1/2「親と子- 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から

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1/2「親と子- 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から



人間は他の人間と自由にまじわることができる。あるいは、まじわる相手を自由にえらぶことができる。あるいは、まじわる相手を自由にえらぶことができる。学校の友だち、職場での友人、恋人、そして夫婦でさえも、それぞれの当事者の自由な選択によって成立している人間関係だ。
相手方に誰をえらぶかは、ある意味では自由であり、べつな見方からすれば偶然である。ふとめぐりあい知りあった人びと - その人びととわたしたちはつきあって生きている。仲よくなるば一生をつらぬいた、親しい友人関係をとりむすぶこともできようし、けんかをして、それでお互いふたたび顔をあわせない、といったようなことになるかもしれぬ。
とりわけ、現代のように、都市化がすすみ、偶然性の高い社会では、人間関係は、ふと結ばれ、そしてふと消えてゆく一時的なものであることが多い。学校の友人にしても、それは卒業後数年間で、いつのまにかごぶさたになってしまう。すくなくとも、そのような人間関係では「ごぶさた」がゆるされるのである。
しかし、そのように自由な人間関係のなかで、ひとつの例外がある。それは、血縁の関係、とりわけ親子の関係である。友人だの隣人だの夫婦だのは、「えらぶ」ことができるが、親子関係だけは、「えらぶ」ものではない。人が生まれた瞬間に、親子の関係は宿命的にあたえられてしまっている。こればかりは、誰にも、どうにもならない。
そのうえ、人間という動物は養育期間がながい。「親がなくても子は育つ」というのも真実だけれども、親がわりになるおとながいなければ人間の乳幼児は死んでしまう。そして、ふつうのばあい、子を育てるのは親である。親子というのは、人間にとって、のっぴきならない関係なのだ。自由にみちあふれた現代の人間関係のなかで、親子だけは、まったく別枠の関係なのである。そこでは、人間関係一般についてのさまざまな原則はあてはまらない。どんな社会、どんな時代にも、こうした特殊関係として親子関係は生きつづけ、そのことによって、人類の歴史はつづりあわされてきた。そして、ついこのあいだまで、そういう親子関係は、ごく自然なものとして誰もがうけいれていた。
しかし、現代のひとつの特徴は、親子という関係が「問題」化してきた、ということであろう。むかしのように、親子は自然なスムーズな関係ではなくなってきたのだ。新聞の身上相談などをみても、親子「問題」がぐんとふえてきた。いわく、どうやって子どもを育てたらいいのでしょう。いわく、親がわたしを理解してくれません、どうしたらいいでしょう。.....親子のあいだには、あきらかに、深い溝がうまれてきている。
なぜ親子が「問題」してきたのか、いくつもの理由をあげることができる。
まず第一に、変化する社会のなかで親と子の経験がまったく異質化してしまった、という事実に注目したい。かつて、社会が「伝統」社会であったとき、親と子は、おなじ経験を共有していた。子を育てながら、親は、じぶんが子どもたったころのことを回想することができたし、その子どもをこれからどんなふうに育てていったらいいか、についても確信をもつことができた。
どんなふうに子どもを育てたらいいのでしょう、といったような疑問は、伝統社会の親からみれば想像を絶している。子どもの育てかた - それは、きわめて簡単だ。じぶんが育てられたのとおなじように育てればよい。それだけのことなのだじぶんの子どもは、将来、じぶんとおなじようになるだろう、と親は考え、また、子どもは、親とおなじような人間になりたい、と考えた。いわば、そこでは、子は親の「複製品」だったのである。
ところが、現代社会での様子はだいぶちがう。おむつのあて方、授乳の仕方までが、ひと時代まえとすっかりかわってしまった。親は、じぶんが子どもだったときの経験を思い出してそれによって子どもを育てるのではなく、育児書をひもといて子どもを育てる。乳児経験の段階から、親子のあいだには、大きな落差がつくられているのだ。
社会が進歩し、変化するかぎり、この落差は避けられない。子どもは親とちがった存在になる。そしと、この落差から、さまざまな問題が派生してゆく。完全な保護者・教育者としての親と、完全な被保護者・生徒としての子、という安定した関係はグラつき、親子のあいだには、一種の緊張関係がうまれてゆく。
 


