「未来を考える古典の本 - 田中優子」岩波文庫 読書という体験 から

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「未来を考える古典の本 - 田中優子岩波文庫 読書という体験 から

岩波文庫でぼろぼろになった一冊がある。『芭蕉七部集』だ。私が近世文学(江戸文学)を学びはじめたのは、大学院に入ってからである。わからないことばかりで、とにかく追いつくのに必死だった。芭蕉連句こそ面白い。大学院のゼミでも芭蕉を読む時は連句や俳論が議論の対象だった。しかし当時の私は連句を注釈なしで読むことはできなかった。そこで、岩波の日本古典文学大系芭蕉句集』と幸田露伴や安東次男の評釈書が便りだったが、いったん解釈を頭にいれると、あとは何度も読んで覚えようと試みた。そのとき、岩波文庫芭蕉七部集』をいつもカバンに入れて歩いたのである。
今でも文庫本の表紙を開けると、その裏に「初折」「名残の折」「月の座」「花の座」など、学生時代に連句の構成を書いた手書きのメモが、消えることもなくそこにある。一頁めをめくると、「たそやとばしるかさのさざんか」 - 芭蕉の発句に答えた野水の脇句が眼にとびこむ。これを読むたびに私の脳裏には、ぼろぼろの旅衣に破れ笠をかぶった人物の後ろ姿が見えるのである。その人物に、「たそや=誰ですか?」と呼びかける。彼が振り返ろうとするその笠に、白いさざんかの花が落ちてばっしと当たり、はっとその花びらが飛び散る。脳裏の映像はここで終わるので、残念ながら芭蕉の顔は見えない。
朽ちて行く日常、そこに舞う花びら-この取り合わせが近世文学なのである。
私が連句集を懐中していたように、江戸人たちは明の時代の中国でまとめられた『唐詩選』を懐中していた。江戸時代に岩波文庫はなかったが、文庫サイズの本はいくらでもあった。『唐詩選』はその代表的なもので、注釈付きの本を持って勉強する人がおおぜいいたらしく、ずいぶん版を重ねている。大きな版では、絵入りの『唐詩選』も出版され、絵本を読む感覚で漢詩を鑑賞する庶民たちがいた。そして覚えるためにには小さな本を懐中したのであろう。幸い岩波文庫も『唐詩選』は注釈・現代語訳つきで助かる。これは現在でも私の旅の必需品である。江戸時代のパロディを理解するには、漢詩の教養は必須だからだ。
唐詩選』が長旅用だとすると、ちょっとそこまで、という時や少々疲れ気味の時に持ち出すのは『陶淵明全集』である。これも注釈・現代語訳つきだ。江戸人は陶淵明が大好きだったが、私のように「癒し用」に使うのは現代人向き処方だろう。世間にうまく合わせることができず、都会の出世競争に疲れてついに田園に帰ってしまう彼の詩は、私ならずとも現代の中年にぴったりだ。「帰りなんいざ、田園まさに蕪[あ]れなんとす なんぞ帰らざる」「帰りなんいざ、請う 交わりをやめてもって遊を絶たん。世と我れとは相たがえるに」 - 意訳:私はどうも、世間と価値観が違うんだ。もうこの世のつまらない社交をやめて、荒れ果てようとしている田園に帰り、そこで自然を再興しようではないか。 - 私にはこれが、まるで現代人への呼びかけのように聞こえる。
「帰りなんいざ」と言えば、江戸時代の版元も都市文化だけでなく、地方の生活や技術や文化についての本を出版していた。しかし多くは農業についての実際的な本であって、生活と文化のドキュメントは珍しい。しかしその珍しい本こそが、今日まで残り、読み継がれてきた。鈴木牧之『北越雪譜』である。「雪の形状[かたち]」「雪の深浅」「雪意[ゆきもよひ]」「雪の用意」と、とにかく雪を、その厳しさ、恐ろしさからその美しさに至るまで、徹底的に書いている。挿絵も本人の手によるもので、雪国の生活の様子のみならず、雪の中を歩くはきものから雪の結晶まで実際に暮らしている者にしか描けない貴重なスケッチが入っている。
この本は、読み手によって印象に残るところがさまざまだ。私は越後の機織[はたお]りたちのもつ「誇り」の高さと、雪との深いつながりが印象に残った。越後縮[えちごちぢみ]の糸には、雪のもたらす湿気がなくてはならぬものだという。空気が乾燥してくると、織り機[はた]の前に雪を置いて織る。雪の中で糸を紡[つむ]ぎ、雪の中で織り、雪の中ですすぎ、雪の上にさらすのだ。その織り機を置く部屋を御機屋[おはたや]といい、神聖な場所とした。御機屋で仕事をする時は身を清めた。ある日、ひとりの女性が恋人と会った後、母親の声を聞いてあわててそのままの身で御機屋に戻って織ろうとしたとたん、血を吐いて倒れてしまった。男性は自分の身に代えても助けようと、寒中に水を浴びて祈り続ける。その事件がきっかけで二人は結ばれるのだが、この物語は作者が子供のころほんとうにあったことだという。不思議な話だが、この中には、「ものづくり」がかつてもっていた「人知を超えた力の援助」という考え方が見てとれる。人間の作る「もの」は自然の一部であり、だからこそそこには神聖な力が関与したのである。『北越雪譜』は自然の驚異と自然の偉大さ、そして自然となじみながら暮らす人間たちの知恵の根本があふれた本なのだ。
