(巻二十三)嫌われることを力に蛇生きる(城内明子)

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(巻二十三)嫌われることを力に蛇生きる(城内明子)

11月6日水曜日

地球 One phrase essay clubへの参加申込みが数件ありましたが、申込者が短期間のうちに100近いグループに入っているのでお断りしました。

地球
ある散歩写真グループに入っていますが、皆さんが外国だとか、温泉だとか、名称旧跡、それにゴルフコースのお写真を載せてきます。
朝の散歩、夕方の散歩、深夜の散歩写真もありますが、豪遊写真は“お散歩”とはちとちがうのかな?とも思うところです。
が、まあ、あたしが貧乏人でヒガんでいるだけでしょうけど。

釣り銭を貯めて叶えん蟹の旅(鳥花月風)

地球
BBCの定時メールニュースが3時から4時に変わった。冬時間になったんだ?

ロンドンに着きは着きたり夜半の月(久保田万太郎)

パソコン

朝、出掛けに契約書を読み直してみました。使用者側は30日の通告です。従業者側の規定はないのでいつでもよいのでしょう。
どうせパートですし。またヒガみ。

漫談の吾れをうとみ冴え返る(徳川夢声)

午後は開き直ってネットで俳句探し!

惜しげなく呉れて教えず茸山(伊藤宇太子)

ひとの死はやはり
ひとごと鳥に雲(角野良生)

極月や左手使ふ不自由さ(長崎桂子)

を書き留めました。

本

「サーヴィス精神 - 三島由紀夫」角川文庫 不道徳教育講座 から

を読みました。三島由紀夫の文章は初めてかな?
全文はともかく、以下の冒頭は面白く読ませていただきました。そして、謎が一つ解けたように思いました。

《 人間ぎらいで知られた故永井荷風氏も、一旦会ってしまった人の前では、それなりにニコニコして、相手をそらさぬ応対をしたと言われ、これを世間では「都会人の弱気」と呼びます。文豪と呼ばれる某大家なども、会ってみるとこちらが恐縮するほどテイチョウ[難漢字]で、ある会合で、わざわざ私の外套を椅子の上からとって渡してくれたこともありました。世間で傲岸不遜[ごうがんふそん]でとおっている人でも、会ってみるとびっくりするほど当りの柔らかい例は、統計をとってみると、たしかに都会人に多い。吉田茂氏なども、お国は四国かもしれないが、こういう都会人の一人なのでしょう。
もちろん都会人のこういう「弱気」、当りの柔らかさ、サーヴィス精神などというものは、子供のときからの社会的訓練のあらわれで、エゴイズムによる自己防衛の本能のあらわれです。あるいは又、そこはかとない恐怖心のあらわれです。人間関係が、あらゆる人間ぎらいの底にはひそんでいます。》

本日の写真は

『美しければすべてよし - 山本夏彦新潮文庫 夏彦の写真コラム傑作選1

に添えてあった写真です。
山本夏彦氏はコラムで荷風の美文は認めているが、荷風人間性についてはボロクソであります。
その荷風さんの笑顔が実に不釣り合いで荷風さんはなんでこうなの?と思っておりました。三島由紀夫氏の謎解きが当たっているのでしょうかね!

以下は、山本夏彦氏の文章全文です。

『 昭和三十四年四月三十日夕、永井荷風は常のごとく市川の大衆食堂で好物のカツ丼を食べ、帰ってその晩死んだ。
どういうわけか今その死体の写真が発表された。着のみ着のままうつぶせになって顔をじかに畳につけ、苦しかったのだろう、ズボンをぬごうと試みて半ばずらしたところでこと切れている。
荷風はウソつきでケチで助平でつめたくて、自分のことを棚にあげ舌鋒するどく他人を難じるときは常に自分でも信じていない儒教を借りてつめよった。
昭和二年改造社は一冊一円の「現代日本文学全集」の大広告をした。いわゆる円本である。当然「荷風集」ははいっている。無断でなぜいれた、自分はゆるしていない、本は大量生産して大量販売していいものではないと延々三回にわたって新聞紙上で改造社のやり口を非難して、荷風集は出させないと大見得を切った。
ところが全集は大成功で三十なん万部も出た。印税一割とすれば三万なん千円の収入になる。当時の三万円はその利子だけで一生くらせる大金だから、今の何億に当るか分らない。荷風は手のうら返して改造社の円本に参加して、その金でカフェライオン、カフェタイガーなどの客になって連日女あさりをした。
一日銀座街頭で辻潤に袖をとらえられ、今後はきれいな口をきくなと言われたという。辻潤は今は忘れられたがあり余る才能を発揮できぬまま死んだ文士である。辻まことの父である。全集八巻がある。
荷風の「花火」(大正七年)は、戦前は誰も認めなかった十枚前後の小文で、戦後にわかにもてはやされるようになった。明治の末荷風は市ヶ谷に住んでいたころ大逆事件の囚人護送車をしばしば見た。ゾラなら立って弾劾しただろうに、自分は座して一語も発しなかった。以来荷風は恥じて縞の着物に角帯しめ腰に煙草入をさす戯作者になったと書いたのを、左がかった文士が奇貨として利用したのである。
荷風社会主義に目ざめた人のように言いふらすとは笑止である。荷風は関係のあった女給が、手を切ったのにゆすりにきたのを資本主義の権化と書いた人である。資本主義の何たるかを知らぬひとである。
荷風出世作の一つに「ふらんす物語」がある。荷風はフランスに行ったが、足跡を印したのみで影響はうけなかった。その証拠にセーヌ河とある個所のすべてを隅田川と改めてみるがいい。何の故障もないとむかし北原武夫が論じたことがある。
好んで独身を貫いた八十翁[おう]にとって、この最期は望むところだったのである。ぽっくり寺詣りする老人が多い昨今、うらやむべきことであっても気の毒がるには及ばぬことである。
荷風の人物は彼が好んで援用した儒教的モラルからみれば低劣と言うよりほかない。それなのに荷風は今も読まれこれからも読まれ、日本語があるかぎり読まれるのは、ひとえにその文章のせいである。その文章は「美」である。荷風は日本語を駆使して美しい文章を書いた人の最後のひとりである。おお、私は彼を少年のころから今に至るまで読んで、恍惚としないことがない。些々[ささ]たるウソのごときケチのごとき、美しければすべては許されるのである。』

地球

顔本に『俳撮』を立ち上げましたが、一人ではグループとして成立しないようです。
ご迷惑は掛けないようにしますから、どなたかメンバーになっていただけませんでしょうか?