(巻二十三)出欠を考へ考へ梅を漬け(宇多喜代子)

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(巻二十三)出欠を考へ考へ梅を漬け(宇多喜代子)

10月5日土曜日

風運ぶ何処か近くで運動会(潤)

昼飯に梨がついて、夕飯はサンマでした。
運動会、梨、サンマ、秋空と秋満載の十月五日でございました。

老成も若さも遠し梨をむく(深谷義紀)

読書の秋でもございまして、

人それぞれ書を読んでいる良夜かな(山口青頓)

本

「美しければすべてよし - 山本夏彦新潮文庫 「夏彦の写真コラム」傑作選 から

を読みました。

永井荷風についての短評でございまして、人間的には実に嫌な奴だし、作品に内容はないが、文章が美しいことは認めざろう得ないと書いている。荷風が文壇という社会からどのように嫌われていたか少し察しがつきました。夏彦氏は以下の通り荷風を罵倒しています。

荷風はウソつきでケチで助平でつめたくて、自分のことを棚にあげ舌鋒するどく他人を難じるときは常に自分でも信じていない儒教を借りてつめよった。
昭和二年改造社は一冊一円の「現代日本文学全集」の大広告をした。いわゆる円本である。当然「荷風集」ははいっている。無断でなぜいれた、自分はゆるしていない、本は大量生産して大量販売していいものではないと延々三回にわたって新聞紙上で改造社のやり口を非難して、荷風集は出させないと大見得を切った。
ところが全集は大成功で三十なん万部も出た。印税一割とすれば三万なん千円の収入になる。当時の三万円はその利子だけで一生くらせる大金だから、今の何億に当るか分らない。荷風は手のうら返して改造社の円本に参加して、その金でカフェライオン、カフェタイガーなどの客になって連日女あさりをした。
一日銀座街頭で辻潤に袖をとらえられ、今後はきれいな口をきくなと言われたという。辻潤は今は忘れられたがあり余る才能を発揮できぬまま死んだ文士である。辻まことの父である。全集八巻がある。》

荷風に反論もあろうが、「死人に口なし」である。そこで思い出したのが和久峻三氏の

特高スパイ事件 - 和久峻三」中公文庫 法廷生態学

です。故人である俳人西東三鬼に対する名誉棄損の裁判を解説しています。

中年や遠くみのれる夜の桃(西東三鬼)


