(巻二十四)仕上りに水張る桶屋十二月(穂苅富美子)

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2月2日日曜日

成人女性がシーツを洗うと言い出した。今日の空模様なら一日で乾くと言う。

男の子奨学金の一括返済関係書類を記入した。
税務署からは確定申告はわざわざ税務署に来ないで自分の家のパソコンからやれという案内が二回も来た。
税務署からの便りにしろ何にしろ、取り合えず世の中が普通に転がっているらしいので、少しホッとする。
光景として最もホッとするのは妊婦と旦那の二人連れを見たときである。ご当人たちはそんなことを考えてはいないだろうが、子供をつくるなんぞという将来に対する蛮勇に感動してしまうのである。
あたしも一度細君に謀られて蛮勇を発揮したが、もうあとは知らねえよ!
若い頃に荷風流の個人主義を知っていたら生き方も少しは違ったろうにと思い、そもそもの『河童』のあの一節を思い出した。

とじ傘

散歩は南に歩いた。生協のイートインに小学三、四年らしきが三人屯ってゲームをしていたが、友達の呼び出しも連絡もネットでやっている。今や物を消費する遊びはしないようだ。
箱入りマスクは全くないが、七枚入りパッケージは出ていた。マスクについては少し沈静化してしてきのか?

ITの今浦島や春寒し(藤田尚子)

ブックマーク

朝日俳壇から、ご常連の三方元氏の

あきらめて狸に戻る狸かな(三方元)

を書き留めました。

ヘッドホン

 BBC Radio 4
CrowdScience
Did cooking make us human?
https://www.bbc.co.uk/programmes/w3csz1sv
 
(After 5 minutes 10 seconds from the beginning)
That's Professor Richard Wrangham, evolutionary biologist at University of Harvard, who ten years ago came up with the cooking hypothesis. Richard’s idea is that human started cooking much earlier than the scientists had previously thought, and that had profound impact on all evolution ********* as the species. Once we started cooking, we could get much more energy from our food. Our brains grew in size, and instead of spending our days chewing, suddenly we could do much more useful things with our time.
Traditionally, estimates of when we started cooking have been based archeological evidence of fire. For example, from about 400,000 years ago, fire places ********** ********* common, and wisdom is that cooking did too. By about 120,000 years ago, we know that the fire was almost universal among humans, just like ********* ***********.
But Richard Wrangham came up with a whole new way of ********** this question, that puts the date of cooking much much earlier.


昨日のつづきです。なんとか分かるのでしがみついていますよ!

本

 「父親とのつき合い - 河盛好蔵新潮文庫 人とつき合う法 から

『 大ていの家庭では、父親は家長としての威厳を子供たちに示したがるものである。「だれのおかげでお前たちは安楽に暮していられると思うのだ」というのは、ほとんどあらゆる父親が心のなかに用意している最後通牒である。子供たちは、その手口をよく知っているだけに、それはなんの効きめ ももたず、むしろ彼らをますます反発させる結果になるのである。
最近邦訳の出たアンドレ・ペランの『父』(東都書房刊、佐藤房吉、泉田武二共訳)という小説は、フランスでも大分に評判だったらしいが、父親を憎む少年のこまかい心の動きが実に鮮かに描かれている。主人公のルネはそのなかで次のように語っている。「私を相手にしつこい叱言[こごと]をいっている時、父はひとつの演技を、父という演技をやっているのだという感じを持つことも屡々[しばしば]あった。父の威厳を見せ、それを押しつけるための、要求であり、命令であり、叱責[しつせき]であり、その変らざる酷[きび]しさでもあったのだ。父はそう思いこみ、そうした気持にもとづいて振舞ったのだ。私に対する父の厳格さは、必ずしも常に父の本心とは思えなかった。漠然とではあったが、私には父がそこで芝居を、茶番をやっているようにも思えた - 私のためばかりではなく、自分に向かっても。私の前で、父親らしい体裁をつくるたげでなく、自分の眼にもそれを信じこませたかったのだ。......私は父の底意を看破していた。少なくともそう信じていた。父の態度は、私が父を批判し、非難していると知っての屈辱感をわが身から洗い落そうとしたのである。」
まことに小憎らしい観察であって、私はむしろ父親に同情したいが、このように手のうちを見破られてしまうと、もはや処置なしである。』


今日も悲哀・苦痛なく過ごせました。感謝します。
願いは変わりません。安らかな、ふーっと消える幕です。幕なんて仕掛けじゃなくて暗転で十分です。よろしくお願いいたします。