(巻二十四)ナイターや議論つきねど運尽きて(水原秋桜子)

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1月26日日曜日

やはらかに人分けゆくや勝角力(高井几董)

今日はこの句の出番でした。

朝の7時半ころ、テレビで桜島大根と鹿児島大学農学部の女性講師が紹介されていて、急いで見に来いと叩き起こされた。
桜島大根には血管によい成分があり見直されているそうだ。話題が何であろうと、鹿児島というと成人女性は騒ぐ。

朝日俳壇から、

安らかに枯れ尽したる芝生かな(坂田美代子)

“安らかに”に憧れ、 “安らかに”を渇望する日々です。

本

「茂吉と酒(齋藤茂吉氏のこと) - 齋藤茂太」中公文庫 「酒」と作家たち から

を読んだ。

《 人間、老年になると抑制がとれる。宿命といっていい。痴呆のきた姑はたいてい嫁を敵視する。はては嫁を泥棒扱いする。なるほど嫁は、だいじなだいじな息子をとった憎い女である。ふだんは抑制がきいているから表面的には嫁とうまくやっている。それが痴呆がきて物忘れがひどくなると、嫁が部屋に入ってくる度に何かなくなると嫁を泥棒扱いにする被害妄想が出てくる。
父は晩年、私が酒を飲んでいると、だまって私の酒をとりあげて、自らの口に流しこむようになった。家内が心配して、お父さまの前では飲まないで、と言った。ウチではあまり飲まないという「抑制」がとれたのだろう。私は父に「自由」がもどってきたのだと思った。
新しいことを忘れ、古いことをよく憶えているという老化現象を神はよくぞお与え下さったものだと思う。それが周囲の者はともかく、老人にとって、それは幸福につながると思うからだ。》

茂吉は養子で婿だったから遠慮もあったのか家では飲まなかったと茂太氏は前半で書いている。
ボケをこう暖かく見るのはなかなか出来まい。

父の痴呆冗談ならむ松明くる(徳武和美)

死ぬ前にボケておきたいのだが、迷惑をかけるので死の恐怖を味わうしかなかろう。

今日も一日無事に過ぎました。感謝します。

フーッと風船の空気が抜けるように終わりたい。よろしくお願いいたします。破裂はちょっと勘弁願いたいし、萎んだままブヨブヨしている風船にもなりたくない。