(巻二十四)一憂の去りてすかさず夏の風邪(福山英子)

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1月11日土曜日

細君が歯医者に出かけて行ったので午前中は一人で留守番となりました。昼飯も「パンでも買って食べてください」ということで、そのようにした。鍋焼きで一杯とも考えたが毎日一杯という身分ではない。
当地に引っ越してきて三年になるが、細君はなかなか歯医者が定まらないようで今朝出かけて行ったところが三軒目だ。
一軒目はチェーン店歯科で不親切で治療日が二週間以上も空くと言って止めた。二軒目は個人であるが、治療より歯みがきの訓練が主で嫌になったらしい。さて三軒目はどうか。
いずれにしても夫婦して医者通いであります。

人日や夫婦別れて外科内科(除門喜柊)

冷え込むなかを買い物と昼飯のパンを仕入れに生協に出かけた。生協にパンは置いてあるが菓子パンだけで調理パンはカレーパンまでである。ベーカリーに廻ったところで大したことのないサンドウィッチだからヤマザキの餡パン、カレーパンとミニ・スナックゴールドという菓子パンにして紅茶を煎れて昼食とすることした。
土曜日の午前と云うことで年寄りの客が多い。七草粥が終ったので季節ものは節分豆まきとなり、店内放送は恵方巻の予約に変わってきた。

昼前に細君が戻る。繁盛している歯医者のようで予約がなかなか取れないと嘆いている。「先生は感じいいんだけど、土曜の午後に出かけたくはないわね」とのことだ。五十歳くらいの医者で不必要な治療をして稼ぐ風ではないがしばらくは様子見と云うのが細君の医者のお見立てである。四軒目を探すのかどうするのか。
ついでに、駅前の靴屋でスニーカーを買ったという。サイズがなかなかない足ですから巡り遇ったときに買っておかなければならないそうである。つまり衝動買いではないということを言っているようである。
細君も駅前のパン屋でサンドウィッチを買って帰ったので、

菓子パンに紅茶で済ます昼がれい二人で摂ればそれ温かし

となりました。

夜のニュースで大学ラグビーの結果を報じていたが、それを見ていた細君が「行ったんだよね~」と昔を思い出してくれた。はじめての次のデートで細君がお握り弁当を作って持ってきた。

本

私小説に逆らつて - 丸谷才一集英社文庫 別れの挨拶 から

を読みました。丸谷氏のお立場は以下のご説でも拝読いたしております。巡り合わせで暗い私小説やなんかから読みはじめてしまったのが人生運の尽きだったのかな~?

韮汁や体臭を売る私小説(花田春兆)


「幸福の文学 吉田健一 『酒肴酒』 - 丸谷才一集英社文庫 別れの挨拶 から

《吉田さんがかういふ幸福な人間、あるいは人間の幸福感を書くことができたのは、近代日本の文学観との関係があるでせう。といふのは、明治末年以後の日本文学では、人生は無価値なもので生きているに価しないといふ考へ方が大はやりにはやつてゐたのだが、その考え方と最も威勢よく争つた文学者はほかならぬ吉田さんだつたから。彼は、人生は生きるに価するものであり、その人生には喜びや楽しみや幸福感があるといふことを主張した。さらに、人生はさういふものだからこそ文明が成立すると述べた。それはむづかしく言へば、文学風土の歪みや貧しさに反抗して人間的現実の総体をとらへようとする、そしてぶんを擁護しようとする事業だつたわけですが、その場合、いはば最初の手がかりになつたのは酒と食べもののもたらす幸福感だつたにちがひない。》