(巻二十四)三十を老のはじめや角力取(樋口道?)

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12月16日月曜日

幾つから老い始めるかはそれぞれでちがうでしょう。除々に老いていく人もあれば、急に老け込む人もいる。慢性的な病と急病、どちらで連れて行かれるのか。

山は暮れ野は黄昏の薄かな(蕪村)

細君が買い物に出かけ、栗、昆布、シイタケと少しづつ年用意の物を買ってきた。
餅はパック餅で一番細やかな鏡餅を飾るようです。

味噌しようゆ切らさぬほどの年用意(園部佳成)

となるのか、しっかりと買い込まなければならないかは男の子の帰省予定によるが、帰ってくるのだろう。
そういえば、男の子奨学金の一括返済用紙が届いた。義弟に保証人になってもらっているのでさっさと還してしまいたい。

午後は南に散歩をいたした。本日までは好日だというので本当は距離の長い東に歩きたかったが、南の生協の二階にあるシマムラでバスマットを買って来いとの指示が出てコースは南になった。
まだ、葛飾野高校は授業があるようで、帰り道で下校するチャリ高生がdot校門から流れ出してきた。

どうも山口瞳のは合わない。

本

「私のあいさつ(89・11) - 野村克也」文春文庫 巻頭随筆6 から

を読みました。

《 去る九月十三日、野球殿堂入りを許された私のために、大勢の方が集まって下さった。その席上であいさつを求められ、思いがけずこれまでの野球人生を振り返ることになった。



振り返ると、三十六年前は南海のテストに受かるとも思えなかった私が、ここに立っていること自体が不思議でなりません。南海の練習のすごさや金田投手の速球を見ては人生をまちがったな、と思っていたのに、人生とはわからないものです。
現役の二十七年間にはいろんな節目がありましたが、第一関門は一年目のシーズンオフに会社から「君と来年契約する意思はない」と言われたときでした。二軍のレギュラーも取れずに終わることがたまらず、最後には同情してもらうしないな、と三つのときに支那事変で父を亡くし、母に苦労をかけたことを語りましたら、「もう一年、面倒みたる」。
そんなレベルの選手で、一軍に上がれるとは思わなかったのに三年目でチャンスをつかみ、四年目にレギュラーを取った。いける、と思ったものの、八年目にして八番バッター定着、三振王独走.....。限界に打ちのめされたのが第二関門で、二十五歳ぐらいでした。》

球界からは王さんの随筆を紹介いたしておりますが、やはり苦労人さんのト~ンはちがいますねえ。