(巻二十三)前略と激しく雪の降りはじむ(崇文彦)

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高架下の商店街


(巻二十三)前略と激しく雪の降りはじむ(崇文彦)

11月1日金曜日

謙虚なる十一月を愛すなり(遠藤梧逸)

今日よりは十一月の旅日記(星野立子)

秋晴れの暖かな一日となりました。

午前中は家事全般のお手伝いをいたしました。

午後は駅前に出て、先ずノジマで手動発電機から携帯に繋ぐケーブルを買いました。端子が合わないといけませんので念のため店員さんに確認して購入しました。
ついでにあたしのガラホから顔本に写真が載せられない原因を訊きましたところ、あたしのガラホの写真形式が顔本の受付形式に入っていないので出来ないそうです。残念!

*帰宅後試運転いたした。充電はできるけれどかなりハンドルを回しても目盛りは上がらないね。

仏壇に置かれた友のガラケー
バイブで知らすメールの着信(小島敦)

次に、本日一部改装オープンした駅高架下の商店街“ビーンズ”に入ってみました。
何かこの商店街には不似合いな洋品店が随分場所を取ったようだ。
場末の餅菓子屋“口福屋”が店仕舞いしたのが寂しゅうございますなあ。換わりに入ったのはクレープ屋か何か、そのような店でした。

あんみつの餡たつぷりの場末かな(草間時彦)

あたしがこの商店街で買うものは成人女性が外出した日の夕食の弁当です。
揚げ物の和幸、京樽の茶巾・巻物、か中華屋の炒飯・麻婆・プラスの弁当です。これに米八のおこわ弁当が選択肢に加わりました。
京樽の間口半分になり、その半分に同じ系統の寿司の三崎丸が入りました。寿司は魚屋でも売ってますから競争が激しそうですなあ。

何の鮨あるか見ている生身魂(西村麒麟)

夕方、日の落ちたころ成人女性に呼ばれ二人でお月見をいたした。きれいな四日月でしたよ。
あたしのガラホじゃ月は写せません。

本

「谷崎源氏の思い出 - ドナルド・キーン朝日文庫 日本人の質問 から

を読みました。

《 ところが、周知の通り、谷崎先生は出来上がった全訳をそのまま発表できなかった。光源氏藤壺との関係が不敬罪にあたるとされ、省略されてしまった。戦後企てられた二回目の谷崎源氏の動機は完全な訳を発表すると同時に、戦前の軍隊語を思い出させる「であります」体を「です」体にすることであったようであるが、新訳の仕事は旧訳に劣らないほど時間がかかった。昭和二十九年に訳了した十二巻の新訳については「旧訳に比べればあれでもよほど現代人に分りやすいように、丁寧すぎる敬語等を省いて簡潔を期したのである」と昭和三十九年に訳了した新々訳の序に述べている。新々訳の動機は、旧訳も新訳も旧仮名でかかれていたために、「若い読者層から疎[うと]んぜられている」と出版社から聞き、「一人でも多くの人に谷崎源氏を読んでもらう」ためには、多年の節をまげることも止むを得ないとされたからのようである。》

丸谷才一氏をはじめ、旧仮名で書く方は多かったようです。俳句も流派によっては旧仮名を墨守しているようですなあ。
あたしゃ無学ですから“いる”と“ゐる”の違いが分かりません。

旧仮名は媚薬のごとし初御籤(高木一惠)