(巻二十三)転んでもいいではないか秋の天(松浦力)

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10月13日日曜日

お陰様で人的、物的、施設的な被害を受けずに現在(朝8時半)に至っております。
葛飾区の水害の方は9時をもって避難勧告が解除されたが、昼を過ぎても強風は収まらず。

夏の月あらしのあとの余り風(藤田あけ烏)

成人女性は溜めて置いた水の捨て時を悩んでおりしたが、ニュースで全国の被害の規模を再認識し、また千葉では断水が発生したとの報道を受け、まだ警戒体制を完全に解除せず飲料水の詰め替えをすることにしました。

大嵐分水嶺の北南(潤)

あたしはお陰様で一日中ラジオを聴きながらの読書三昧でございました。

地球

べティがOne paragraph essay club に台風後のことを書いてくれました。皆さんにリアクションをお願い致したい。

本

「夜の蹄の音 - 五木寛之集英社文庫 地図のない旅 から

70年ころの随筆だからあの頃の五木氏らしい作品だな。立石なんか出てきて、確かに立石がそんな場所であったのかなあという雰囲気は今でも残っています。(写真は今年の春撮影)

《 と、いうわけで、私は北千住とか、立石とか、北品川、武蔵新田とかいった場末の娼家の暗い部屋で、いっこうに帰ってこない東北出身の女のペタペタと引きずるようなスリッパの音を待ちながら、ロシア世紀末作家たちの小説を拾い読みしたりすることに一種の楽しみを見出していた。
実際、そんな場所で読むにふさわしい小説というものは、確かにあるものである。私は〈カスバの女〉だとか〈長崎ブルース〉だとか言った流行歌を、蒲田や川崎あたりのちょっと荒っぽいスタンド酒場で聞いてひどく気に入って、そのレコードを買ってきて家のステレオにかけ、正座して聞いてみると全く心にうったえかけてくるものがないことを発見するといった経験が、しばしばある。》

仲秋や場末映画にカラマゾフ(井上惟一朗)

本

「貧乏物語 一の三 - 河上肇岩波文庫 貧乏物語 から

貧乏の定義をしてます。

《 かくのごとくして、食費のほか、さらに被服費、住居費、燃料費及びその他の雑費を算出し、それをもって一人前の生活必要費の最低限となし、これを根拠として貧乏線という一の線を描く。しかしてこの線こそ、実際の調査に当たり、私が先にいうところの第三の意味における貧富の標準となるもので、すなわちわれわれは、この一線によって世間の人々を二類に分かち、かくてこの線以下に下がれる者、言い換うればこの生活必要費の最下限に達するまでの所得をさえ有しおらざる者は、これを目[もく]して貧乏人となし、これに反しこの線以上に位しそれ以上の所得を有している者は、これを貧乏人にあらざる者と見なすのである。》

貧乏に追ひつかれけりけさの秋(蕪村)

一応、今は線の下ではない。兎に角
必要線が下がって来ている。酒は二合が精一杯だから五合飲めない。飯は軽く一杯で、肉は食いたくない。背広は着たくないし、革靴は履かない。ブランド物に関心はなくネクタイも要らない。居住空間は静かであれば四畳半でいい。電器器具は今使っている程度の携帯とFM葛飾が受信できるICレコーダー・ラジオだけあればいい。あとは句帳だな。

身の丈で生きて知足や去年今年(井上静夫)