1/2「特高スパイ事件 - 和久峻三」中公文庫 法廷生態学 から
 
ー死者の名誉とマスコミー

最近、ニュージャーナリズムの分野において、数多くの著書が出版されるようになった。そのこと自体、注目すべきことだと思っている。
しかし、法律家の眼から見て、その中には、ずいぶんきわどい橋を渡っているのも見受けられる。もし、これが事件になったら、どえらいことになるのに?と他人ごとながら肝を冷やすこともある。
こうした傾向に対して、保守的な法律家の間では、「近頃のマスコミには常識がない」という強い抵抗が芽生え始めている。「何とかしなければならないのではないか?」という風潮が一部にはあるようだ。このことは、わたしに言わせると、ニュージャーナリズムなり、ノン・フィクションなりについての理解の不足が原因の一 端をなし ていると言えなくもない。
いずれにしろ、著者の側には「言論の自由」という憲法上の保障があり、これと、同じく憲法上保障されている個人のプライバシーの保護とのかねあいの問題が大きくクローズアップされてくるわけだ。
このことが、現在のニュージャーナリズムをめぐる法律問題の中心課題なのである。
ところで、ドキュメントの中で扱われた人物が死者であった場合に、問題が複雑になる。
川端康成氏のプライバシーをめぐる『事故のてんまつ』や、広田弘毅元首相について取り扱った『落日燃ゆ』などについて考えてみても、そこには歴史上著名な人物が扱われており、その意味で「歴史上の真実の追及」という著者の側の大義が重要視されなければならない。
一方、歴史上著名な人物には、相続人がいるかもしれないのだ。先祖の名誉を毀損されてはかなわないという名誉感情をないがしろにはできない。ドイツの法律学では、「先祖への追憶」という観念で、この問題をとらえている。
さて、昭和五十五年七月三十日付の「朝日新聞」夕刊によると、
『太平洋戦争直前の新興俳句弾圧事件をテーマにしたK氏のノンフィクション「密告」で、新興俳句の旗手といわれる俳人、西東三鬼が「特高のスパイ」と書かれたことをめぐり、三鬼の遺族が「スパイ呼ばわりは事実無根、無責任な憶測で死者の名誉を棄損した」として、著者のK氏と出版元のD社を相手取り謝罪広告と慰謝料二百万円の支払いを求める訴えを起こした』
という記事が掲載されている。
ここで、またもや「死者の名誉」が法廷へ持ち出されることになったのである。
これについては、刑法に規定が置かれている。
「死者ノ名誉ヲ毀損シタル者ハ誣罔(ふもう)二出ツル二非サレハ之ヲ罰セス」(二三〇条二項)とある。
「誣罔」とは、真実でないことを知りながら、あえて事実を摘示することである。だから、主観的に真実であると信じて公表したものなら、たとえ虚偽であったとしても名誉毀損罪は成立しない。要するに、刑法では、死者の名誉が問題になる場合には、名誉毀損罪の成立に絞りをかけていることになる。
つまり、故意に真実に反した事柄を暴露した場合に限って処罰の対象となるのであって、単なる過失の程度では罰せられないのだ。
だから、こうした事件が法廷へ持ち出される場合には、勢い、民事事件の形をとり勝ちである。故西東三鬼氏の事件も、その例にもれない。
その場合の根拠条文は民法七〇九条である。「故意又ハ過失二因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之二因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責二任ス」と定められているのが、それだ。
刑法に立場と違う根本的な点は、著者のK氏ならびに出版元のD社の過失までも問われることだ。
故三鬼氏が特高スパイでなかったのを知っていながら、K氏らが故意に「特高スパイだった」と書いたとは考えられないのだから、故意の点は問題外であろう。(もし、故意があれば、刑法の処罰規定に触れるおそれが出てくる)だから残るのは、過失があったかどうかの一点に絞られる。
