(巻二十四)さりながら腹はへりけり山桜(東渚)

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12月28日土曜日

結露防止シート、防災用簡易トイレ袋、アルミニウムのヤカンの三点の捜索に北千住に出かけた。

葛飾区内には核となる繁華街がないのである。まず区内にある駅は単なる停車駅ばかりだから柏や北千住のような乗換駅の人の流れがおきないのである。

葛飾区は場末であるが下町と言われる浅草や上野へは10分~15分、日本橋や銀座も30分圏内なので何かといえばそちらへ出かける。立石程度のアーケード商店街があればちょっとしたものはこと足りていたのが葛飾区の昭和である。

葛飾区は自動車以前の面構えの区であるから、自動車で乗り付けてごっそりと買い込む郊外型の大規模商業施設というのがない。亀有にあるアリオというモールも車で来る客よりは駅から歩いてくるや集客に運転してバスで来る客が主流であろう。

葛飾区の中央を貫通する交通機関京成電鉄”のどの駅にもバスのターミナルはなく、タクシー乗場も整備
されていない。自家用車を持つような、タクシーに乗るような裕福な家庭はこの沿線には存在しないという前提で駅前が“整備”されていたのだ。バス停でさえ駅には直結せずバス通りから駅まで少なくとも百メートルほど歩くのが青砥駅立石駅である。
国鉄時代の亀有駅金町駅だって再開発前は京成の駅前と五十歩百歩であった。
その単なる停車駅の駅前アーケード商店街の全盛期は昭和までだった。

この葛飾区には町工場が沢山あったが、これらが近県に移転し始め、または廃業し、跡地がマンションとなり、またある土地はスーパーマーケットやコンビニになった。
亀有にあった日本製紙跡地がアリオというモールとマンションに再開発され、金町の三菱製紙の跡地では東京理科大学の誘致を含む大規模な再開発が行われているが、あれの町工場版がいたるところで行われたのである。
この住民と流通の変化により駅前アーケードは打撃を被り、亀有、金町はほぼ壊滅し、立石は「千ベロ呑み屋街」としての生き残りを図っている。
つまり、葛飾区内からアーケード商店街や荒物屋や呉服屋や米屋や酒屋や八百屋や魚屋や乾物屋や本屋や、蕎麦屋や中華屋やパン屋や、とにかく“屋・店”が消えた。
北千住とて状況は変わらないが、大規模な乗換駅なので駅ビルが健在だ。駅ビルの中の量販店に 結露防止シート、防災用簡易トイレ袋、アルミニウムのヤカンの三点を捜しに出かけた。
目指したのはハンズで、結露防止シートと防災用トイレ袋はすぐに見付かったがアルミニウムのヤカンはない。お洒落な笛吹ケトルだけだ。
昔、ビートたけしさんのテレビ番組で昔懐かしい物、例えは蚊帳なんぞは足立区に捜しに行け!と言っていた。
そうだ!と思い、千住の宿場通り商店街と本町通り商店街を流してみた。
その宿場通りに一軒荒物屋が生き残っていて店先にアルミニウムのヤカンも出ていたがややサイズが小さい。奥にいた店主に聞いてみたが、出してあるだけだと言う。あのラグビーに出てきた魔法のヤカンもまだ生き残っていたが、細君所望のサイズのアルミニウムのヤカンは足立区千住の商店街に存在せずであった。
今や宿場通りも本町通りも商店街と言うよりは呑み屋街に変わったようだ。つまんねえ。

そんな師走の一日でありました。