綺麗なんだろうと思いながら、いつまでも見つめていただけなのですが、その間の、心が目の前の肌の色にすっかり吸い取られてしまって、まるで灼けつくようだったあの胸苦しさを、僕はいつまでも忘れることができません。
まだほんの少年にすぎなかった僕が、一人の女性に恋を感じたりするのに、心や性格の点などでは少しも惹かれず、ただ肉体上の魅力だけで引きずられたということを、恐らくあなた方の多くは、不思議に思われるに違いありません。あなた方女性の場合は、十三、四歳のころに突発的に起こる、あのやむない生理的異変によって、意志と関係なく、いわば無理矢理に性に目ざめさせられるけれども、同時にあなた方のなかに強く目ざめる羞恥心が、天与のヴェールとなってあなた方を包んでくれるので、同じ時期の男性のように、やみくもに飢えた一匹の雌になったりはしない。いや、むしろあなた方の場合は、天与の羞恥心が内部のセックスに強く反撥して、一種反セックス的な清潔感にまで、あなた方を高めさえする。
が、僕ら男性というのは、哀しいことにそうはならず、十四、五歳から始まるこの動物状態が、実にそのまま墓に入るまでつづくのです。味方を裏切るようだが、僕はこの点だけは、あなた方女性に対して、まったく男性は恥ずかしいと思っています。