(巻二十三)ばさばさと股間につかふ扇かな(丸谷才一)

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11月8日金曜日

(巻二十三)ばさばさと股間につかふ扇かな(丸谷才一)

なんて句が大手を振って世の中を歩いているのなら、

立冬や寝起きの悪き妻である(潤)

などと句作して、ブログに載せる程度は罪にはなりますまい?

注射飛んでいくお金

月に一度の検診に参りました。
エコーと採血に区が補助してくれるのインフルエンザの予防注射、加えてお薬を頂くと小一万かかりますな。今はいいけれど、いずれこれだけのお金をかける命ではなくなるな。
覚悟、覚悟でございますよ。

お覚悟を召されとみやこわすれかな(佐藤静峰子)

パトカー

その帰り道、さくら通りの新道への出口に白バイが2台。別に身を隠している風ではありませんが、見落として歩行者優先を怠れば切符を切られるでしょうな。
あたくし歩行者の立場で申せば、時々は白バイ隊にそのお姿をチラツカセテ頂きたいと思っております。
流石に正面からというわけにはいかず、背後からコソッと一撮致しました。

罠ありと狸に読めぬ札吊し(村上杏史)

本

「私の「膝栗毛」 - 遠藤周作集英社文庫 お茶を飲みながら から

を読みました。弥次喜多の珍道中記で東映の映画程度に思っておりました。この遠藤周作氏の随筆で弥次さん喜多さんの素性や、なぜ旅をするのかについて知り、また一九の江戸での立ち位置についても分かりました。

《 一九がどういう動機でこの膝栗毛を書いたのか私は詳しくは知らない。ある学者の本をみると、駿河出身の一九は三馬や種彦のような生粋の江戸ッ子ではないため、彼らの感覚にとても及ぶべくもないのを悟り、そこで田舎の弥次、喜多を江戸の外を歩かせ、田舎者からも笑われる人物に仕たてようと考えたと言う。そうすれば従来の「江戸での失敗」を扱った洒落本や小咄とちがい、地方の読者にも受けると計算したそうである。
だが、そういう動機は別に国文学者ではない私にはどうでもよい。私が遠い国に出かけた時、この膝栗毛をわびしい旅館で読むようになったのはそれと別のことである。
弥次さんも喜多さんも一九と同様、生粋の江戸ッ子ではない。序編をみると弥次さんは駿河の金持の息子に生れたくせに、親ゆずりの財産を蕩尽[とうじん]し、当時、旅役者に抱えられていた喜多さん(鼻之介)にうちこんで、二人で江戸に逃げたという男である。地方で何不自由ない一生を送れるのにその土地に一生を送れなかったというのは弥次さんがそこでいきられなかったことを示している。弥次さんが江戸に来たのはそこで一旗あげるためではない。功名をとげるためでもない。やむを得ず江戸に「逃げた」と書いてある。喜多さんもまた役者の抱え者となるような浮き草の男である。二人はその点、共に根のない人間なのだ。
江戸に来ても二人がそこで根をおろせなかったことも、序編にはっきり書いてある。弥次さんは結婚に失敗し、喜多さんは奉公した商家でも勤まらない。弥次さんは江戸育ちの女房にたえずコンプレックスを感じたことがはっきりわかる。喜多さんは律儀な商人の世界に住めなかったのだ。その二人の心情は「たがいにつまらぬ身の上にあきはて」旅をしようとしたという言葉にはっきりあらわれている。
地方にも生きられず、江戸にも住みえなかった二人。どこへ行っても根のない人間である弥次さんと喜多さん。それだからこそ彼等は旅をしなければならなかったのである。東海道だけでなく、寂しい木曾街道も歩かねばならなかったのである。そしてそのくせ、この旅の間、彼等を引きとめる場所は何処にもない。彼等はやっぱりおそらく帰っても根のおりない江戸に戻らねばならなかったであろう。》

善もせず悪も作らず死する身は
地蔵笑はず閻魔叱らず(式亭三馬)

この世をばどりやお暇に線香の
煙とともに灰左様なら(十返舎一九)