少し横道にそれるが、先に掲げた民法七〇九条は、いろいろの種類の事件に適用される幅の広い条文なのだ。交通事故、離婚の場合の慰謝料、傷害事件の治療費や慰謝料 - およそ契約関係のない、あらゆる場合の違法行為についての慰謝料や財産的損害の請求権の根拠が、ことごとく、この一つの条文の中に圧縮されている。したがって、この条文に関する判例も膨大であり、名誉毀損事件に限って適用されるのではない。
ところで、民法七二三条には、名誉毀損の場合の特則として、「他人ノ名誉を毀損シタル者二対シテハ裁判所ハ被害者ノ請求二因リ損害賠償二代へ又ハ損害賠償ト共二名誉ヲ回復スル二適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得」と定められている。これが、いわゆる謝罪広告を請求する根拠である。
加害者側に謝罪広告を出させることによって、被害者側の名誉回復を図ろうというのが、この条文の趣旨なのだ。
それはさておき、この事件の最大のポイントは何か。著者のK氏らが、社会通念上からみて適切と思われる客観的資料の収集から得た結論にもとづいて、「三鬼氏は特高スパイだった」と書いたか、どうかの点である。
朝日新聞」の記事によると、K氏は「俳句が官憲の弾圧を受けた時代のあったことを知らせようと思った。三鬼氏と同じころに検挙された俳人や事件の関係者を一年がかりで取材した結果、複数の人から特高とのつながりがあるとの証言を得、三鬼氏が心ならずもあのような立場に置かれたとの確信をを持って書いた。四十年近くも伏せられていた事件の真相は、だれかが世に問わねばならなかったと思う」と言っている。
K氏が、昭和十五年から十六年にかけて弾圧された「昭和俳句弾圧事件」の経緯をドキュメントとして取りあげようとした動機の点については、明らかに「公共の利益」を図るためであったことがうかがわれる。だから、動機の点については、ほとんど問題がない。
さて、三鬼氏が特高スパイであったかどうかについて、関係者の証言を求めたとK氏は言うのだが、「あの男は特高スパイだったんだ」という第三者の供述を漫然と鵜呑みにして書いただけなら、これは過失があると認定されてもやむを得ないだろう。関係者たちが、なぜ、特高スパイだったというのか、その根拠は、いったい何であったのか。その点について客観的資料の裏づけが必要である。
もっとも、客観的資料による裏づけといったところで、絶対的真実が要求されるのではない。現時点において収集が可能な資料にもとづき、「特高スパイだった」と断定したのなら、過失はないはずである。それ以上、資料の集めようがなかったというのであれば、やむを得ないことである。絶対的真実というのは、「神のみぞ知る」である。
問題なのは、真摯な態度で真実の追及に肉薄しようとした著者の姿勢なのである。その当時、検挙された俳人たちのうちで、三鬼氏の検挙が遅れ、起訴されなかったことを根拠にして、「三鬼氏も特高当局に協力した一人であった」と断定したのなら、単なる憶測にもとづいた独断であると非難される余地があろう。
では、この場合、どのような取材をしたらよいのか。三鬼氏を取り調べた特高警察の関係者に直接面接し、事実を確かめるとか、当時の捜査資料を入手したとか、そこまでの注意義務を払ったのなら、著者の側に何らの過失はない。仮りに、それが真実でなかったとしても、そこまでの注意義務を払えば著者の側には過失がないとみるのが、通常の法律家の判断であろう。
新聞記事だけでは、著者のK氏が、どのような取材をしたのか、詳しくは判明しないのであるが、今後、法廷で、その点が大いに争われるはずだ。
ところで、もし著者のK氏が、法律上要求される充分な注意義務を払って「特高スパイだった」と著書に書いたことが証拠上明白となった場合、訴えられたK氏としては、どのような対抗手段があるのか。
訴えた原告の側に、不用意に訴えを提起した過失があった場合、逆に被告のK氏から原告に対し、損害賠償あるいは謝罪広告の請求をすることも可能である。現にそうした実例がある。
いずれにしろ、双方とも、充分な客観的資料にもとづいて著書を書き、一方では名誉毀損を理由に訴えを提起したのなら、最後まで徹底的にみずからの信念を貫くべきであろう。自分に自信がなければ書いてはならず、また訴えを起こしてはならないのである。つまり、著者の側にも、訴えを起す側にも充分な注意義務が要求されるわけである。
 
