「尾瀬沼の四季 - 平野長蔵」岩波文庫 日本近代随筆選2 から

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尾瀬沼の四季 - 平野長蔵」岩波文庫 日本近代随筆選2 から

尾瀬沼は海抜五千四百九拾尺、福島県群馬県とに亘[わた]り、東は栃木県に峰を連ね、北西は新潟県及び利根水源に接している。今日も尚お三十年前と同じく少しも俗化せず、真に自然の仙境である。
冬季は降雪甚[はなはだ]しく、眼前咫尺[しせき]を弁せず、日光を見ざること五日以上に至ることも珍らしからず、従って寒気甚しく、寒暖計は水銀柱が萎縮して下部のガラス球の中にその姿を没してしまうという有様である。針葉樹にありては積雪二尺以上に及び、枝も幹も見えず、闊葉樹[かつようじゅ]でも樹枝に一尺からの雪が積る。一度烈風が襲来すると、雪は吹き捲られて煙の如く渦を巻いて昇騰し、面を向くべき方もなく、唯だその猛威に慴伏[しようふく]する許[ばか]りである。夫[それ]が晴天の日となれば、連山の針葉樹を包む白雪は日光
に輝いて、美観壮観譬[たと]うるに言葉もない。それこそ実に都人士[とじんし]に見せたいものであるが、一人として登山する者のないのは遺憾である。学生が冬の中にスキー登山を試みんとして問合す向きもあれど実行した様子もない。真に剛健質実の気象を養成し、自然の霊気を感得せんと欲する人は途中救助小屋の建設と防寒具の用意もあれば、準備に注意し、何日帰京などと期日は定めずして登山して貰いたい、万一天候険悪の時には数日滞在することもあるにより、家族の人に不安の念を起さしめざる様に注意するを肝要とする。
春の尾瀬沼は、朝日の光に雪は赤金光色と輝き、深山の雪もしめりがちとなり気温三拾度に昇れば雨の模様となり、白霧数里、針葉樹闊葉樹白樺に樹氷を結びし景色は、白銀の花と云うてよかろうか、山人等の如き自然の愛好者は、針葉樹闊葉樹の梢の少部分が直立し、一円に霧の流れる朝の模様は、何と命名したならば適当であろうか。狂気の如く一家族を雪庭に呼集め、その偉観壮大な絶叫するの日が往々にある。雪すべり雪のかけ足等何と云おうか。霞棚びきうららかに、小鳥が鳴く、ふくろも鳴く。我を忘れて駆り出す雪舟[そり]に乗り、何れの山に登るにも氷雪にて自由自在、宛[さなが]ら天国に遊戯とも云い得可[うべ]く、春の一里は夏の二里より歩行にやすし。鶯の声を聞くときの如きは、深山の春の快感を誰にも味わせたきものであると思わぬことはない。三月になれば途中雪なだれの恐はない。
五月下旬より草花時季となる。大江川端、尾瀬沼の周囲、水バショウの白花満地となる、雪国は雪色の花より咲き初めるの感じがする。綿スゲ雪を抜いて咲く。黄色花、紫花、赤花、一々草花の名称は略す。尾瀬沼よら沼山峠下まで延長拾五丁、甘草の花と化し、その内セキショウ、アヤメの満開は、山人の如き拙き筆にては書き尽すことはならぬ。
尾瀬沼の落口燧嶽[ひうちがたけ]の麓は、自然の公園、山人の植物保護拝借地である。キンコウカ、モウセンゴケ、エゾセキショウ、サワラン等、他は略す。
植物保護に付一言す。
愛山者は自然の植物動物奇岩昆虫等一切を愛護し、枯樹一本でも取り捨ててはならぬ、枯樹の配合は自然美を調和すること大なるものがある。
一、八百四十余町歩風致保護林 福島県
一、三百四十六町歩事業制限地 群馬県
その外に植物保護の為に要所要所に借地してある。人間の弱点好奇心は植物採取すべからずと掲示でもしてあれば採りたくなるものである。山を愛する人は採取すべらずである。山より堀取った植物が温度の違う地に移植出来べき者にあらず。移植と蕃殖[はんしょく]の可能の種類は、苗圃[びょうほ]を作り愛好者に分譲する考えである。自然は我等に無償にて百花を爛漫たらしめ、芳香を馥郁[ふくいく]たらしむることを思わば、枝葉を折り採る事の出来得べき筈なし、万物の霊長たる資格を標示すべきである。
秋となれば樹類と草類の区別を限定し、沼面の水草より変色し、黄色と赤色、紫色と種々の草の秋色が劃然[かくぜん]としている、その美観!