こうした緊張関係を、親は人為的につよめてゆく。じぶんは十分な教育をうけることができなかった。だからせめて子どもには高等教育をうけさせてやりたい - 親は、そう思う。そして、そう思った瞬間から、子は、親とちがうあらたな世界にとびこんでゆく。
明治以来、これまで百年の日本の親子の歴史は、そのようにして親とちがった道を歩む子の歴史であった、といってもよい。
おびただしい数の若ものたちが青雲の志を抱いてとび出した。そして、あたらしい社会のなかでかれらじしんの生き方を発見した。親はそれを黙って見守り、あるいはそれを力づける。子が親のたどった軌跡をふたたび追う、ということは、すくなくなってゆく。
徳富蘆花の『思出の記』に出てくる菊池慎太郎などは、親の世界からとび出して、じぶんの世界に足をふみ出す子の原型だ。九州の片田舎に生まれた慎太郎は、はやくに父を失い、母親の手で育てられる。伯父の家の厄介になりながら勉学をつづけるが、結局のところ、都会に出て、大学にすすむことを決意する。家庭の事情で、母子が正式に別れのことばをかわす暇もない。慎太郎は、眼を赤く泣き腫らしながら、書置きを残し、旅に出る。
「.....仕度と云っても、大したことはない。平常[ふだん]の綿入、綿入羽織、白木綿の兵児帯、薩摩下駄、頭は古びた黒の帽を冠って、手拭は腰につけ、僕を東京に連れて行く六円の金は、古帯にくるむで、腹巻にし、母から貰ったがま[漢字]口は五十銭の銅貨を入れて袂にぶら下げてゐる。.....
最早[もう]日の出に間はあるまい、東の空はぼうっと金色さしてきた。僕は其東を指して、東京は愚か、道しあらば日辺にまでも到るの意気をもって、まつしぐら[漢字]に闊歩し始めた」

近代の親子というのは、このような「別れ」のモチーフを多かれ少なかれそのなかに秘めた関係だ。子は、一定の養育期間をすぎると、じぶんの道をじぶんの力で歩きはじめる。それをとめることは誰にもできない。
『思出の記』はいわゆる「成長小説」のひとつである。そして、この「成長小説」は、近代の人間だけが理解しうる小説のジャンルであった。『ヴィルヘルム・マイステル』だの『デヴィッド・カッパーフィールド』だの、西洋の「成長小説」を読んでも、そこにはあたらしい世界のなかにほうり出された子どもが、転変をかさねながらひとりの人格に育ってゆく過程がえがかれている。
だいじなことは、そこでいう「成長」が、家庭をはなれた社会のなかでの「成長」であって、家庭のなかでの「成長」ではない、ということだ。「成長小説」の主人公が「成長」する場は、家庭ではなく、変化のはげしい社会なのである。
親と子の心理・物理的な「別れ」 - くどいようだが、それは、むかしの社会にはなかった。
農民の子が農民であり、大工の子が大工であるような社会、そこでは親は教師であり、また社会の代表者でありえた。
しかしゆれうごく近代社会での親は、もはや教師ではない。親は、旧世代のひとりであるにすぎぬ。子は親をのこして、つきすすんでゆく、いや、つきすすんでゆかなければならない。そのことを親も子も心得ている。
しかし、そうはいうものの、親子の「別れ」は、他人どうしの「別れ」のようなドライなものではない。人間関係一般についてのさっぱりしたところが親子関係にはない。なにものかが残るのである。
菊池慎太郎は、やがて苦学力行の甲斐あって評論家になり、母を呼びよせ、幸福に暮らしてゆくことになる。
しかし、そのときも、母子はただにこやかにほほえむだけで、互いの意思はかならずしも通じない。『きけわだつみの声』を読んだ唐木順三は、これら戦没学生の親に宛てた遺書のなかに「何にしても」とか「ともかく」とかいう、突然の「急屈折」があることに気がついた。いろんなことをこまごまと書いたあとで、「ともかく」と姿勢をかえ、俳句や和歌の世界にのがれてゆく、というのである。
「母と子が言葉では通じ合へないとまいふこの形は、恐らく誰でも多少の経験はあることだらう。.....言挙げせず、お互に別々の心を抱いたまま、それを越えた肉親の情で触れ合ふといふところへ無媒介にとびこえてしまってゐる」と唐木は指摘する。
 


