(巻二十三)満開も散るも又よし桜花(藤生理可)

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(巻二十三)満開も散るも又よし桜花(藤生理可)

9月29日日曜日

その桜、さくら通りの桜が間伐されるらしい。いろいろと検討しての結果だろうから止もう得ない。伐採される桜の木の犠牲の上で元気のよくなった桜が来春は見られるかもしれない。

成人女性が朝日俳壇を持って来てくれた。

鯊釣りやひとりが楽しそうな人(引地こうじ)

を書き留めました。

昨日は“墓”詣りに行き、骨置場の料金をうかがった。今や墓捨て墓仕舞いだが、なぜ昭和のころ“墓ブーム”が起こったのかについての上野千鶴子さんの考察に頷いた。

春風や凡夫の墓の御影石(岸本尚毅)

と簡単な話ではない面もあったようだ。

今は世間体とか見栄から“死”が随分と解放されたようなので、家族葬やら樹木葬が大手を振って行えるよい時代になりました。儀式は好きにやればいい。墓などなくてもよい。

《 マイホームからマイトームへ - 死後の家族主義

人は生きている間は、マイホームに住んでいる。しかし死ねばそこから出て、マイトームに向かわなければならない。生きている人々の間で住宅ブームが起きるなら、それから数十年後には、墓地ブームが起きるのは、赤ン坊にだって予測がつく。都市計画年報によれば、一九六六年には、一〇八七ヘクタールであった全国の墓地面積は一九七〇年には、二六一六ヘクタールにまで、ふえている。わずか四年の間に二・五倍という急激なふえ方である。
現に都市部で墓地の高騰は、一坪三〇〇万という都心の目抜き通りの土地価格なみの、異常な事態に至っている。石材も値上がりし、今日では、一坪か二坪ほどの墓地に、みかげ石で台座つきの墓を建てるというのは、庶民には手の届かぬ望みになってしまっている。もしくは、定年までにやっとローンを払い終えて、マイホームだけは手にした庶民にとって、マイトームを建てるというのは、次に達成すべき大事業である。未亡人は、お父さんのお墓が建てたい、仏壇を買いたいという悲願から、まとまったお金を貯めこみ、それをめぐってしばしば「お墓なんかムダだ」という息子や娘たちとの間に争いが起きたりする。時代の趨勢にいち早く対応した寺側は、コインロッカー式の合同廟を建てて、分譲にのり出す。こうして人々は、生きている間は集合住宅に、死ねばやはりアパート式の集合墓地に入ることになる。
この異常なマイトーム・ブームは「不合理」だろうか?マイホーム・ブームもたしかに「異常」だったが、「異常」なのは土地の高騰やまったく無能な政府の土地政策の方であって、人々のマイホーム取得欲そのものは、非難されたりはしなかった。人々は、生きている以上、くらす場所がなければならない。時たま、土地の高騰の原因は、土地の値上がりに便乗した庶民の持ち家志向だと非難した人もいたが、地価の高騰の余得にあずかったのは、ねかせておくだけの資産を持った金持ちと、例外的に幸運な庶民たちだけであった。大部分の庶民にとっては、やっと手に入れたマイホームの地価がいくら上がろうと、それを転売していくあてがなければ、そのままそこに住みつづけるしかない。そこに住むしかないために土地を処分することのできない人々にとっては、資産の評価額が何千万になろうと同じことだ。
また、ヨーロッパの都市を例に引いて、人々の土地私有欲が、地価を引き上げる原因だと非難する人もいた。ヨーロッパの都市生活者たちは、何代も前から借家やアパートに住んでいて、持ち家志向が少ない。しかし、借家を恥じるな、持ち家志向をやめよ、というこの種の良識の声は、廉価で安定した賃貸住宅を大量に供給しようとしない政府の住宅無策の前では、「やみ米を食べるな」といって飢え死にした某判事殿の良識の声ほどにも、無力でかぼそい。庭つき一戸建住宅を、やっとの思いで手に入れようとする庶民を、人々は無理からぬ望みだと眺めてきた。
しかし、マイトーム・ブームに限っては、ばかげた、ムダなことだという印象がつきまとう。それは、生きている人間の側のエゴイズムのせいかもしれない。また、死というものをどこにも位置づけることのできない近代産業社会では、死を考えることの反撥や恐怖が、マイトーム・ブームを戯画化してしまおうという方向に働いているのかもしれない。マイトーム・ブームへの白眼視は、墓地を計画供給しようとしない地方自治体や、もうけ主義に走る寺側へ向けられるより、しばしば、そんなしかたで「坊主まるもうけ」させてやる庶民の愚かさの方へ、向けられてきたようだ。
マイトーム志向は、ほんとうに「不合理」なのか?人は死ねばどこへ行けばいいのか - 田舎の墓へ入ればいいさ、という考えがある。現在老後を迎えつつある都市生活者たちの多くは、高度成長期に移住してきた都市移民一世たちだ。彼らの多くは、田舎にルーツをもっていて、親せき縁者も墓もある。こんな過密の都市に骨まで埋めなくても、故郷の生家の墓に眠った方がいいだろうに、そうすれば墓地ブームのばかげた沸騰もおさまるだろうに、と「合理的」な人々は考える。しかし、人々は現実の中よりは、より多く意識の中に生きている。都市移民一世たちは、生家を離れて都会へやってきた次三男である神島二郎氏が言うように、わが国の都市化は、長男を家督相続人として家にのこしたまま、次三男の単身出稼ぎのかたちで進行した。この次三男は、昔なら「田分け」もしてもらえないまま、「埋もれ木」として朽ちていく運命を持ったオジたちである。彼らが都会へ出て核家族をつくったとき、彼らは、生家の援助によらないで、分家を創設したことになるのだ。みかけは核家族でも、実質は彼らは創設分家第一代の家祖なのであり、そのようにふるまっている。都市の雇用機会が、次三男の独立を可能にした。わが国の長子単独相続性という家制度の慣行は、直系家族間の結びつきを強固なものにする代わり、傍系血族間のつながりを疎遠にしていく。まことに「兄弟は他人のはじまり」で、家族はタテに分裂する傾向がつよい。生家では、ふた親が死んで兄の代になっている。兄の代に代替わりしてしまった生家は、もはや親の家ではなく、兄の家となる。親の骨を納めた生家の墓地は、兄の一族の墓となるので、それはもう次三男のものではない。もちろん望めば、次三男とその一家の人々が、生家の墓に入ることも可能だろう。しかしいまだ生きている家イデオロギーのもとでは、兄の家の墓に入った弟は、「ついに分家を創りそこねた甲斐性なし」と見なされるのがオチなのである。だから、都市移民一世たちは、必死にマイトームを求める。それは、自分たちの死後のためであるばかりではなく、一族の二世、三世のためでもあるからだ。》