「夏の女 - 鏑木清方」岩波文庫 鏑木清方随筆集から

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「夏の女 - 鏑木清方岩波文庫 鏑木清方随筆集から

有体[ありてい]にいえば夏の女は美しく見えない。昔はその反対であったかも知れぬ。女そのものは変らないのに、美しく見えないのはこっちの観賞眼が疲れて来たのであろうか。
外の季節、たとえば冬や春はなるほど美しくなったと思うことがある、それが夏になると、そうした感がない、昔の方が美人がいたかどうかは別として、今よりは涼しそうに見えた。
夏の暑い時に赤い模様に金ピカの帯では、よし美人であっても涼しくない、やはり浴衣がけの方が涼しい感じがする。

夏は、美しいと同様に涼しそうだという感じを起させるのが審美意識の上に有力である。それが今日では素人でも玄人でも涼しそうでない、暑苦しそうである。夏になると美人が減るのではないかとさえ思う。粋であり、涼しそうであるべき芸妓[げいしや]を見てさえあまり涼しくなくて、さぞ暑いだろうと同情をして眺めるようになって来る、こう同情して眺めるようでは美しさなど味わえない。

洋装は、着ている人は涼しいのであろうが、見た眼は一向涼しくない、白、水色、クリームなど極薄い無地もので、どちらかといえば、肌を離れた仕立方のものの方が涼しい。肌の曲線を露わに出しているのは涼しい感じが出ない。
ところがこの頃は更に赤とか黒とか - 黒の場合は依[よ]って熱を遮るので涼しいこともあるが - その他刺戟の強い色を集めた細かい模様のものを陽のあたった街頭などに見受けることがある。どう見ても夏の色彩ではない。

昔の人の夏のものを白と藍で統一させた考えは如何にも日本人らしい趣味で、誰が極めるともなく自然にああなったのであろうが、夏の色彩として審査したらこの白と藍との統一者に一等を出さねばならぬだろう。
腕の出ているのは、 - 日本の着物では往来などでは見られぬが - 洋装の場合、肘の上の辺までがよい。肩から出ているのは、よほどよい形のものは別としてむしろ暑苦しい感がする。
顔の美しい人はあっても手足の美しいのは少い。前の方は見られても、背中の美しい人の少いことを熟々[つくづく]感ぜしめられる。和服の場合は帯でかくせるが、洋装の場合、ワラ布団のような背中をして往来を歩いているのが非常に多い、それがあまり見よくない。前のことは考えても、背中のことは考えないのであろう、そのくせ背中の肉体全部露出する服装さえある今日なのに.....但しこれは日本では海水浴場位でなくては見られぬが.....後ろの方のことももっと考えなければなるまい。
こうなると、衣服改良の時など、いの一番に非難の的となる帯が殊勲一等となる。ワラ布団を美化している。水の滴[た]れるような島田で、少しぬき衣紋にして形よくお太鼓に結んだ後ろ姿、それは必ずしも島田に限らず、丸髷[まるまげ]でも銀杏返[いちようがえ]しでもよい、夏の女の美しい姿といえばこの後ろ姿が考えられる。
前へ廻って見て二度びっくりというのは幾度かあったが、今日ではそれほど美しい後ろ姿さえ見ることが少い。
夏はあまり美人を語る時ではないのではないかと思う。
(昭和十年七月)