「大鯛のぶつ切り〈俳優尾上松助の話〉- 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から

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「大鯛のぶつ切り〈俳優尾上松助の話〉- 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から

ちっとばがり辛いかナと思う位に醤油を入れて、こわ目に茶飯を炊いてよく食べる、一日おき位にはやるんでげすよ。これへ大鯛の生きのいいのを、ぶつ切りの刺身にして、薬味を入れないおしたじ、亀甲万がいい。別にいい茶の熱いのを汲んで、これをつまりお椀代りにしていただくんです。それあうまい。この刺身が鮪となると、ちょっとまた調子が変って来て、べとりと舌へ残るあぶらあじと、茶めしの味とが、どうもひたりッと来ない。やはり、茶めしには鯛、これがなかったらまず平目でげしょうかな。
あっしは他の名題役者衆とは違って、子供の時からペエペエの下廻りで、さんざ苦しんできやしたから、自然食べものが荒うがして、この年(八十五歳)になっても、うなぎなんざあ一人前ではどうも堪能しねえ、うなぎの蒲焼を一人半やって、それからうなぎ飯を一つはやれる。麻布六本木の「大和田」のうなぎ飯はようがすな。つまりあのうちは「たれ」が良い。うなぎだけ食べてもうまいが、うなぎ飯にしてもらうとなおうまい。通人は白焼というタレ無しのを食べるそうだが、あっしはそんなのはどうもうまくない。年寄りがそんなにうなぎを食ったって大して長生きのためにはならねえものだと大倉さん(喜八郎翁)がいってらっしゃいましたが、どうもあいつをやると気のせいか、はきはきして来るように思いやすよ。
あっしどものペエペエで、給金が一円五十銭だなんて時でも、まず月に四度や五度は誰からか五十銭位のうなぎ飯を食わされたもんで、その時分の五十銭は今では三、四円位にはなりましょうや。この頃は芝居の楽屋もどうもどこからともなくぎすぎすしていて、下廻りなんかには、めったにそんなうめえことはねえ。それから考えるとあっしたちの時代には、万事物事にゆとりがありやしたな。
三輪善兵衛さんの沼津の寮で梅幸さん等と一緒に行って、庭で天ぷらの立食いをさせてもらったことがありやすが、ありゃうまかった。第一油がいい。えびは「手一束[ていっそく]」と申しやして、手で横に握って隠れる位のが天ぷらには一番いい。二た口にかんで食うのなんかはいけませんや。市村さん(十五代目羽左衛門)も六代目さん(菊五郎)も食べ物は凝っていて、よくこの間伊井さん(蓉峰)が話した上野の「天新」へつれて行かれました。あすこはうまかった、江戸にいなくなったのは残念でげすな。「にしき」、「もみじ」、死んだ紋三郎のかみさんが芝の露月町[ろげつちょう]でやっている何とかいう店、みんなうまい。
あっしは他の食べ物はうまいまずいもなしに食べるけれども、天ぷらだくは知らずに食べても、後で胃袋がゲーゲーいって承知しないから、みんなもこれだけは注意しなくちゃ、う、う、いけませんよ。

(松助さんの語りはここまでー以下省略)