「マッチポンプ - 宮口精二」文春文庫 巻頭随筆3 から

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マッチポンプ - 宮口精二」文春文庫 巻頭随筆3 から

何んの因果か「十三日の金曜日」にこんなことを書く破目になった。ラスベガスのヒルトンホテルとかが火災を起し、死者何人重傷多数と云う記事が新聞に大きく載ったが、つづいてこれがホテルのウェイターの放火と判り、御叮寧にも消火栓には可燃性の薬品が詰めこまれていたと云う。マッチポンプとは正にこの事を云うのであろう。こんな御念の入った放火にあっては、如何な大ホテルでも大火になるのは必定、日本のホテルとて油断は出来ない。猿真似のうまい日本ではすぐに真似をする不逞の輩が出ないとは保証出来まい。最近は見てくればかり立派でその実お粗末な、我々素人でも手抜き工場と思われる建物が多いのだから、御用心御用心である。
それはさておき、マッチポンプと云えば、雑誌の編集者と云うものも、社会にそうした実害は与えないとしても同じようなもので、他人には何か書け書けとけしかけて問題を提起させる辺りは、放火犯がここぞと目星をつけるのとよく似ている。かく云う私も十年前から「役者のつくる役者の雑誌」と云うキャッチフレーズで同業の芸能人に呼びかけて、私個人で「俳優館」と云う季刊雑誌を発行している素人編集長である。
「どうせ三号で潰れるだろう」と人にも云われ、自分でも「それでも良い」と思って踏切った。案の定、途中何度か「これでもう沈没か?」と云う目にも会ったが、何とか持ちこたえて何時の間にか十年と云う月日があっと云う間にたった。十年と云う歳月は永いようでもあり短くもあった。こんな吹けば飛ぶような小雑誌だから、十年記念号などとことさらな事をする気もない。第一、年四回発行なら当然四十号と云う事になるのだが、やっと今、三十五号を出そうとしているのは、役者と云う本業の余暇を縫って、乏しいポケットマネーでやっているのだから、一冊出す度にやれやれと一と息ついているうちに、すぐ次号発行を迫られ、間際になって慌てふためいているから、合併号を出したり押せ押せが重なって号数の辻褄が合わなくなっている。道楽雑誌と云われて仕方ない所以である。
もともと私は物ごとを理詰めに考えたり、論理的に話を進めてゆくと云う事は苦手で、どっちかと云うと衝動的に思いついた事を、前後の事も考えずに手を出したり、話も先に結論に持ってゆく傾向がある。それが旨くゆけば小才の利いた人間として買被られたりするが、兎角あとで“早まった”と臍を噛むことが多いのだが、どっちにしても余り利口なやり方ではない。始めのうちは普段、ゴルフをやったり、バー遊びをする訳ではないから、そんな事を思えば少し位の赤字は何とか出来るさ位で始めた。事実その当時はそれで済んでいたが、そのうち物価はどんどん上ってゆく、郵便料金は年々値上りする。一方、私の出演料は「物価が上るのは東宝の故[せい]ではありません」と洒落みたいな言葉で突っぱねられて仲々上げて呉れないから、昨今は年々減給されているようなもので、生活費にまで喰い込んで来ている。細かい事だが誌代も収入の少ない人の為に五百円(送料共)が限度と頑張って来たが、ここへ来て又々郵便料の大幅値上げでとうとう六百円にせずにはいられなくなった。その六百円の内二百円は郵送費である。切角発送しても転居先不明とか、新住居表示とかになって棒一本抜けても赤いハンコをペタンと押されてつっ返されてくる。これで又改めて二百円とられて引取らされる。踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂である。
創刊当時、全芸能人に呼びかければまず一万部は捌けるだろうと云ったら、宇野重吉ダンナに「そーんなに売れるけぇ」とまず笑い飛ばされて了った。ある出版社の人は「こう云う雑誌は仲仲売れませんよ。本屋の棚に並べても大きい雑誌の蔭にかくれてしまうし、紙のロスも大きい。第一、会員の誌代だけで賄うことはまず出来ないから、広告を沢山お取りなさい」と云う御忠告をうけ、ある人からは「絶対に他人を雇っては駄目、自分一人でやるつもりでないと永続きしない」等々々、今にしてそれが「成程なァ」と頷ける事ばかりである。
然し有難いことに原稿だけは毎号過不足なく集って呉れ、私の出しゃばる幕はない。ただ一つ、対談「安楽椅子」だけは私が担当していろいろな方々の「秘められた話」を伺って連載している。これは文学座から東宝に移って、思いがけない人達と一と月或は二た月楽屋住いをする機会があってこそ出来た。昔の仲間で先輩である中村伸郎氏との対談は、四十年の過去を振返ってのことだから、二時間やそこらのテープにはとても盛り切れず、二回に分けて連載した。これを読んで下さった里見トン先生から「今月の俳優館所載の君と伸郎君との対談なかなか得難いガンチクで面白かった御自愛ますます御精進を祈る」云々の直筆のお手紙を頂いた時は、本当に嬉しかった。その外にも素人編集長として十年続けて来た甲斐があったと秘かに自慢できるものも随分ある。これはわが「俳優館」にとって最大の勲章だと思っている。