「富士見坂 - 横関英一」中公文庫 江戸の坂東京の坂 から

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「富士見坂 - 横関英一」中公文庫 江戸の坂東京の坂 から

江戸時代から富士見坂という名称を持った坂が、今でも東京の各所に存在する。大概は西向きの坂であるが、まれには南向きの坂もある。今日では、その坂の上から富士の見える坂は少ない。文明が、富士見坂から富士を駆逐してしまうのである。ことに南向きの坂からは、全く富士を見ることはできない。坂の両側が比較的開豁[かいかつ]であった昔ならば、真西でなくとも、たとえ坂の向きが南であろうが、北のほうであろうが、富士は自由に見られたのである。今日では、日ごとに高いビルなどが、坂の下にはもちろんのこと、坂の中腹にすらどんどん建てられるので、よほどの高い坂でないかぎり、または、富士に直面した坂でないかぎり、昔のように富士を見ることはできなくなってしまった。
渋谷の宮益坂は、もとは富士見坂と言ったのであるが、今日ではもう富士は見られない。坂のふもとの左側に東横デパートができてから、ちょうどその陰に隠れて見えないのである。しかし、このデパートの屋上からは、左右に邪魔のない富士を見ることができる。
江戸の昔から富士見坂と呼ばれて、その名のとおり、いつもりっぱな富士の見えた坂は、九段の靖国神社北わきの富士見坂と衆議院議長邸(戦前の赤坂見附閑院宮邸)前の坂、も一つは大塚仲町護国寺前の坂であったが、今ではこれらの坂からさえ富士を見ることはできなくなってしまった。
空の晴れた寒い冬の朝などに、これらの坂の頂上にたたずめば、正面高く、銀色に輝いた富士を望むことができたものである。また、秋の夕暮などには、広重好みの宵空の中に、影絵のように浮かび出た版画の富士を見ることもできたのである。ところが、とうとう東京の富士見坂からは一、二の坂をのぞいては、ほとんどもう富士を見ることができなくなってしまった。
一体、東京から見える富士山の方向は、真西ではない。三〇度ばかり南寄りに見えるので、坂の向きがその方向ならば、今日でも、その坂の上から富士はよく見えるはずである。
富士見坂という名称は持たなくとも、昔から富士がよく見えて、錦絵その他に写されている坂の一つに、目黒の行人坂がある。目黒川に架かった太鼓橋東詰の雅叙園のところから、大円寺の前を目黒駅のほうへ上る坂である。この頂上から見る富士は、長谷川雪旦の「富士見茶亭」のところから見る富士と、同じ構図の富士を、最近まで見ることができたのであるが、今日ではもう目の前に、高いビルがいくつも建ち並んでいて、どうしても富士を見せてはくれない。
水道橋駅のところから神田川に沿って駿河台へ上るサイカチ[難漢字]坂と、神田川をはさんで、これに並行した本郷の御茶の水坂とは、四、五年前までは、昔の絵と変わらない美しい富士を見せてくれた。ことに、サイカチ坂の上からは、靖国神社の大鳥居と大松閣の白い建物とのちょうど中間に、富士が見えたものである。御茶の水坂からは、東京歯科大学の建物の左のほうに見えた。この二つの坂は、なぜ富士見坂とよばれなかったか、不思議に思ったものである。
しかし、これらの坂の上からはもう富士は全然見られない。サイカチ坂の西南方には高いビルが並んでいて、坂はビルの陰につぶれてしまっているようだ。
昔は富士見坂から富士が見えるのは当たり前の話で、珍しいことではなかったが、今日では富士見坂とはかぎらず、すべての坂の上から、たとえその坂が西向きであったとしても、富士が見えるとはかぎらなくなってしまった。
小石川植物園のそばの御殿坂も、ずっと昔は富士見坂と言われたものである。この坂は享保のころには富士も見えたそうだが、その後、約八十年たった文化のころになると、もう富士は見られなくなってしまった(『江戸誌』)。もちろん今日ではなお見られない。麻布桜田町の専称寺前辺から西に下る坂と、同じ麻布の富士見町のフランス大使館から西に下る青木坂も、かつては、富士見坂と呼ばれていたのであるが、早くから富士の見えない坂になってしまっていた。駿河台の明大図書館わきの富士見坂、小石川茗荷谷町の富士坂、これらの坂からも富士はもう見られない。これらはみな名ばかりの富士見坂である。
ただ今日でも昔に変わらず富士のよく見える坂がある。それは日暮里の諏訪神社入口のところの浄光寺門前から法光寺わき(日暮里三丁目九番十六号)を西へ下る坂の頂上からは、真西ではないが、少し南のほうにそれて空高く大きな富士を見ることができる。この坂は花見坂と言い、富士見坂という別名もある。しかし富士山の右、たぶん千駄木辺に、大きなビルが建っていて、やがて、これに並んで左のほうにもビルが建つようなことになれば、この数少ない富士見坂も、またまた名ばかりの富士見坂になってしまうであろう。
もう一つ、港区南麻布四丁目(旧富士見町)の富士見坂(青木坂とも)の北に並んでいる新富士見坂の上からは、まだよく富士が見える。坂の曲り角に富士見町町会で立てた「新富士見坂」の碑があって、昭和四年十一月と記してある。これはもちろん新坂である。
これで富士の見える富士見坂は、現在東京にはこれら二つの富士見坂があるだけとなった。