このように、近代の親子には、程度の差こそあれ、「別れ」のモチーフがあり、子は親を離れてゆくものであった。そして「成長小説」の主人公はそのひじょうに幼い時期、多くのばあい十代のはじめに遍歴に出た。しかし、そのような「成長小説」の時代は、二十世紀のはじめにおわる。なぜなら、社会ぜんたいの高度化が進行してきたからだ。
ひとむかしまえまでなら、十歳で親と別れ、修行を積んでひとかどの人間になることができた。丁稚から叩きあげる、というやりかたで人間は「成長」することができた。しかし、現代社会では、それはむずかしい。社会ぜんたいの高学歴化がすすんでいるから、十代の前半に遍歴に出る、という仕方で「成長」をとげることは、よしんば不可能でないにしても、たいへんむつかしくなってきていり。高校、そして大学に、少なからぬ数の若ものたちは通う。
「成長小説」の主人公たちは、十歳で、じかに「社会」と接触し、「社会人」になった。しかし、いまはちがう。十歳では、まだ義務教育さえおわっていない。高校を卒業して十八歳、大学を出て二十二歳。その年齢まで勉強しなければ、一人前の「社会人」になれないかもしれない。遍歴のスタート・ラインは、現代社会では、ずいぶんさきまでのびてしまったのだ。
もちろん、苦学している若ものたちもたくさんいる。しかし、高学歴化ということは、なんらかのかたちで親のスネかじり期間がのびる、ということである。菊池慎太郎は十代で遍歴をはじめたが、現代の息子たちは、二十代まで親の絆から「別れ」ることができない。それだけ、べつなことばでいえば、「養育期間」がのびているのである。
志賀直哉の『和解』に出てくる順吉、漱石の『それから』の代助 - そうした小説の主人公は、「のびた養育期間」によってうみ出された父親への大きな負い目に身うごきがとれなくなった人物たちであった、とはいえないか。代助は、みずからがうけた高等教育のゆえに、父の行為や思考をあざわらっている。しかし、同時に、そこまでの学資を出してくれた父、のらりくらりと毎日を送っている自分に生活費を送ってくれる父にすがらなければならなあない。
ここにあるのは、現代親子のひとつの逆説である。いっぽうには、はげしい技術革新と社会の変化がある。それは、親子の世代差をますますひろげてゆく性質のものだ。菊池慎太郎の母は慎太郎と相互に理解しあえなかったが、その数倍、いや、ことによると数十倍の落差が現代の母と子のあいだにはある。その落差をもつことを、親も子も覚悟し、また期待しているのである。親と子の「別れ」の感覚は、潜在的に、ますます深く、ますます痛みをふくんでいる。ところが、その「別れ」のためには、子はより長い期間にわたって、養育期間、あるいは「前社会人段階」を送らなければならぬ。
親子の落差は、ますますひろがり、しかも、それをひろげるために、子は、むかしより、はるかに多くのものを親にあおがなければならない。それは、きわめて逆説的な関係というべきであろう。
かつて十代で「自立」した青年は、親との落差を、その「自立」によって埋めあわせた。すくなくとも、埋めあわせることができる程度に、落差はせまく、「自立」には意味があった。だが、現代の親子の落差は、あまりにも大きく、それを埋めるべき「自立」は十代ではなく、二十代、ばあいによっては三十代にまで延期される。
ということは、とりもなおさず、現代の親子には、ふたつのまったく相反する力学が作用しているということだ。いっぽうでは、親子の「別れ」感覚は、ほとんど絶望的なまでに深刻化し、他方てば、子の親にたいする依存度はかつての社会では想像もつかなかったほど高くなってきている。
よくいわれることだが、ついこのあいだまで、中学の入学試験に親がつき添うなどということはなかった。しかし、いまでは大学入試にも親がついてくる。さきごろきいたはなしだけれど、昨年あたりから、子どもの入社式場にまで、親がつき添う例があるそうだ。
わたしは、入社式場での親子の風景を想像する。親子は、おそらく、ほほえみあっているだろう。だが、親子それぞれの心のなかにあるものは、まったく、水と油のように、とけあうことがない。