2/2「特高スパイ事件 - 和久峻三」中公文庫 法廷生態学 から
 
ー死者の名誉とマスコミー

[補遺]

この事件は、昭和五十八年三月になって、大阪地裁堺支部において判決が下された。
実に、二年半に及ぶ審理が行われたわけである。
判決書の全文は、「判例時報」一〇七一号(昭和五十八年五月十一日号)に掲載されているから、興味のある人は読んでおかれるとよい。
ここでは、その要点だけを指摘しておくにとどめる。
本件民事事件の原告となった故西東三鬼氏の遺族からの請求は、つぎの三点だった。
故西東三鬼氏自身の名誉を毀損したことによる謝罪広告を日刊新聞に掲載すること。
故西東三鬼氏の遺族の名誉をも毀損したから、同じく日刊新聞に謝罪広告を掲載すること。
遺族に対して、慰謝料 として二 百万円を支払うこと。
故西東三鬼氏の遺族は、著者のK氏と出版元のD社に対し、この三点を請求して、訴えを提起したのである。
判決は、このうち、とについては、故西東三鬼氏の遺族からの請求を認めた。
「故西東三鬼氏が特高のスパイであった」という意味のことを著書に書き、これを出版したことについて、被告の側には、少なくとも過失があった。つまり取材不充分であり、問題の個所は、憶測による記述であったと言わざるを得ないと、判決はのべている。
こういう結論に達するまでには、裁判所としても、事実の認定に、ずいぶん苦労したらしい形跡が判決書からも窺われるが、ここで、その全文を掲載するわけにもいかないのが残念である。
の慰謝料についてだが、裁判所は、三十万円しか認めていない。
名誉毀損事件では、原告の主張が認められたか、どうかが重要であることを思えば、慰謝料の多寡は、さして大きな問題ではない。
ところで、について、裁判所は原告の請求を認めず、この意味でも、遺族側は一部敗訴したことになる。
ここでは、死者に対して名誉毀損が成立するか、どうか、そのことが大きな争点になっている。
明確な根拠なくして、「故西東三鬼氏は特高のスパイだった」と書物に書かれたら、遺族としては我慢がならないだろう。
そのため、遺族を救済する必要はある。(について、裁判所が遺族の言い分を認めたのも、こういう事情があるからだ)
しかし、このことは、「遺族の名誉が損なわれているのであって、故西東三鬼氏自身の名誉が損なわれているわけではない」という疑問が提起される余地が大いにある。
仮に、死者に対して名誉毀損ということがあり得るとしても、墓の下に眠っている人が「おれの名誉を毀損したから、おれに対して、『申しわけないことをした』と謝罪広告を新聞に掲載しろ」と請求できるか。これが最後の問題として残る。
死者自身が訴えを起すことはできないのである。
死者は、すでに法主体性を失っているからだ。死んでしまった人間が権利を行使できるわけがないし、義務も負わない。つまり、法律や裁判とは無縁の存在となってしまったのだ。
「では、死者の相続人が死者にかわって、謝罪広告の掲載を求めたら、いいじゃないか?」と思う読者もいるだろう。
まさに、故西東三鬼氏の遺族は、その論法でもって、の請求をしたのであるが、裁判所は「実定法上の根拠を欠く」という理由で、請求を棄却した。
平たく言えば、根拠となる法律の条文がないという意味だ。
ところで、この事件は、判決に対して、双方から不服の申立て、つまり控訴の申立てがなかったために、第一審限りで確定し、もはや、争う余地がなくなった。
控訴しなかった事情について、著者のK氏と出版元のD社側は、「裁判所が三鬼をスパイでないと積極的に認定したが、歴史上の事実を裁判で争うのは適当でない。歴史を書く人が裁判所外で論争すべきであると認識しているので控訴しないことにした」(「日本経済新聞」昭和五十八年四月八日朝刊)というが、この考え方そのものは傾聴に値する。
極端な例だが、もし、徳川家康が始末におえない悪人であったという意味のことを、具体的な事実をあげて指摘し、書物を書いたとしよう。
それを読んだ徳川家の当主が、「これはけしからん。謝罪広告を出せ」と著者と出版社を相手どって裁判を起こしたら、どうだろうか。
歴史上の事実というものは、資料不足のせいもあり、真偽不明のところを推測で補う必要がある。にもかかわらず、推測で書いたとして、慰謝料の支払いを命じられたり、謝罪広告の掲載を求められたりする危険を犯して、歴史研究を行い、歴史小説を書かなければならないとすれば、それこそ、学問の自由、言論の自由にかかわる大問題ではないのか。
それを考慮にいれ、民事上も、刑法の規定と同様に、真実でないのを知りながら、「故意」に死者の名誉を毀損した場合か、過失だったとしても、あまりにも不注意すぎると非 難されても弁解の余地のない「重大な過失」が認められるケースに限定して、慰謝料なり、謝罪広告の掲載を命ずるべきであるという、有力な学説があらわれた。
前掲「判例時報」のコメントにも、この学説が引用されている。
本件が、それに当てはまるか、どうかは別として、考え方としては、わたしも賛成である。