「死に支度無用の弁 - 山田風太郎」角川文庫 死言状 から

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「死に支度無用の弁 - 山田風太郎」角川文庫 死言状 から

はじめて少し身に沁みて「死」のことを考えたのは二十三歳のときだろうか。
昭和二十年。いうまでもなくそれは、私のその年の日記「戦中派不戦日記」に「連日連夜敵機来襲し、南北東西に突忽[突忽]として火炎あがり、人惨死す。明日の命知れずとは、まさに今の時勢をいうなるべし」と書いたような事態の中にあったからだ。
その日記を、いまめくり返してみると、あちこち死についての考察が書かれている。
「吾が死する?永劫のあの世へ?
この思い、人は生涯にだれしも抱き、或るとき信ぜず、或るとき慄然たり。しかも要するに必ず永劫のあの世にゆき、後人は冷然また欣然と彼ら自身の生を生きるのみ」
「空襲のため毎日、明日の命わからず。
余の遺言はただ一つ『無葬式』
紙製の蓮花、欲ふかき坊主の意味わからざる読経、悲しくもおかしくもあらざる神妙げな顔の陳列。いずれも腹の底から御免こうむりたし」
「余は死を怖れず。勿論死は歓迎せず。死はイヤなものなり。第一解剖台上の死体を見るも死はイヤなものなり。しかれどもまた生にそれほどのみれんなし。生を苦しと思うにあらざれど、ただくだらぬなり。金、野心、色欲、人情、もとよりわれもまたこれより脱する能わず、しかれどもまた実につまらぬものにあらずや。五十年の生、これら万花万塵の中に生きぬき、しかも死や必ずこれにピリオドを打つ。しかしてその後にその生を見れば、その生初めよりこの地上になきもほとんど大差なし」
ふしぎなことに、この天から降る猛火の中にあって、人々はこわがりながらも平気であった。私はだれにも「死についてどう思うか」なんて訊いたこともなかった。
それはおたがいさまのことであったし、また訊いたところで、「そんなこと考えたってしようがないよ。死ぬときは死ぬさ、アハハ」という返事しか返って来ないにきまっていたからだ。
これはみなが度胸がいいせいではない。まことにラ・ロシュフコーがいったように、「人間は太陽と死は正視出来ない」ものである上に、人間というものは、同条件下にあっても、「ひとは死んでも自分は死なない」という奇怪な信仰を失わない特性を持っているからである。
ともかくも、私だけは右のような思考をした。
さてそれから星霜四十年。
このごろ私は、東西古今の有名人九百二十余人の死に方を、『人間臨終図巻』という本で書いた。
にもかかわらず、現在ただいま人間の死に方についてその思考に何の進歩もなく、四十年前とほとんど同様であることを知って改めて驚いた。
『人間臨終図巻』は、有名人の死を年齢順に紹介してある。その各々の劈頭[へきとう]に、死についての警句[エピグラム]を載せてあり、その大部分は私自身のものなのだが、
「.....いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった。はじめから居なかったのとおんなじじゃないかみなの衆」
「臨終の人間『ああ、神も仏も無いものか?』神仏『無い』」
「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのはだれだ?』答無し。 - 暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
などのことばがある。 - つまり私は、死について四十年前と同じことをいっているのである。
また葬式というものの無意味さについては、その後荷風も、四十年前の若輩の私と同じことをいっているのを発見した。「余死する時葬式無用なり。(中略)葬式不執行の理由は、御神輿の如き霊柩自動車を好まず、又紙製の造花、殊に鳩などつけたる花環を嫌うためなり」
冷笑人たる断腸亭主人ならこの言葉は当然だろうが、人生を愉しみぬいたかに見える梅原龍三郎も、「人の知らないところでそっと消えてゆきたいんだ。お葬式に悲しそうな顔をして人が来ても、別にどうってこともないしね」といい、「葬式無用」という遺書を残したし、同じく川口松太郎も、「俺が死んでも葬式出すな。.....やなこった、気にいらねえ奴が拝みに来たら、さぞ腹が立つだろうな」といった。
この大長命の大エピキュリアンたちが、若い私と同じことをいっているのだ。
ましてや私など、青年時から死を、どこか身近いものに感じていた。
むろん太宰治とか谷内六郎とか、先天的に死に憑かれていた人々とはちがうけれど、生きていることに何か違和感を感じている人間なので、いよいよ死そのものと直面する日が来ても、天が崩れるほどうろたえることはないように思っている。
だから死を、新しい客ではなく知人の訪れを待つように、とりたてて支度などせずに迎えられるような気がしているのだが。
「死の準備」には、大別して、自分の心の覚悟と、自分の愛する者たちへの配慮とに分けられるだろう。
死に方の種類については、何とも対策の立てようがない。死は推理小説のラストのごとく、本人にとって最も意外なかたちでやって来る。しかも、人生の大事は大半必然に来るのに、最大事たる死は大半偶然に来るのだから。
さらに、根本的に、死は「無」である。「無」に対しては、いかなる準備もなすすべがない。無となることに覚悟せよといっても、無に対してはいかなる覚悟も無である。怖れようが悲しもうが、死はなんの斟酌もなく無の世界へ - 無という自覚も存在しない世界へ運び去るのである。
『臨終図巻』には、死の記録がないので女性をあまりとりあげられなかったのだが、それでもなぜか、男性の豪傑や高僧などより、女性のほうが静謐[せいひつ]で豪毅な死を迎える例が多いような気がしていた。死のことなどまともに考えたことのない女性 - たとえば盲目的にナムアミダブツと唱えるだけであった古来の田舎のお婆さんなどのほうが、はるかにおだやかな寂光の涅槃にはいったのではなかろうか。
つきつめてゆくと、落葉のかげや土の中で息をひきとってゆく虫やミミズなどのほうが、人間よりはるかに宗教的な死をとげるのではあるまいか。
とにかく右の次第で、私の場合、いまのところ死への心の準備も、子供への配慮も無用と考えている。なんと私は、生命保険にさえはいっていないのである。
それならそれで、まありっぱそうだが - りっぱでもないが - 人間というものは、覚悟していても、現実にその事態に立ち至ると、まったく覚悟の外の心理状態におちいることが少なくない。
いまのところ私は、あと数分でということが自覚できたなら、そしてもし少しでも積極的な気力の一片でも残っていれば、
「よし、いくぞーっ」
と売り出しの歌手もどきの言葉を胸に雄[お]たけぶか、または非常に弱気になるなら、はじめて予防注射を受ける子供のごとく、
「ナンデモナイ、ナンデモナイ」
と、心にいいきかせるか - どっちかにしたいと望んでいるだが、どうもいざそのときが来たら、以上の長広舌はもとより、何もかも忘れはてて、ただうつろな眼で暗澹[あんたん]たる無明[むみよう]の世界へ沈んでゆくような気がする。