(巻二十三)月入るや人を探しに行くやうに(森賀まり)

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ザクロではないでしょうか?


9月30日月曜日

九月も終わりとなりけり、か。
八月、九月と臍繰りからの引き出しをせずに過ごしたが流石に十月は乗り切れそうもなく五万円を引き出しに銀行まで歩いた。月末ということだろうか、ATMには長い列ができていた。
いつまで生きるか判っていれば、金の使い方も違うのだろうが、知りたいことは判らない。

生涯のいま午後何時鰯雲(行方克巳)

なんていう上手い句があるが、“夜何時”でそれも深夜時間帯に入っていることは間違いない。

幸い美味いものが分かる味覚をもっていない。
そんなあたしだが、昨晩のサンマと手羽大根は美味かった。
そして寝る前に缶酎ハイを舐めた。それで充分満足だ。

空いていて渇いていればその欲望が充たされたときに幸福を覚えるのであるな。
動物的な幸福は充足している時間だけであるが、充足できる環境に浸っているという満足感や安心感に依る幸福感は持続的だと思います。

いささかのしあわせにいて秋燈(安藤鶴夫)

本

「酒みずく - 山本周五郎新潮文庫 今宵もウイスキー から

を読みました。
周五郎のような大作家でも創作で苦しみ酒と睡眠薬に溺れもがいていたのだなあ!

朝から飲んで、

《 一日一度の夕食を簡単に片づけると、一時間ばかりベッドにもぐり込み、起きるとまた水割りを啜りだす。かみさんは十時か十一時に自宅へ帰るが、あとはまた独りで水割りの濃いのを啜り、睡眠剤と酔いとで眼をあいていられなくなると、ようやく寝床へもぐり込む、といったぐあいである。》

とあり、

林芙美子さんが急死されたとき、「ジャーナリズムが殺した」という評が弘[ひろ]まった。冗談ではない、作者はそんなものに殺されはしない、作者は自分の小説によって殺されるものです。》

と締めている。