「指宿枕崎線 - 宮脇俊三」河出文庫 時刻表二万キロ から

指宿枕崎線 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表二万キロ から

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指宿枕崎線の始発列車は、照明のみ明るく人気のない西鹿児島駅の1番線から、定刻5時15分に発車した。
ディーゼルカー三両の編成のうち一両がグリーン車の格下げだったので、そこに坐った。正式には何と呼ぶのか知らないが、余った古いグリーン車を普通車として使用しているもので、ローカル線ではよく見かける。枕や肘掛けの白いカバーはなく、その部分が脂で黒光りしており、内装も剥げ落ちていて、うらぶれた雰囲気を醸しだすのが特色であるが、構造自体はグリーン車であるから座席の間隔はゆったりしているし、坐り心地もよい。壊れていなければ背も倒せる。
これとは別に、現役のグリーン車に普通乗車券だけで乗れる列車もある。車両運用の都合によるもので、一例をあげると、上越線水上からの上り急行「ゆけむり6号」はグリーン車を連結して20時30分に上野の5番線に到着し、車内を掃除してから21時25分発の高崎行普通列車921Mに化ける。上野発の普通列車は全車両普通列車が建前になっているから、時刻表を見てもこの 921M列車にはグリーン車の記号がついていない。上野でグリーン車だけ切り離したり鍵をかけたりするわけではないから、定期券の客でも急行用グリーン車を使用できる。時刻表にはそんなことまでは書いてないが、よく見ればわかる。上野着上りの到着時刻・到着番線と、上野発下りの入線時刻・発車番線とを照合してゆけば、ほかにも見つかるだろう。グリーン車の普通車転用は上野着発の列車のみでなく、他の線にも何本かある。
いま私が乗っているのはこれとはちがって普通車になり果てた旧グリーン車である。それでも多少は人気があって、他の車両より混んでいるのがふつうだが、さすがに冬の5時15分発では、私のほかに二人の女の子を連れたお母さんしか乗っていない。まだ夜明けにはほど遠く、始発列車より夜行列車の感じがする。東の空は一面の星で桜島は影もない。鹿児島まで来て桜島を見ないのは残念だが、自分のつくったスケジュールのせいだからやむをえない。
この線には二〇年も前に指宿まで乗ったことがある。当時は一駅先の山川が終点で、指宿線といったが、昭和三八年に枕崎まで延びて指宿枕崎線となった。だから指宿-枕崎間四二・二キロが未乗区間である。しかし指宿を発車するのは6時33分で、暗いうちにはじめての区間に進入するのは遺憾である。
山川から二つ目の西大山は、ホームと待合所だけの平凡な無人駅だが、五千余ある国鉄駅のうち最南端にあるので、鉄道豆知識などにはかならず書かれている。ここは北緯三一度一一分、北端の稚内が四五度二五分だから一四度以上の差がある。ちなみに最東端の駅は東根室で東経一四五度三六分、最西端は平戸口で一二九度三五分だから、時差一時間四分に相当する。これだけの広域にわたって日本国有鉄道の線路が張りめくらされているのだから、全線に乗るのも楽ではない。
6時59分の開聞で明るくなった。九州南端なので、きのうの筑肥線より一〇分以上夜明けが早いようである。眼前に開聞岳がどかっとあって、視野のほとんどを占領している。
 
ここから枕崎までの海岸は火山岩がゆるやかに海に流れこみ、熊の手のように分岐した岩礁が連続している。線路は緩斜面の中腹に敷かれているので、それが広々と見渡せるさわやかさである。とくにここといった名勝がないから観光施設などなく、それでいて景観総体の水準は高い。こういうところをがら空きのローカル線でとろおろと四〇分ほど走るのは、観光バスよりよほどよい。きょうも晴れている。
枕崎着7時47分。開通してから一二年しかたっていないのにひどく古びた駅だと思ったら、私鉄鹿児島交通の駅をそのまま借用していた。せめて駅舎ぐらい新しくできなかったのかと思う。
私が乗ってきた列車は五分で折り返し、10時04分に西鹿児島に着いて10時13分発の「有明5号」博多行に接続する。いっぽう、枕崎発8時48分の鹿児島交通ディーゼルカーは10時29分に伊集院に着き、10時31分発の同じ「有明5号」にきわどく間に合う。国鉄線は薩摩半島の東南端の出っ張りぐるっと迂回するので、半島の西側をまっすぐ北上する私鉄と一時間もの差ができている。これでは私だって私鉄を選ぶ。
この一時間を利用してタクシーで坊ノ津へ向かい、密貿屋敷などを見物し、帰りに耳取峠で開聞岳を眺め、鹿児島弁まじりの運転手から鰹漁の景気のよかったころの話、台風の話、いまはチューリップ栽培がさかんであることなどを聞かせてもらった。

枕崎発8時48分の鹿児島交通ディーゼルカーは旧い型で、車幅が狭く、前方が円錐形になっていた。正面から見るとなかなかの細面である。その馬づら一両が民家の台所を覗きこむゆうにすれすれにかすめ、竹藪に首をつっこむ。竹の葉が車体に触れてざわざわ鳴る。それを抜けると線路脇に武骨な木組の駅が現われる。国鉄とはだいぶ味わいがちがう。私は運転席の横の鉄棒にかじりついて加世田までの四〇分をそこで過ごした。その間、一本の下り列車ともすれちがわなかった。この区間には列車交換のできる駅が一つもないからである。つまり枕崎-加世田二〇・六キロが一閉塞区間で、上り下りいずれか一本の列車しか入れないわけだ。徹底した人員削減でこうなったのだという。
伊集院での接続は二分しかないので遅延がきがかりであったが、定刻10時29分に着いた。