2/2「食物の美 - 吉田健一」中公文庫 私の食物誌 から

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2/2「食物の美 - 吉田健一」中公文庫 私の食物誌 から

併しここでは、食べものの話をしているのである。子豚の丸焼きのことを書いたが、聞いたことしかない南米の牛の丸焼きは、美学的な見地からすればどうだろうと、大したものであることが想像されて、これ程、人間の食欲を満してくれるものならば、それが美であってもよさそうな気がする。もっと規模を小さくした所で、鶏の丸焼きが大皿に各種の添えものに囲まれて載っているのは、これにも或る程度の聨想が働いているとして、そのほんのり焦げた皮に包まれている具合など、美観であることが多い。七面鳥に就ても同じであるが、これは相当な料理人が作ったのでない限り、味も素っ気もない鳥で、そのことが頭にあるから、綺麗だと感じたりする前に、七面鳥かと思ってしまう。食べものはまずければ駄目だという鉄則がそこにあって、まずいと解っていながら、綺麗も汚いもない。そう言えば、これは西洋風の婚礼の料理に出る伊勢海老を焼いたのにマヨネーズが掛っていて、その上にオリーブだか何だかを花の格好に切って置いたりしたのなど、外観だけはそんなに悪いものではない。併しこれは、先ず大概の場合、まずい。
尤も、味と外観が全く関係がない訳でもないので、それを示すものにマーマレードがある。例の、柑橘類の皮を使ったジャムで、誰でも知っているものであるが、これは勿論、苦味が勝っているものの方が甘ったるいのよりも遥かに旨くて、その違いは色を見れば直ぐ解る。この頃は甘ったるいのが普通のようで、薄い黄色をしたそういう一般向きのものならば、どこでも売っている。併し苦くて旨いのは、これは確かに美しい暗褐色をしていて、この色のものならば間違いない。そう言えば(マーマレードの本場は英国である)、英国の朝の食事はなかなか見た眼に綺麗なもので、マーマレードの色、バタの黄金色、卵の白、ベーコンの海老茶などが瀬戸物の茶器の色に加って、何か派手な感じがする。前に、河豚の刺し身とそれを並べた皿のことを言ったが、食べものというのはどうもその入れものと切り離せないようで、西洋料理でも、銀、稀には金、それから瀬戸物の各種の食器が料理と一緒になって、これを別々に考えることは難しい。
例えば、これも前に挙げた鶏の丸焼きでも、或は鮭や鱒を一匹、まるごと料理したのでも、これが銀の大皿に載って芹の緑などで囲まれていることで一層引き立って見える。その点は日本料理の方が更に発達しているかも知れなくて、大体、日本料理は眼も喜ばせる食べものが多いが、入れものにも趣向が凝らしてあって、乾山の鉢を見てそれに盛る料理を考える料理人もいる。日本料理の方がではなくて、一つの膳に載せた食事を視覚的にも充分に満足出来るものにする工夫の点では、日本料理は世界で最も発達したものではないだろうか。その講釈を聞いていると、煩さくなる位である。併しただ食べるだけのことの為にも、それまでに念を入れるに至った文明が如何に豊かなものであるかということは考えて見ていい。余裕がなければ出来ないことで、ここまで言っているのは、精神の余裕のことである。それをなくしたのを自慢にしているというのは情ない。
併しながら、繰り返して言うように、そしてこれは日本料理でも、食べものは旨いことが第一であって、それがどんな風に見えるかは二の次の問題であり、この二つが一致すればいいが、一致しなければ、旨い方を取る他ないし、又、一致しない場合がどうも多いようである。勿論、これは何も、見た眼に汚らしい感じがするというのではないので、寧ろ、美醜の点からすれば、どうということはないのだと言うべきかも知れない。併しそういうものに旨いものが多くて、例えば、おでんである。あの煮染めた色や、見馴れた格好は、美学的にはどういうことになるのか解らないが、兎に角、旨い。又、旨いおでん程、がんもだとか、ふくろだとか、こんにゃくだとか、大根だとかがただぐつぐつと湯気が立つ鍋の中で煮えているだけで、その幾つかを掬い上げて入れて貰う皿にも、大して工夫の余地はないようである。そんなことを考える暇もない味がする。
焼き鳥、粕汁、かやく飯、或は鰻、?、鰯などの蒲焼き、と頭に浮ぶままに食べて旨いものを並べて行って、これは美と称するに足ると思われるものに出会わない。西洋でもそのようで、蝸牛の焼いたのは、眼が馴れるまでに時間が掛る。鷸[しぎ]をまるごと焼いて頭も付いているのは、その頭が殊に旨い料理ではあるが、これは絵に書いて楽しめるようなものではない。フォア・グラ、というのは鵞鳥の肝を特殊な具合に処理した、柔いチーズに似た外観のものも、食べると何か天国にでも来たかという感じがしても、見た所は、つまり、柔いチーズである。そのチーズに何十種類、何百種類あるか解らないが、例えば、英国のマーマレードがいい色をしているから旨いというようなのはない。併し旨そうな色をしているのはあって、ここにも、美学的に言って或は面白いのかも知れない問題がある。というのは、旨そうに見えるからそれは我々に快感を覚えさせるが、それ故にそれを美しいと考えていいのだろうか。
(以下-略)