「雑木の美しさ - 色川武大」文春文庫 巻頭随筆3 から

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「雑木の美しさ - 色川武大」文春文庫 巻頭随筆3 から

最近、山の中の過疎村を訪れる機会が二度重なった。
一は和歌山県那智勝浦町から車で小一時間ほど山にわけいったところにある色川郷というところである。ここは私の家系のルーツにあたるところだと以前からきかされていたので、一度行ってみたいと思いつづけてきた。平維盛の末裔と称する落人部落で、たくさん記したいことがあるが、今回は要点だけにしたい。
海抜八百五十メートル、しかし海ぎわからじかに山を這いあがるのでかなりの高さを感じる。ところどころ、見晴らしのきく場所からは太平洋とともに、伊勢、紀伊の山々がうねり続くのが見え、頂上からは大和の山まで遠望できるという。山の勾配のほんのわずかな緩みを利用して、点々と人家が集まっている。
人口八百人のうち、三百人が六十歳以上だという。小学校の生徒は全学年あわせて数十人だそうであるが、水あくまで清く冷たく、空気が甘い。車の行く手の路上から、番[つが]いの雉が飛び立ったりする。
おや、と思ったのであるが、道ばたの人が老若いずれも、いい顔をしているのである。役場に居た青年たちも、農協の女事務員も、女教師も、巡査も、それぞれいい。汚れのない美しい表情をしている。
へんなたとえだが、先年、車で通過した漁師町の犬のことを思い出した。いきなり路上に走り出てきた犬を見て、あ、あれが、犬の顔だな、と改めて思った。東京で繋がれている犬の顔は、こうして見ると生き物の顔ではなかった。
もっとも、東京の人間は生気はないが、先にわずかな希[のぞ]みを託して行儀よくしている。地方都市の支社(乃至工場)サラリーマンはもっとひどくて、はかない希みすら持てず、刹那的な表情にならざるをえない。
色川郷は海近くで南国だから、山の奥にもかかわらず、風物が明るい。しかし、夜は深いだろうと思う。すると老人が、こういった。- なァに、近頃の森は明るいからね、昔の山はもっと暗かった。
近頃は、檜や杉や、金になる木を植林して、育つとどんどん伐ってしまう。昔は雑木が鬱蒼と茂っていた。日本の山は、放っておくといずれも雑木になってしまうのだそうである。
旅館もなく、当地に住む地史研究家も御不在で、私は心を残しながら半日で山をおりた。また来てみよう、と思った。そうしてまもなく思いがもう少し募って、ここにしばらく住みついてみたいなァ、と思うようになった。
それから二週間ほどして、偶然のことから、愛知県岡崎市から車で四十分ほど山にわけいったところに住む人を訪ねて泊った。
それは私の若い友人の友人で、若夫婦に子供が二人、過疎で無人になった百姓家を無料で借りて五年前からここに住んでいる。
夫は彫刻を志しているが、木工をして生活の資を得ている。夫婦とも東京育ちで東京に親が居る。山中の一軒家とはいえ、もちろん車もテレビもあるが、週に一回、食料品店の車が巡回してきたときに、一週間分の食料を買いこむのである。二キロほどくだったところに、日に何本かバスが来ているが、小学校には四キロあり、一年生の頃から歩いてかよっているのだという。悪天候の日以外は車の送迎をしてやらない。上の男の子は四年生で、冬場など帰り道でどっぷり日が暮れるという。
試みに、夜、家の外へ出てみると、深い闇で、足が先に進まない。
私たちが訪ねた日は祭日で、子供たちは近くの家の車で、川下りとりんご狩りという楽しみを味わいに行っており、夜帰ってきた。どんな子だろうと思っていたが、兄妹ともに母親似でつぶらな眼をしており、楽しみを満喫してきたらしく、甲高い声でよくしゃべった。
妻君は豊かな家の育ちで、最初は、掌が荒れるから水仕事はしないといって、夫が食器洗いから洗濯までやっていたそうである。若い友人をはじめ周辺は、いつまで続くかと笑っていた。それが今度いって見ると、話の合間も、ごそごそと板の間を雑巾をかけてまわり、夜ふけに談笑していても彼女の声が他を圧した。夫に対しても子供に対しても見事な妻であるばかりでなく、自身も山の暮しにとけこんでいるように見えた。
友人は、この妻君と女学校時代の同級生で、銀座で酒場のマダムをしている。美酒佳肴[びしゅかこう]に慣れているが、しかし独身で、連休になるとこの山の中にやってきてしまう。
「都が恋しくならない.....?」
「そうね。でも、亭主が絶対に街はいやだっていうから。年に一度、行くからいいわ。万一、亭主が死んだらね、そのときは戻るから、あンたの店で使って「年増はあたし一人でたくさんだけどね」
そういって二人で笑った。
子供は中学になれば、二キロ歩いてバス通学をするのでかえって楽だという。その上の学校にもし行く気があれば、東京の親もとに預ける。
亭主は寡黙な人らしかったが、一人でそこから九州に向かう私を駅まで送る役をみずから買って出てくれた。私たちは車の中で、美について、いろいろ話しあった。
低く連らなった周辺の山々が、紅葉で半分ほど染まっている。このへんの山は小さいので那智の山とちがって檜や杉を植林したりせず、雑木のまま放置してあるらしい。
「けれど、山は雑木がいいです。ホラ、見てやってください。いくら眺めていても見飽きがしないでしょ。あれが美ですよ。植林なんかしたらもういかん」
彼はこうもいった。
「山は山らしく、在るべきようになってますからね。ここに住めて幸福ですよ。今の目標は、働いて、あの家と敷地を買いとることです - 」