「大隠は朝市に隠る - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

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「大隠は朝市に隠る - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

蕪村、市井に住むことこそ己れの風流

蕪村の画で私が最も好むのは「夜色楼台雪万家の図」といい、雪景色を描いたものだ。横長の画面の下方に平たい家々がずらっと、どれも雪をかぶって浮かんでいる画である。中央に二軒ほど楼というほどの大きな家が窓を見せて抜きんでているが、それも雪に覆われている。家並のむこうに山脈[やまなみ]がこれもまた白皚々[がいがい]とただなだらか稜線を見せて左から右へ下っている。家と山脈との上には真闇な夜の空がひろがっていて、雪はまだその暗い空からひっきりなしに降りつづけている。

人影はどこにも見えないが、この画を見ているとわたしは一種の茫漠とした詩情が湧くのを覚え、これらの雪をかぶった屋根の下に身を潜めるように暮している人びとの存在を感じずにいられない。夜の雪であるところがいい。この画を眺めているとおのずから蕪村の、

うづみ火や我かくれ家[が]も雪の中

の句が思いだされてくるのである。
明治の偉大な啓蒙家で俳人だった正岡子規は『蕪村句集講義』の中でこの句について、

此句は家の外から家を見たのでは無く、家の内に在りて我家が雪深き中に埋[うづも]れて居る様を思ふたのであろう。

と言っているが、わたしが感じるのもまさにその通りで、この画も先の「月天心貧しき町を通りけり」と同じく、雪に覆われた家の寒い室内で火鉢の埋れ火にかじかむ手を暖めながら、外でしんしんと降りつづける雪と、雪の中に万家が一色に埋れている景色とを思い浮べて、そのとき湧いて来た詩情を絵にしたような気がするのである。いかにも蕪村らしい、蕪村にして初めて描けた冬景色ではあるまいか。蕪村独特の、身は市俗の中に潜めながら心は塵外に遊ばせる、複眼的想像力とでもいったものの働きがよく感じられる画である。「我かくれ家も雪の中」と詠んだ、その「も」から生じた詩情である。
 
と同時に、それら雪に埋れた小さな家々の一つである自分の住居を「我かくれ家」と詠んだところに、漢詩が好きで隠逸[いんいち]の風を慕うこと厚かった人の、ひそやかな思いも托されているように感じられる。隠れ家ては世を潜んで身を隠す仮の住居である。自分はいつそこから別の所へ移ってしまうかもしれない。それは社会に根を下した人の恒久の邸宅ではない。物とてほとんどなく、すべては身一つひっさげていけるほどのもの、旅の道具と異ならぬ物しかない。そういういつでも飛び立ってゆける仮の旅寓[りよぐう]のごときものとして自分の家を「我かくれ家」と呼んだとき、蕪村の内には当然ながらその敬慕する先師芭蕉

草庵にしばらく居ては打破り

の発句を思い浮べたことだろう。が、蕪村みずからは芭蕉のような俗と離れるため「旅人と我名よばれん初しぐれ」の漂泊の旅に誘われる人ではなく、無名のまま市井に潜んで詩情を養う人であった。彼は芭蕉を崇める心では人に劣らなかったけれども師は師、自分は自分と思い定めたところがあって、そういう自他の違いをしかと意識している人の心の底にあったのは、「大隠隠朝市[だいいんはあさいちにかくる]」のことばではなかったかと思う。自分を大隠と自負する傲慢さはぜんぜんなかったにしろ。彼は市井の中にあって離俗の心を養う人であった。師と自己との違いを明確に認識し、己れの道を行った人だったのだ。
(後略)