(巻二十四)臨終の感謝の言葉露の世に(稲畑汀子)

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1月18日土曜日

臨終の感謝の言葉露の世に(稲畑汀子)

そうありたいと願っております。今、お陀仏ということになれば、そういう心持ちで去れるでしょう。

ヘッドホン地球

聞き取れない部分について広く支援をお願いしましたところ、
Ruminative
であろうとのご教示を戴きました。Bethさん、ありがとうございました。

三角定規

センター試験に合わせるように雪が降りました。
この時期は私立中学の入試がたけなわだと思います。

受験子やちからになれぬ父連れて(駄楽)

成人女性

は歯医者の予約が2時半からで寒い中をブチブチ言いながら出かけて行った。転ぶといけないから買い物はせずに帰ってくるとのことだったが京樽で二人分の寿司弁を買って帰宅した。麻酔が効いていて抜けない抜けないとこれまたブツブツ文句を言っている。

お茶漬の味の夫婦や冬ぬくし(細井新三郎)

今日は流石に寒くて息子がいた部屋に入りエアコンのお世話になりました。軟弱であるなあ。

本

「虫のいろいろ - 尾崎一雄岩波文庫 暢気眼鏡・虫のいろいろ から

を読みました。虫を観察しながら死を思うお話と言ったらそれまでですが、『城の崎にて』の方がいいな。

『 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。単に出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆(みんな)巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは 如何にも静かだった。』

くわえて、尾崎一雄は放蕩三昧の末に、

『 「おい、誰か来てくれ」私は、眉を思いきり釣り上げ額にしわをよせたとぼけた顔のまま大声を出した。中学一年生の長男が、何事かという顔でやって来た。
「おでこに蠅が居るだろう、とっておくれ」
「だって、とれませんよ、蠅叩きで叩いちゃいけないんでしょう?」
「手で、直ぐとれるよ、逃げられないんだから」
半信半疑の長男の指先が、難なく蠅をつかまえた。
「どうだ、エライだろう、おでこで蠅をつかまえるなんて、誰にだって出来やしない、空前絶後の事件かも知れないぞ」
「へえ、驚いたな」と長男は、自分の額にしわを寄せ、片手でそこを撫でている。
「君なんかに出来るものか」私はニヤニヤしながら、片手に蠅を大事そうにつまみ、片手で額を撫でている長男を見た。彼は十三、大柄で健康そのものだ。ロクにしわなんかよりはしない。私の額のしわは、もう深い。そして、額ばかりではない。
「なになに?どうしたの?」
みんな次の部屋からやって来た。そして、長男の報告で、いっせいにゲラゲラ笑い出した。
「わ、面白いな」と、七つの二女まで生意気に笑っている。みんなが気を揃えたように、それぞれの額を撫でるのを見ていた私が、
「もういい、あっちへ行け」といった。少し不機嫌になって来たのだ。 』

なんぞという幸せな家庭人のお父さんをやられても釈然としませんな。