(巻二十三)傘買ってすぐに無くして十二月(神野志季三江)

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(巻二十三)傘買ってすぐに無くして十二月(神野志季三江)

10月3日木曜日

十月とは思えないなんとも蒸し暑い寝苦しい一夜でございました。

長き夜のところどころを眠りけり(今井杏太郎)

地球

顔本の英語倶楽部を抜けることにしたので、替わりに鉄道写真倶楽部に入会を申込み承認して頂きました。
早速、亀有を通過する貨物列車の一撮を添えてご挨拶申し上げました。
すぐに10人ほどのメンバーから“いいね”を頂きました

音高き空荷の貨車や春寒き(高梨和代)

Railとかtrainで倶楽部を探してみたのですが、意外に少なかった。猫好きよりは全然少ない!

おじいさん

すべてを歳のせいにしたくありませんが、忘れ物が多くなりました。昨日はポケット辞典を置き忘れ、今朝はポケットにハンカチを入れておくのを忘れた。

辞書まめに引いては忘れ秋の夜(中村雅遊)

オフィスに着くと直ぐにマギーさんから後ろ髪が寝癖で巻き上がっているとご注意を頂きました。急いでトイレに行き、水でなんとか落ち着かせましたが、やはり寝苦しくのたうち回ったようです。
まだ後ろ髪は残っていた!

寝癖の句など在るのだろうかと検索いたすと、

春明るく髪に寝癖を賜りぬ(池田澄子)

と大御所が詠んでいらっしゃいました!

テレビ

明日休みたいので、5時半まで残業いたした。定時は3時です、ハイ。

本

「せまい家からの眺め - 天野祐吉ちくま文庫 バカだなア

を読みました。

30年くらい前の住宅事情のお話で、

《 近ごろは、ガランドーの部屋がハヤリである。家具をゴタゴタ並べて部屋を飾り立てるのは、時代遅れなんだそうです。
そう言えば、テレビのコマーシャルなんかに出てくるおしゃれな部屋は、たいていがガランドーで、壁からブラインドまですべて白ずくめと相場が決まっている。そんな部屋にジーパンをはいた美しい女性がアグラをかき、カンビールを飲みながら電話をかけていたりすると、これはもう一〇〇%CM的な風景ということになる。
十年くらい前までは、まったく事情が違った。部屋に北欧調のしゃれた家具を置き、シャンデリアの下でソファーに深々と身を沈めてスコッチを飲んでいたりするのが、典型的なCMの風景だった。おっちょこちょいのぼくなどは、そういうCMに踊らされ、十カ月払いで北欧風の家具や調度を一生けんめい買いそろえたものである。》

が導入でございます。
あたしの棲みかは見ての通りでございます。机が小学校の机ぐらいなのでスペースを取りません。パソコンは整理ダンスの上に置いて、立っての作業にしております。
コチコチは机に座ってガラホで行い、修文などはパソコンに飛ばして行っております。
あたしとしては十分だと満足しておりますし、四畳半への圧縮も可能です。
これも布団を敷いて寝ているから可能ですが、ベッドと言うスペースを常時占有する物を入れたら破綻します。
そうそう、ベッドについては上野千鶴子氏の御高説がありますのでご紹介いまします。

ベッド - 「性」の自己主張

《寝室の洋風化は、わたしたちのウサギ小屋ぐらしの中では、まだそれほど普及しているわけではない。しかし、ベッドの販売台数は、一九六〇年代後半からのび始めている。ベッドは、ふとんと違って、起きたからといってかたづけるわけにはいかない。ベッドは、かさだかな空間を占めて、「ねる」という意味を自己主張する。その上、Fベッド社のベッド・キャンペーン(月賦販売という、当時現われたばかりの販売方式と結びついた点でも、新しかった)では、ネグリジェ姿の若い女がベッドにセクシーに横たわって、ベッドが性交用特設マットでもあることを指示していた。ベッドの一つのタイプが「ハリウッド・スタイル」と命名されたことも暗示的である。ハリウッドは、一九五〇年代の日本人が、銀幕のかなたで紅毛の美男美女がラブシーンを演じるのを見て、あこがれで胸をかきむしった、かの聖地 - 聖なる酒池肉林 - の名だったのである。
べっは、セックスを表示するシンボルとして、日本人の居住空間の中に厚かましい図体をさらした。思えば日本人のくらしの中で、性がこんなふうに自己主張したことが、かつてあっただろうか?子どもを産んだとたん、そそくさとトーサン・カーサンになり、子どもたちに、ワタシが生まれたからには、この人たちも、ムカシはしたこともあるんだろうな、とうすぼんやり想像させるのがせいぜいの、日本の家庭生活の中に?
一九六〇年代の終わり、喫茶店の背後の座席で聞いたカップルの会話を、わたしは忘れることができない。二人は若い夫婦で、男は小さな運送店で働き、女は喫茶店のウエイトレスをしていた。女は男に「今度のボーナスが入ったら、ダブルベッドを買おうね」と相談していたのだ。二人は、六畳一間の貸文化(!) - 木賃下駄ばきアパートを文化住宅という、関西文化の知恵 - に住んでいた。六畳一間にダブルベッド、というグロテスク。性がのさばっている。しかし、かつて日の目を見なかった欲望が、姑との同居という永続的な母子関係の再生産構造の中では、最小限に抑圧された欲望が、戦後の核家族の中で、はじめて市民権をえたのだ。
この欲望が、女のがわの欲望だった、ということは、注意されてよい。男は、昔から、くらしの外で性欲を野放図に解放する場所と特権を持っていた。性がくらしの中に出現したこと、それは、性の解放を求めてくらしの外へ出撃していけない女が、男をくらしの中に引きずりこむ形で実現したこと、それには自然的欲望の肯定という戦後の時代的風潮[エートス]が背後にあること、そして人々の、とくに女のその種の私民的欲望を抑圧するような、どんな公的目標もわたしたちの社会が欠いていたこと - ベッドの増加は、そうしたことの一切を示している。事実、Fベッドの販路拡張は、店頭販売よりは家庭訪問セールスに、つまり奥さん相手に頼っていた。ちなみに、先のカップルの間では、ダブルベッドを買おうという女の提案に、男はてれながら気弱にうなずいたのだった。》

にがき夢二人みるため来た部屋の
ベッドのわきのシャガールの馬(谷岡亜紀)