「中国の味を伝えるサツマ汁 - 檀一雄」中公文庫 美味放浪記 から

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「中国の味を伝えるサツマ汁 - 檀一雄」中公文庫 美味放浪記 から

宮崎からえびの高原を越え、林田温泉を過ぎ桜島を眺めやりながら、丘陵をうねってゆく道はいつ通っても、その点景に桜島の噴煙がなびいていて、楽しいものだ。
それにもまして、加治木のあたりから、錦江湾に沿って、鹿児島に辿りつくまでの、バスの展望が素晴らしい。殊に、桜島が夕陽を浴びて、暮れてゆくのを見るのは、悲しいほどの、美しさだ。
反対に、指宿から鹿児島に抜けてゆく道は、太陽が丁度桜島の真正面を廻る塩梅で、私にとっては平板に見える。それとも、桜島までの距離のせいかもわからない。
いつだったか、正月の元日前後、吹上浜から枕崎、指宿、鹿児島と右往左往したことがあって、藍の浦の葦の間から見た開聞岳を大層見事だと思ったことがある。
ところで、枕崎だが、高知と同じようにマグロの生乾し(或いは鰹の生乾し.....)があって、あれをやや厚目に包丁で削り、酢味噌などで喰べるのは、スペインのハモン・セラノをでも削って喰べるような味わいだ。もっとも、ハモン・セラノの方が、脂が勝っていて、スペインの酒には合っているかも知れぬ。
その枕崎で「カツオの腹皮」と云うのを、土地の人々は喰べているが、おそらく、鰹節を作る時に切り捨てる砂ズリのところを塩干しにしたものだろう。
おそろしく塩辛いものだけれども、これを酒にでも浸して塩抜きにし、焼いたり、大根と一緒に煮たりして喰べると、質素で、剛健な酒のサカナになる。
同じく、「鰹の腹子」は、屋久島の「トビ魚の腹子」同様、?びた味をよしとして味わうと、それなりの不思議なうま味が滲み出てくるから、やってみるがいいだろう。
その昔、丸鰯のミリン干しであったか、醤油干しであったか、山川港あたりで、いくら説明して探してみても見つからなかった。
大根の壺漬も、余りに有名になってしまって、次第に市販向に変化してきたのではないかと心配だ。
はじめて私が、鹿児島にやってきたときには、やっぱり、城山から俯瞰する桜島に感動したものだ。
眼前にせり出してくる桜島の威容に圧倒されて、しばらくは言葉も失ったほどである。
鹿児島から正対して、夕日に焼ける桜島は、何と云っても、日本の都市のなかでほかに見られないほどの、偉観だろう。
鹿児島で一番おいしいものは、やっぱり豚骨料理かもわからない。朝鮮料理で、俗に「ハモニカ」と云って喰べる骨付バラ肉、東京のデパートで、「スペア・リブ」と云っているよりはいくらか肉の身につけて、先ずまあ、中国の排骨料理の部分と思って貰いたい。
その黒豚(つまり中国系だ)の骨付バラを、ラードでコンガリと狐色に焦がすだろう。焦がした骨肉を長時間水煮して、焼酎と黒砂糖、少しばかり濃い目の味噌ダキに仕上げるわけである。一緒に入れる野菜類は、コンニャクだとか、里芋だとか、大根だとか、やがて、豚骨はとろけるようになって、骨を包む筋のあたりまで軟かく喰べられる。いや肋骨の軟骨の部さえコリコリと噛みとれて、あんなに素朴でうまいものはない。
その豚骨の味が、まんべんなくコンニャクや、里芋や、ゴボウや、大根にしみついて、焼酎のサカナには豚骨料理にまさるものはないのかも知れぬ。ただし焼酎と、黒砂糖が入っていないと、鹿児島本来の豚骨料理らしい味にならないから、用心が肝要だ。
豚骨料理だったら、市中のどこの一杯飲屋だって喰べられるだろうが、鹿児島料理一式、それも、キビナゴの刺身や、春寒[しゆんかん]まで喰べてみたいと云う人は、「重富」や「鶴丸」など、割烹旅館に出かけていって、はじめから註文しておかねばならぬ。
キビナゴの刺身の季節はいつだったかもう忘れたが、たしか晩秋の頃、「さつま路」で喰べ、宿に帰ってみたら、宿もキビナゴ、さて、その夜の招宴に出向いたら、そこもキビナゴと、キビナゴの刺身攻めに会ったことがある。
十センチにも足りないような細く、透き通るような小魚で、刺身に作るのは面倒だろうが、魚の肌の縞目がクッキリとしていて、目にも美しいお刺身だ。
「春寒」は粗野に見えて、実に贅沢な料理である。云ってみれば猪の田舎煮で、私は「重富」で喰べ、再び「鶴丸」で馳走になったが、この時、佐藤春夫先生御夫妻と御一緒にいただいたような記憶があるのは、何かの錯乱であるに違いない。
私は先生のお伴をして、熊本から引き返した筈だ。すると、その春寒の話を私が先生にして、先生が後に同じ宿に出かけられ、春寒を喰へてみられ、その思い出話になった時に、情景を一つに、混同してしまったのかもしれない。もっとも、もう今日では猪をつかった春寒など、おいそれと出来るわけがなく、豚の春寒だって上等の部と思った方がよろしかろう。
兎にも角にも、桜島の噴煙を眺めやりながら、キビナゴの刺身を喰い、豚骨料理をつつき、春寒を啜りながら、酒を飲める仕合せは、やっぱり鹿児島でなくては味わえないことだろう。
その昔、幼年の日に、「ボンタン漬」は先ずよいとして、「カルカン饅頭」のお土産ばかりは、私は閉口したものだ
しかし、年と共に、カルカンと云う菓子を、やっぱり天下の名菓だと信じるようになった。一度、桜島大根の大きいのを抱えて帰って家人な笑われたが、薄味で炊きしめると、シャブシャブとして、聖護院大根とはまったく違った歯ざわり、味であり、やっぱり、土地土地の味の変化の嬉しさを思うのである。