「イズムの功過 - 夏目漱石」講談社文芸文庫 漱石人生論集 から

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「イズムの功過 - 夏目漱石講談社文芸文庫 漱石人生論集 から

大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出[ひきだし]へ入れ易いように拵[こしら]えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが億劫になったり、解[ほど]くのに手数[てかず]がかかったりするので、いざと云う場合には間に合わないことが多い。大抵のイズムは此点に於て、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車[しなんしや]というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。
同時に多くのイズムは、零砕[れいさい]な類例が、比較的緻密な頭脳に濾過されて凝結した時に取る一種の形である。形と云わんよりは寧[むし]ろ輪郭である。中味のないものである。中味を棄てて輪郭丈[だけ]を畳込[たたみこ]むのは、天保銭を脊負[せお]う代りに紙幣を懐にすると同じく小さな人間として軽便だからである。
此意味に於てイズムは会社の決算報告に比較すべきものがある。更に生徒の学年成績に匹敵すべきものである。僅一行の数字の裏面に、僅が二位の得点の背景に殆[ほとん]ど有の儘には繰返しがたき、多くの時と事と人間と、其人間の努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。
従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪郭である。型である。此型を以て未来に臨むのは、天に展開する未来の内容を、人の頭で拵[こしら]えた器に盛終[もりおお]せようと、あらかじめ待ち設けると一般である。器械的な自然界の現象のうち、尤[もっと]も単調な重複を厭[いと]わざるものには、すぐ此型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこの為である。然し人間精神上の生活に於て、吾人[ごじん]がもし一イズムに支配されるとき、吾人は直に与えられたる輪郭の為に生存するの苦痛を感ずる者である。単に与えられたる輪郭の方便として生存するのは、形骸の為に器械の用をなすと一般だからである。其時わが精神の発展が自個天然の法則に遵[したが]って、自己に真実なる輪郭を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤る事さえある。
精神が此屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪郭が将に崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理に或は盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。
過去は是等のイズムに因って支配せられたるが故に、是からも亦此イズムに支配せられざるべからずと臆断して、一短期の過程により得たる輪郭を胸に蔵して、凡[すべ]てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを量らんとするが如き暴挙である。
自然主義なるものが起って既に五六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りに於ては、又わが了解し得たる限りに於ては(了解し得ざる論議は暫く措いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義も亦一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪郭にして舶載した品物である。吾人が此輪郭の中味を充じん[難漢字]するために生きて居るのでない事は明らかである。吾人の活力発展の内容が、自然に此輪郭を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。
一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者は之を永久の真理の如くに云いなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強[てづよ]く、又今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽[おお]う代輪郭を描いて、未来を其中[そのうち]に追い込もうとするよりも、漠然たる輪郭中の一小片を堅固に把持[はじ]して、其処[そこ]に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼等のために得策ではなかろうかと思う。
(『東京朝日新聞』明治四十三年七月二十三日)