「海外に出て行く。新しいフロンティア(抜き書き其の五) - 村上春樹」新潮文庫 職業としての小説家 から

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「海外に出て行く。新しいフロンティア(抜き書き其の五) - 村上春樹新潮文庫 職業としての小説家 から

また、欧米諸国でブレークスルーできた大きな要因のひとつとして、何人かの優れた翻訳者に巡り合えたことが大きいと思います。まず八〇年代半ばに、アルフレッド・バーンバウムというシャイなアメリカ人の青年が僕のところにやってきて、僕の作品を気に入って、短いものをいくつか選んで翻訳しているのだがかまわないだろうかと尋ねました。それで「いいですよ、ぜひやってください」ということになり、そういう訳稿がだんだん溜まってきて、時間はかかりましたが、何年か後に「ニューヨーカー」進出のきっかけになったわけです。『羊をめぐる冒険』と『ダンス・ダンス・ダンス』も「講談社インターナショナル」のためにアルフレッドが訳しました。アルフレッドは非常に有能で、意欲溢れる翻訳者でした。もし彼が僕のところにそういう話をもってこなかったら、自分の作品を英語に翻訳するなんて、その時点では思いつきもしなかったことでしょう。自分ではまだまだそういうレベルに達していないと考えていたので。
その後、プリンストン大学に招かれてアメリカに住んでいたときに、ジェイ・ルービンに出会いました。彼は当時ワシントン州立大学の教授で、後にハーバードに移ります。非常に優秀な日本文学の研究者で、夏目漱石のいくつかの作品の翻訳で知られていましたが、彼も僕の作品に興味を持ち、「できれば何かを訳してみたい。もし機会があれば声をかけてくれ」と言ってくれました。僕は「まず、気に入った短編小説をいくつか訳してみてくれますか」と彼に言いました。彼はいくつかの作品を選んで訳したのですが、とても立派な翻訳だった。何より面白いと思ったのは、彼とアルフレッドが選ぶ作品がまったく違っていたということです。両者は不思議なくらいバッティングしなかった。複数の翻訳者を持つというのは大事なことなんだとそのときに痛感しました。
ジェイ・ルービンは翻訳者としてきわめて実力のある人で、彼が最新の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』を訳してくれたことで、アメリカにおける僕のポジションはかなり確固としたものになったと思います。簡単に言えば、アルフレッドがどちらかといえば自由奔放な翻訳、ジェイは堅実な翻訳ということになります。それぞれにそれぞれの持ち味があったわけですが、アルフレッドはその頃自分の仕事が忙しくなって、長編小説の翻訳までは手が回らなくなっていたので、ジェイが現れたことは僕にとってすごくありがたかった。また『ねじまき鳥クロニクル』のような(僕の初期の作品に比べて)構造が比較的緻密な小説は、ジェイのようなあたまから正確に逐語的に訳してくれる翻訳者の方が、やはり向いていたと思います。それから彼の翻訳について僕が気に入っているのは、そこに巧まざるユーモアの感覚があることです。決して正確・堅実なだけではない。
それからフィリップ・ゲイブリエルがいて、デッド・グーゼンがいます。彼らはどちらも腕利きの翻訳者で、やはり僕の書く小説に興味を持ってくれました。その二人とも、若い頃からのずいぶん長いつきあいになります。彼らはみんな最初、「あなたの作品を翻訳したいのだが」とか「既に翻訳をしてみたのだが」という風に接近してきてくれました。それは僕にとってはとてもありがたいことでした。彼らと巡り合い、パーソナルな繋がりを築くことによって、僕は得がたい味方を得たように思います。
僕自身が翻訳者(英語→日本語)でもあるので、翻訳者の味わう苦労とか喜びとかは、我が事として理解できます。だから彼らとはできるだけ密に連絡を取るようにしているし、もし翻訳に関する疑問みたいなものがあれば喜んで答えます。条件的な便宜もできるだけはかるように心がけています。
やってみればわかるけれど、翻訳というのは本当に骨の折れる厄介な作業です。でもそれは一方的に骨の折れる厄介な作業であってはならない。そこにはお互いギブアンドテイクのような部分がなくてはなりません。外国に出て行こうとする作家にとって、翻訳者は何より大事なパートナーになります。自分と気の合う翻訳者を見つけるのが大事なことになります。優れた能力を持つ翻訳者であっても、テキストや作者と気持ちが合わないと、あるいは持ち味が馴染まないと良い結果は生まれません。お互いにストレスが溜まるだけです。そしてまずテキストに対する愛がなけるば、翻訳はただの面倒な「お仕事」になってしまいます。