この文庫の末尾には、益田勝実の優れた解説がある。現代人の経験するなだれの恐ろしさを挙げながら、鈴木牧之が雪国について書こうとしたことを明快に論じている。そして、鈴木牧之がこの本を刊行するまで三〇年の歳月を要した江戸出版界の事情を、詳しく述べている。この本は商業ベースで出版が決められたのではなく、山東京伝、京山の兄弟の尽力によって刊行されたのだった。また長い時間がかかった理由の中には、売り上げを心配する出版界や、作家同士のいがみ合いという事情があった。その生々しさが、まるで昨日のことのように伝わってくる。私は高校生のころは本から、大学生のころは教室で、益田勝実にどれほど本の読み方味わい方を教わった知れない。益田勝美は古代文学者で民俗学者であるが、それと同時に、本を読むことの面白さを伝えてくれる実に優れた教育者であった。
民俗学といえば、岩波文庫の中には宮本常一の『忘れられた日本人』という名著がある。私は江戸時代の農村のありようについて、宮本常一から多くのことを学んだ。宮本が書いているのは決して江戸時代のことではない。戦後すぐ、私が生まれたころの日本の村々のことであり、さかのぼったとしても宮本の祖父の代のことである。にもかかわらず、そこには「近代化」される前の村落が長い時間にわたってもっていた、優れた知性と思想が見える。たとえば村落の議会にあたる「寄りあい」が、徹底的にそして紆余曲折しながら、全員納得するまでいくらでも時間をかけて話し合われる機構であったことがわかる。かつての日本では、民主主義とか自治ということがかけ声でも観念でもなく、実践されていたのだ。それは江戸時代の資料からも浮かび上がっている事実なのだが、宮本はまさに眼の前でそれを見た。
農民がどういう存在であったかも、この本から生き生きと浮かび上がってくる。ばくろうの話す体験談の中にこんなせりふがある。 - 「そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、石ころでも自分の力で金[きん]にかえよる。そういう者から見れば、わしら人間のかすじゃ」 - 石ころを金にかえるために農民がどれほど働いたか、この本の中では同時にそれが実感できるのだが、この言葉からは、その働きが尊敬の念で見られていたこともわかる。逆に言えば、当時の商人は農民と自分と比較しながら、自分のおこないが人間としてどのようなことであるか、自覚を持っていた。物を動かして利ざやを稼ぐことと、ゼロから物を作り上げることとの違いを、肌で知っていた。ここから見ると、今の世界はその自覚を無くした世界なのである。
猥談をしながら田植えをする女性たち、牛や犬や亀など身近な動物を家族と同じように思ってともに暮らす人々、識字層がかつてもっていた強い責任感等々、私はこの本をくり返し読むのだが、研究者としても人間としても、かつて生きていた無名の人々から得るものは尽きない。それを見る宮本の価値観から得られるものも無尽である。
私は江戸時代を研究すると同時に、その時代のアジア諸国に関心をもっている。「江戸時代はなぜ出現したか」「江戸時代はなぜ終わったか」 - この二つは両方とも、当時の世界情勢に無縁ではない。前者にかかわる世界の動きは、『コロンブス航海誌』と『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が情報を提供してくれる。『コロンブス航海誌』てば、コロンブスの船が「ジパング」をめざしていたことがわかる。エスパニョーラ島をジパングだと思って上陸する。その結果何が起こったかは、ラス・カサスが『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で教えてくれる。多くのインディオが殺され、鉱山開発が行われた。そこで採取された銀は太平洋を渡ってマニラに運ばれ、中国の生糸、絹織物と交換された。この、アメリカ銀のアジアへの参入と江戸時代の出現との関係は、もっと注目しなければならない事実だと思っている。
「江戸時代はなぜ終わったか」 - これはガーンディーの『真の独立への道』とかかわる。ここには「近代化させられた」アジアの姿が典型的に見えるのだ。江戸時代にとって、インドは素晴らしい技術をもった尊敬すべき国であった。日本の歴史の中で、江戸時代ほどインドの影響を強く受けた時代はないだろう。しかしインドからその技術力が奪われ、大量生産システムに従属させられる。これがアジアにとっての近代化の姿である。インドは独立した。しかしアジアを変えてしまった近代の価値観と歴史の方向性は、現代においても未だ変わっていない。
岩波文庫の愛読書はいずれも古典である。しかしそれぞれを前に置いて眺めながら、私は今と未来について考え込んでしまった。