(巻二十四)春闘なし貨車に手を振る子等もなし(塚越秋琴)

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1月1日水曜日

お元日の朝、細君が世間胸算用の話から入ってきた。“年を越せずに困った人たちの話を書いてあるそうね。よかった、うちは。”と云っている。世の中がひっくり返ることがなければこの先も大丈夫のはずであるが、さて行く末がどうなるのか?今年もそんな心持ちで始まった。

寒月やさて行く末の丁と半(小沢昭一)

息子の到着は夜になるようだ。息子が戻ると羽毛布団を一枚彼に回すことになっている。昨晩は予行演習で羽毛布団一枚で寝てみた。ただし、寒いといけないのでパーカーを着て寝た。結果オーライなので今晩からの数夜はその方式での就寝となるな。
我が家は、少なくともあたしと細君は、暖房をつけて起きているよりはさっさと寝てラジオでも聴いていた方が(経済的に)よいという考えだ。だから細君も比較的寝具にはお金を使うようだ。
そして、よく眠れることは有り難いと思うし、そろそろず~と眠ってしまうのも悪くはないと思ってもいるのである。

よく眠る夢の枯野が青むまで(金子兜太)

賀状を読みながら、昼飯に雑煮をいただく。夫婦ともに餅は二つで賀状は六枚いただいた。餅も賀状も減ってきた。

働かぬ手にいただくや雑煮箸(西島麦南)

外出せずに昼寝いたす。心地好く眠られた。

ブックマーク

朝日俳壇の選者諸氏が三句ずつ載せていたが、年頭の句に佳句なしですなあ。

亡き友を偲ぶことより年賀かな(稲畑汀子)

を書き留めてみた。案外先に逝った方が正解かもよと思いつつ。

《 その後九月一日に熱海に居を移した荷風散人は、翌昭和二十一年(一九四六)一月一日の『日乗』に、「今日まで余の生計は、会社の配当金にて安全なりしが今年よりは売文にて餬口の道を求めねばならぬやうになれるなり、去秋以来収入なきにあらねどそは皆戦争中徒然のあまりに筆とりし草稿、幸に焼けざりしをウ[難漢字]りしがためなり、七十近くなりし今日より以後余は果して文明を編輯せし頃の如く筆持つことを得るや否や、六十前後に死せざりしは此上もなき不幸なりき、老朽餓死の行末思へば身の毛もよだつばかりなり」と述懐している。 》

本

「過去の意味 - 加藤秀俊」文春文庫 生きがいの周辺 から

を読みました。過去を振り返り自慢話をしてしまうことについての肯定的な評論です。生きてきた人生と云うものを肯定的に振り返ることを推奨しています。

《 このような「得意の一瞬」は、いわば記念写真のようなものだ。誰でもが、その写真を頭のなかに何枚か持っている。そして、その写真をときどき、ひとりで、とり出して眺めてみる。ひとりで眺めるだけでなく、他人にも見せたくなって、どうだ、こんなときがあったのだよ、と言う。それが自慢話というものだ。
わたしの考えでは、こうしたすべてのことは、きわめて健全なことである。人生における打率は、それほど高いものではありえないのだから、たまに当たったヒットは貴重である。誇るに価するし、それを誇りたいのは人間自然の感情というべきであろう。くどい自慢話は、大いに退屈だが、自慢話をすることで、お互い、人生における価値ある瞬間を確認しあうのだとするなら、それは、われわれが生きてゆくうえで必要な精神衛生の一方法である、といってもよい。》

あたしゃ、与えられた資質と結果を見比べれば、うまく逃げ切ったと肯定的に思ってますよ。でも棺桶に入るまでは逃げ切ったとは言えません。逃げ切るためには上手に棺桶に入るしかありませんなあ。
自慢話となると、青年の船二回、フィリピン三年、RILO辺りかなあ?相手がいないけどね。
そうそう、先月の再就職監視委員会ではこのあたりを聴いて呉れましたので吹きまくった。ちょっと気持ちよかったな!