ネコロマンチシズム - 内田百閒 岩波文庫 日本近代随筆選3

f:id:nprtheeconomistworld:20191003070511j:plain


ネコロマンチシズム - 内田百閒 岩波文庫 日本近代随筆選3 
文芸上の自然主義の後に唱えられた新浪漫主義、ネオロマンチシズムは、墺太利オーストリア)のフーゴー・フォン・ホフマンシュタールや白耳義(ベルギー)のメーテルリンク等によって若かった私共に随分影響を与えた。漱石先生のまだお達者な当時で、木曜日の晩の漱石山房の席上、ネオロマンチシズムがしばしばみんなの間で言議せられた。鈴木三重吉さんは先生の「猫」に当てこすって、ネオロマンチシズムをいつもネコロマンチシズムと云った。
ふとその古い洒落を思い出したので、この稿の文題に擬する。
三月二十七日がもう近い。
五年前の三月二十七日の午後、家の猫のノラが木賊(とくさ)の茂みを抜けて、庭を渡ってどこかへ行ったきり、帰って来なくなったあおの当時の事を思い出す。
思い出すのは苦しい。成る可(べ)く触れたくないが、しかしその日が近くなれば矢張り思い出す。
そもそも昭和が三十年を越してから、私の身の上にろくな事はない。
三十一年の初夏、梅雨空の東海道刈谷駅で宮城道雄がなくなった。
惜しい人を死なせたとか、天才を失ったとか、そんな事でなく、私にはじっとしていられない程つらい、堪えられない事であった。
翌三十二年の春、ノラがどこかへ行ってしまった。家にいる間、可愛がってはいたけれど、いなくなったらこれ程可哀想な思いをしなけらばならぬとは知らなかった。その晩帰って来ないので、ろくろく眠られない程心配して一夜を明かしたが、その日の夕方から雨になり、夜に入ってからはひどい土砂降りで、烈しいしぶきの為にお勝手の戸を開ける事も出来なかった。
その晩の大雨でノラは帰って来る道を失ったのだろう。迷った挙げ句にどこかへまぎれ込み、家に帰れなくなったかと思うと可哀想で堪らない。
そうしてその翌年の三十三年秋には、家内が大病で入院した。幸いなおったけれどその間の心配は筆舌に尽くし難い。つまり連続三年間、一生の悲哀と苦痛を煎じ出して嘗めさせられた様な目を見た。
行方がわからなくなったノラを探し出す為に、いろいろ手を尽くした。
先ず初めに新聞の案内広告欄に、猫探しの広告を出した。
反響があったと云うのか、実にいろんな方面から心当たりを知らせてくれた。その中には随分遠方からの便りもある。
手掛かりを得る為に、無駄ではなかった様だが、しかし考えて見ると猫が迷って行く範囲には大体の限度がある。余り遠くの人々に訴えて見ても意味はないだろう。
そこで今度は新聞に添えて配る折込み広告を試る事にした。近所の新聞店に頼み、その受持ちの配達区域に配布して貰った。
この効果は著しく又直接的であって、心当たりを知らせてくれる郵便の外に、電話の応対に忙殺される位である。尤も中には冷やかしや多少脅迫めいたのもある。知らせてくれたらお礼をすると書いた項に引っ掛かって来るらしい。
しかしまだノラは見つからない。それで間をおいては又新らしい文面の広告を出し、到頭前後四回に及んだ。配る区域を少しずつずらし、印刷した枚数もその時々で多少ちがうが、合計すれば二万枚近くになったかと思う。ノラが迷って行ったかも知れないと思われる範囲に外国の公館が幾つかあり、又米人の蒲鉾兵舎がかたまっている所もあるので、そこいらを目標に配る英文の折込み広告も作った。
方々の人が親切に教えてくれる心当たりを、家の者が一々見に行った。しかしよく似た猫はいても、ノラではない。
ノラ探しで世間に親切な人は多い事をしみじみ感じた。ノラに似た猫、ノラかと思われる猫がいるから、或はこれこれの時間にきまってやって来るから、見に来いと知らせてくれるばかりでなく、事によるとそうかも知れないと思われる猫が死んでいたので、うちの裏庭に埋めてやった。念の為に掘り返して御覧なさいと云ってくれる。
そう云う知らせを四ヶ所から受けた。一々家の者が出掛けて行って、そのお家の庭を掘らして貰った。死んだ猫を掘り返すなど、勿論気味の悪い話である。それを敢えて知らせてくれるだけでなく、その家の人も立 ち会った り手伝ったりしてくれた。しかしどれもノラではなかった。堀り掛けて土の中から現われた尻尾を見ただけで違う事がわかったのもある。
区役所のそう云う処理をする係へも行って、調べて貰ったが得るところはなかった。
結局ノラの行方はわからない。わからないなりに歳月は流れたが、今でもまだ帰って来る様な気がする。いろんな人から色々の事を教わったり、慰められたりしたが、猫探しを続けている一番仕舞頃に、区内の或る人からこんな事を聞かされた。
お宅から半蔵門は近い。お宅のノラはそっちの方へ行ったかも知れない。多分その方角へ迷って行ったのでしょう。
そう云われて見ると、そんな気がする。事実の上で何の根拠もあるわけではないが、ノラは私の家を 出てから南の方へ行き、何となくそっちの方を伝い歩いている内に翌晩の大雨に会って道がわからなくなった。家に戻るつもりで迷っていると、段々その先へ先へと家から遠ざかった。ノラはどうも南又は東南の方角へ迷って行った様な気がして仕様がない。北の方も、西北の見当も探したし、又そっちの方からの知らせも受けたが、矢張りそれよりは反対の方角へ行った様な気がする。皇居の半蔵門は私の所から東南に当たる。
半蔵門の事を云い出したその人は、
(と、ここまでコチコチ打ってきたが、馬鹿馬鹿しくなって止めた。猫好きではあるが、猫に平目や鰈(かれい)を食わせて喜んでいる程ではない。続きはご自身でどうぞ。)