(巻二十四)駅弁を食べたくなりぬ秋の暮(高浜年尾)

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1月29日水曜日

うって変わって小春日和であります。散歩に出て珈琲を屋外で喫した。

小春日や見下ろす影の濃さ淡はさ(駄楽)

おじいさん

気が弛んでいたのか呆けが始まったのか?ベランダの手すりに干しておいたシートを洗濯バサミなしで放置してしまった。幸い風もなく落下しなかったが、危ないところであった。
これからしばらくは細君からガミガミ言われるだろうが、そういう歳になってしまったのだからこれに限らず自分でも跡見をして気を付けなくては。

秋ふかし何しに二階へ来たのやら(矢野美与子)

いよいよマスクが店から消えた。まだ袋入りの五六枚セットはあるがお徳用60枚入りの箱はもはやない。
マスクがないのでウイスキーとつまみを買った。細やかな人生の終焉の日まで細やかな独酌を続けて行ければ、これ満願。

地球

One paragraph essay clubへの参加者があり、みんなで十五人になった。今日申し入れてきた青年はタイムラインを読むとやたらハイブローなので、“ここはあんたのようなソフィスティケーテッドされた方の来るところじゃないよ。”と再考を促した。
彼から“誉め殺しの差別だ。是非入れろ!”と返してきたので承認した。

一日、苦痛も悲哀もなく過ごせました。感謝します。
呆けにしても病にしても長期は勘弁してください。

はこばれているとは知らぬ海鼠かな(山田麦城)