白樺の紅葉は全山一方里位、燧嶽の紅葉は匍松[はいまつ]地帯より始まり、赤色ナナカマド針葉樹内に混色し、熊笹の沼山峠の近傍より大江川尾瀬沼の附近、三平峠の下の白樺帯の如き密林の紅黄葉は、到底日光、湯本、伊香保榛名山、塩原、十和田、碓井峠等にて見る事は出来ぬ。尾瀬沼は他に例の無い紅葉と草色の紅黄を取り交ぜて大自然神苑であると云うてよろしいと思う。
唯だ惜しむらくは紅葉の期節は短くして十月上旬に限られていることである。
尾瀬沼保護につき、山人の抱負の一端を披瀝するも敢て徒労ではあるまい。
尾瀬沼は如何にして保存すべきか。学生村を創設し、享楽場として自然を有意義に利用せんとする企は学生村設立趣意書に発表してある。尾瀬沼は現在の儘とし、日光箱根等の如く俗化させ度[たく]ないものである。但し登山者に交通の便を計る為林道の作成に尽力し、日光方面は大正十二年に鬼怒沼林道の開拓を見、之より西利根水源に林道の開拓を企図し、新潟県へ交渉し、群馬県沼田小林区署は利根水源林道の設計を大林区署へ提出せらる。新潟県六日町小林区署よりも同じく提出し、我福島県山口小林区署よりも亦提出せり。
新潟県南魚沼より一線、北魚沼より一線、群馬県利根水源へ藤原より一線、この三線の林道を開拓して尾瀬原へ貫通し、尾瀬沼に至り、鬼怒沼へ達し、日光方面に至る、かくすれば日光方面、沼田方面、会津方面と皆連絡あり。その他の支線は徐々に開発すべく、先ず本幹となる可[べ]き林道の開拓に急進し、要所要所に無料宿所を設く可く、尾瀬原には現にこれが建設されありて学生等の便宜となれり。鬼怒沼間にも建設したき希望にて計画中である。尾瀬原と尾瀬沼間の道の修繕もなさなければならず、赤貧の山人苦心惨憺たるものがある。十四年には学生村の遊船は建造に着手すべし。水利権問題にては訴願中紛擾[ふんじょう]もあり、群馬県土木課の冷淡苛酷、殆ど拾年間も自力にて修繕しつつある情態にて容易の業ではない。しかも又一方には圧迫を加えんとする愚俗もある。愛山者は倶[とも]にこの自然の神苑を叮重[ていちょう]に保存し、有意義の享楽場たらしめたい。自然は人工に成ったものでないから、之を破壊するのは、自然の殺人者とも称べく、水利権を他に移転せば多少の価は得らるるも、左[さ]すれば山人は自然の逆殺者となる也。
この意味を解せずして、彼是と目先の利に熱中し、山人に妨碍[ぼうがい]を与え、脅迫がましき言を弄する人もあれど、又大に厚意を寄せて援助せらる愛山者もあるに依り、心強く感じて赤裸なて微力を傾注するのである。明治廿一年より開発に着眼し、三拾六年の星霜を経過せり。その間に修得せる感想と体験とは不日世に告白することとすべし。