「私の酒 - 池波正太郎」中公文庫 私の酒 から

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「私の酒 - 池波正太郎」中公文庫 私の酒 から

さて、弱った。
恋を通じての酒、甘い酒、苦い酒について書けといわれても、私の場合、酒と女とは、とてもむすびつかない。
もともと十代からの私の相手になってくれた女[ひと]たちは、みんな(くろうとさん)ばかりだし、いま四十をこえて若いころ知り合った女を思いうかべてみると、吉原だの名古屋の中村だの飛騨の高山だの岐阜だの、諸方のくるわの女たちばかりで.....とにかく、いずれも私より年上のひとばかりである。
そのころの女たちを(実説)で書くのは、まだ私の年齢では見っともないし、あまり気もすすまない。
だが、私の小説の中には、その女たちとの関係が知らぬ間に出ており、年月をおいて読み返したとき、ぎょっとなることがある。
私の酒の飲み方も、こうした女たちから教えられたのだ。
どういう風に教えられたかというと、
「お酒というものはねえ、うれしいときにのむもので、悲しいときや苦しいときにのむものじゃないのよ」
と、いうことであった。これは彼女たちの酒とは正反対のことなのだが、そんな教え方をされたのも、私が年少のためだったのだろう。
そのとき、こうした(ねえさん)たちの言葉に、私が何といったか覚えてはいないが、いまの私の酒は事実、その通りのものになってしまっている。
戦後、はじめて、めんどうくさい恋愛のごときものも二、三したが、このときも苦い酒をのんだおぼえはない。
のむほどに陽気になる酒だし、それはひとりきりで充分にもつ。
好きな肴さえあれば、ひとりきりで、「ああ、こりゃこりゃ.....」になってしまうし、むしろ一人の方が気もおけず、たのしくのめる。
いまは毎夕食二合、それをのんで、ちょっと寝て仕事。仕事が終ってウイスキーを少し.....それで、おしまいである。
十日に一度ほどは、気の合った飲み友達と外でのむが、相手によって七、八合のんでも他人にめいわくをかけることなく、ごきげんで、ちゃんと帰る。
旅が好きだし、よく出かけるので、だから私の酒は女よりも風景、旅情とむすびついているのだ。
冬枯れの奈良の茶店で、ひどく辛い玉子汁で熱かんをのんだときの情景や、雨にふられて予定をとりやめ、朝からのんびりとのんだ越後・岩室の宿のことや、京都・鳥居本の平野屋の縁台で、顔まで染まりそうな青葉につつまれ、たらふく食った鮎の味や、そのとき、のみすぎて少し足もとが危くなり、あかるい初夏の陽ざしの中を、ふらふらと念仏寺の前から嵯峨野へ出たときの夢を見てでもいるような気持など.....旅と酒の話ならいくらでもあるが、こんなひとりのたのしみを、そのまま書いたところで読む方はつまらぬことだろう。
朝からビールをやるのも旅へ出たときにきめているので、これもたのしみなのである。
そうだ、平野屋でのみすぎたときは、帰京の列車の中で、まだ食い足りずに名古屋で駅弁と酒を買いに出て、列車のドアに指をはさまれ血まみれになったことをいま思い出した。
とにかく私の酒は女ッ気のない酒で、他人から見ると、あまりおもしろくもあるまい。
寝酒をやりながら書いているので、もうめんどうになりました。
ま、こんなところで、ごかんべんを - 。
(昭和四十一年一月一日)