「散歩とカツ丼 - 新井千裕」文春文庫 10年版ベストエッセイ集 から

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「散歩とカツ丼 - 新井千裕」文春文庫 10年版ベストエッセイ集 から

趣味は散歩である。千葉県にすんでいるが、近所に江戸川と並んで東京湾に注ぐ川があり、岸辺をよく歩く。
川幅は三十メートルほどで、土手の斜面は護岸工事により、コンクリートで覆われている。土手の上は舗装された遊歩道になっていて、犬を散歩させる人やウォーキングをする人、登下校の中学生たちが行き交う。
川の水は、市街地を抜けてきているせいか、かなり汚い。ペットボトルや発泡スチロールのかけらを浮かべているが、流れが遅いので散歩のスピードで追い越せる。一度、小型の冷蔵庫がゆったりと流れているのを見たことがあり、水に浮くのかと驚いた。
薄汚れた川だが、棲みついている水鳥は多い。軽鴨や真鴨、白鷺や鵜がいるし、海からやってきた鴎の群れも見かける。魚もいて、鵜が潜ると、慌てた小魚たちがぴょんぴょんと水から跳び出てくる。やがて鵜がクチバシに一匹をくわえて現れるのだが、その姿は得意気だ。近くに人がいても気にする様子がなく、漁の技を披露しているように見える。
河口までの途中に、桜並木がある。その向こうは菜の花畑で、春先には鮮やかな黄色を背景に満開の桜を眺めることができる。なかなか趣のある景色だが、邪魔しているのが水色のバスタブだ。ワンルーム・マンションに備え付けられている小型のものだが、桜の木の根元に二十個ほど並んでいる。
最初に見た時、何でそんたものがあるのか分からなかったが、農家の人がバケツで水を汲んでいるのを見て納得した。そこに雨水を溜め、作物に与えているのだ。灌漑設備がないし、水を運んでくるのが面倒だから、そうしているらしいが、風情のないことだと思った。
数年前、河口の近くにホームセンターがオープンした。百台を収容できる駐車場を備え、日用品、服飾品、建築資材から苗木やペットまで売っている。讃岐うどんやラーメン、カレーライス、スパゲティなどの専門店が集まった大食堂もあり、休日は家族連れで賑わう。同じ敷地内にスーパーマーケットもできたので、散歩がてら、買い出しをするようになった。時々、水鳥たちに与える食べ物も買い、帰り道、土手から投げてやる。
軽鴨が好きなのは食パンで、待ちわびていたようによってくるが、真鴨は警戒心が強いらしく、迷惑そうに遠ざかってしまう。鴎の好物はかっぱえびせんで、我先に集まってくる。投げたものを空中でキャッチさせる技をマスターし、通りかかった女子中学生たちから拍手をもらったりした。
桜も終わる頃になると、川面は花びらで覆われる。桜並木は上流の岸辺にもあるので、散ったものが一斉に流れてくるのだ。薄汚れた川でも無数の花びらを浮かべていると、少しは風情がある。そう感じながら、下流に向かっていたら、鴨の群れに出会った。流れに対して横一列に並び、流れてくる花びらをついばんでいた。
花より団子という諺があるけれど、鴨は桜も食べるのだ。人間は風情を解する心と実利を求める心を二元論的に区別したりするけれど、鴨にとってはどうでもいいことだろう。鴨が食べるなら人間にも毒ではないと考え、咲き残っていた桜を口にしてみた。ほのかに甘みがあるけれど、そんなに多くを食べたいとは思わない微妙な味だった。
散歩には、河口へ向かう下流コースのほかに上流コースもある。
流れに逆らってしばらく歩くと市立図書館があり、時々、借りにいく。有名な建築家が設計したらしく、外観は美術館のようで、蔵書は六十万冊を超えるそうだ。生涯学習センターとして利用されていて、会議室や学習ルーム、イベントのための展示スペースなどもある。
新作の『図書館の女王を捜して』を書くにあたっては、この図書館をモデルにした。
主人公の男は、亡くなった妻とよく訪れていて、妻は書架の日本文学全集を読破している。男は妻の面影を偲ぶゆうに、図書館へ通い、その文学全集を一冊ずつ読み始めるのだ。男の仕事は何でも屋で、盲目の青年の散歩に付き添っている。青年は子どもの頃からたくさんの本を読み聞かせてもらっていて、文学についての知識は豊富だ。しかし部屋にこもりきりの生活をしてきたため現実の世界に疎い。それで主人公は河口にできたホームセンターへ青年を連れていき、いろんな物に触れさせようとする。
舞台のひとつが図書館で、他の登場人物も全員、読書家なので、会話や描写の中に文学作品が頻繁に出てくる。田山花袋の「蒲団」、芥川龍之介の「侏儒の言葉」、川端康成の「伊豆の踊子」、太宰治の「津軽」や「斜陽」、谷崎潤一郎の「細雪」など五十作品ほどあり、本好きのひとには楽しんでもらえるのではないかと思う。
その図書館の一画には、永井荷風の特設コーナーがあり、彼についての研究本や雑誌、新聞記事などを読むことができる。荷風は亡くなるまでの数年をこの市で暮らしたため、地元にゆかりのある文士として資料が整えられているのだ。
随筆を何作か読んだけれど、荷風も散歩が好きで、我が家から図書館までの上流コースも歩いていたらしい。戦後間もない頃は水田地帯を抜ける野川で、夏には河骨(こうほね、スイレン科の多年草で黄色い花を咲かせる)、秋には蘆の花を見ることができたそうだ。土手を歩いているのは、鍬か草かごをかついだ人ばかりで、丸木橋の下てば手ぬぐいをかぶった女たちが野菜を洗っていたと書かれている。場所によっては、橋と松林と人家の風景が水彩画のように見え、なかなか風情があったらしい。
その川をめぐる荷風の随筆について、小林秀雄は「荷風全集」の附録で次のように書いている。
「あゝいふ文章は誰にも書けぬ。あの文でもよくわかる様に、永井氏の文章は、観察といふ筋金が通つてゐる処が、非常な魅力である様に思はれる。」
もし荷風が今、生きていて、ゴミや冷蔵庫を浮かべる川を目にしていたら、どんな文章を書くのだろう。
図書館から市の中心部に向かうと、「荷風ノ散歩道」というのがある。地元の活性化のためなのか、駅から続く商店街の通りをそう名づけている。帽子をかぶり、丸いメガネをかけた荷風のイラストを旗にして街頭に掲げているが、車一台がやっと通れる道幅なのに交通量が多い。向こうから歩行者が来ると、擦れ違う時、気を遣うほどで、散歩をしている気分にはとてもなれない。
当時の散歩道の風情など、かけらもないが、荷風が亡くなる前日までカツ丼を食べに通っていた店が現在も営業している。彼を偲んで訪れる客が多いのか、カツ丼の並に日本酒一合、上新香がついた「永井荷風セット」を提供している。割引のクーポンをインターネットから得ることもでき、なかなか実利である。
こういうことなら、天ぷら蕎麦とサイダーを組み合わせた「宮沢賢治セット」とか、サンドイッチとビールの「村上春樹セット」なども、どこかの店のメニューにあるかもしれない。
数ヵ月前に、そのカツ丼を食べたが、かなりのボリュームだった。荷風胃潰瘍による吐血が原因で亡くなったらしいけれど、こんなに胃に負担になるものを食べなければよかったのにと思ったものだ。
カツ丼を食べてからは、荷風を味わいつくした気分になってしまい、以後、彼の本は読んでいない。