(巻二十三)しあはせは小ぶりでよろし熊手市(市川稲舟)

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10月2日水曜日

ビルのエントランスでは長野県のJAがマルシェを開いていた。メンバーになっている顔本のお散歩写真倶楽部には長野県民の御常連が多く親しみを感じてはいるがお買い物はせず。

テレビ

クライアントとの通信も一段落し、午後は俳誌などを閲覧して過ごした。

書き留めた句は、

浮きにくき水新しきプールかな(柿沼盟子)
不揃ひの苺を潰す怒り肩(上谷昌憲)
吊り革の手首の細し更衣(宮内とし子)

地球

顔本の英語倶楽部に入っていて週に一度くらい短文と写真を投稿しているが管理者がいい加減なものだから詐欺紛いの広告やニュースビデオの転載、宗教関係の扇動ビデオのようなものがベタベタ貼り付けられてしまった。
嫌気が差したので、独自の倶楽部を立ち上げることにして“One paragraph essay club”という看板を揚げました。(公開です。)

本

花月西行(其の一) - 上田三四二新潮文庫 この世この生 から

を読みました。

《 人間が笑うことが出来るのは、死を忘れているからだ。死の際[きわ]まで死を思わないで生きることは人間の生き方のもっとも健全なものにちがいない。》

《 目隠しを解かれて、そういう自分の死と対面しなければならない。
私が ジャンケレヴィッチの「死」に惹[ひ]かれるのは、私自身、結石ならぬもっとずっと予後の悪い病気によって、早々とその目隠しを解かれたことによる。》

との導入で稿は始まっている。氏は四十代半で癌を発病し六十代半で他界されたとうかがっております。
人生の盛りで死を認識せねばならず、それからは死を常にあるものとして生きられたご様子であります。

そして、

《 以上が死にたいする私のこれまでの考え方であった。そしていまもその考え方を変えていない。私は魂の持続を信じることが出来ず、身体の消滅のときをもって私という存在の消滅するときと観じて、その死までのさし迫った生をどのように生きるかに関心を振り向け、或る偶然から、と言った方がよいほどのちょっとした選択の機をとおして「徒然草」にちかづき、その一種静寂主義ともいうべき隠遁の人生哲学に共感を見出してきたのであった。》

と一度は来世を否定しながらも.....と稿は続いてゆくようですが、三分の一のところで一旦区切りと致しました。

あたしも癌ではありませんが、死を意識せざろう得ません。
それでも、氏のような切迫感をもって死を背負っているわけではないので、今のところは来世はないものとしております。もう少しもうせば、そんなものはあって欲しくないというのが今の心持ちであります。

人生は一度でいいよ松の芯(河黄人)

絶対の安堵に死とふ涼しけれ(密門令子)

の二句は頻繁に引用させていただいておりますが、誠に共感いたしている句でございます。