(巻二十三)月光を生み出す闇の力かな(山崎十生)

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10月28日月曜日

細君のおともで柏の高島屋へ出掛けました。
開店と同時に本館入店し、エレベーターで7階へ上がりました。
7階の今日最初のお客様として通路(花道)を静静と進みますと通路両側に並んでいる店員さんからの御挨拶をつぎつぎに頂きました。あたしゃ調子に乗って帽子を軽く振りながらヤンゴトナキ方の真似をしながら寝具売場に至りました。

そこで敷物を調達してから8階に上がり時計売場で細君は腕時計の電池取替えをお願いし、目覚まし時計を購入した。あたしゃラジオ、時計、USB端子付き手回し発電機(五千円)を衝動買いいたしました。
再度7階にもどり、クッキングナイフ、トレイを買った。
ここで本館からS館へ移動し、成人女性はベビー用品売場で
友人の孫の誕生祝いを仕入れておりました。

ここからS館専門店館のハンズに移動し成人女性はクリスマスカードを買い、成人女性は衝動的に防災用品の簡易トイレ袋を買い込んだ。

平日の“百貨店”は高齢の女性店員さんと高齢の女性客との活動の場のようです。

そして、成人女性の買い物の御供は疲れ
る。昼はイートインでサンドウィッチと珈琲、夕食は京樽の茶巾とスープの残り物。
あたしゃ文句はございません。腹が空いていたのでどちらも大変美味しくいただきました。

ラジオ

帰宅してラジオをセットアップしたら、FM葛飾がきれいに入る。嬉しくなり時刻合わせなどして本格供用といたした。

枕辺にラジオ引き寄す夜長かな(^荒井ハルヱ)

本

「たき火 - 国木田独歩」角川文庫 武蔵野 から

《北風を背になし、枯れ草白き砂山の崕[がけ]に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖より帰る父の舟遅しとまつ逗子あたりの童の心、その淋しさ、うら悲しさはいかがあるべき。
御最後川の岸辺に茂る葦[あし]の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半の満汐に人知れず結びし氷、朝の退潮[ひきしお]に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水[み]ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停[と]めしとき、何心なく見廻して、何らの感もなく行き過ぎうべきか。見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前の杜なり、木がらしその梢に鳴りとつ。》

で始まりますが、爺としては以下の終盤が心に沁みます。

《 昔の火は楽しく、今の火は悲し、あらず、あらず、昔は昔、今は今、心地よきこの火や。いう声は震いぬ。荒ら荒らしく杖を投げやりつ。火を背になし、沖の方を前にして立ち体[たい]をそらせ、両の拳[こぶし]もて腰をたたきたり。仰ぎ見る大ぞら、晴れに晴れて、黒澄み、星河霜[せいかしも]をつつみて、遠く伊豆の岬角[こうかく]に垂れたり。
身うち煖[あたた]かくなりまさりゆき、ひじたる衣の裾も袖も乾きぬ。ああこの火、誰[た]が燃やしつる火ぞ、誰[た]がためにとて、誰[たれ]が燃やしつるぞ。今や翁の心は感謝の情にみたされつ、老の眼[まなこ]は涙ぐみたり。風なく波なく、さしくる潮[うしお]の、しみじみと砂を浸[ひた]す音を翁は眼[まなこ]閉じて聴きぬ。さすらう旅の憂[う]きもこの刹那[せつな]にや忘れはてけん、翁の心、今ひとたび童の昔にかえりぬ。》