(巻二十四)蟻二匹ゆくあてありて右左(安楽つねみ)

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2月13日木曜日

新聞の折り込み広告に進学塾の新学年キャンペーンが増えてきたようだ。細君が貪るように読んでいる。男の子が通った塾は公立中高一貫に特化した“営業”が効を奏したようで、細君がなぜか慶んでいる。
中学入試は子供が十歳ころからの母子一体のバトルである。それは母親にとっては忘れ得ぬ我が子との絆が強かった日々なのだろう。

受験子の抜け殻となるチャイム鳴る(岩田桂)

受験子やちからになれぬ父連れて(駄楽)

とじ傘
図書館に行く。昨日の続きを読もうと探すも見付からず。あの“死に際”の本を誰かが借りたのだろうか?

あの本の毒まわりたる烏瓜(森田緑郎)

カメラ
さくら通りの舗道の化粧直しが順調に進んでいる。一撮いたした。

おじいさん
旨いもの、上手い料理法、旨い店、などの随筆をコチコチしているが、正直言ってあたしは味音痴でありまして旨いものは分かりませんし、旨い酒も分かりません。ここのところへ来て、 井上ひさし氏、野坂昭如氏の食べ物に対するお考えを知り、嬉しく思っております。

本

セントルイス・カレーライス・ブルース - 井上ひさしちくま文庫 カレーライス大盛り から

《 ところで、私は食べ物というものにまったく関心がなく、白米の御飯があればそれで満足、あとは出されたものをただ食べるだけの、じつにつまらない人間である。どういう食べ物を「ごちそう」というのかも分からず、したがってこの解説にしても書きようがなくて、こうやってしきりに油を売っているのだが、前出の『ヌードさん』には、ストリップ劇場における「踊り子の階層」についての説明が省略してあるので、そのあたりへ筆を遠征させて、今後もできるだけ「ごちそう」には近づかないようにしたい。》

本

《 「抜けきれぬ餓鬼根性 - 野坂昭如」中公文庫 風狂の思想 から

ぼくは、飯のかわりにウイスキーを飲んでいるとよくいわれるけど、これで一人でいる時には、お茶漬けやらラーメンやら、ばかみたいに食べているのであって、人と会う時に、まさか対談や座談会で、ライスカレーしゃくりつつしゃべるわけにはいかないから、やむを得ずウイスキーなど飲んでいるのだ。そして、相手が料理屋なりレストランの自慢料理を、「うん、これはうまい」とか、「これはシュンではないね」などというのを、猜疑心にみちてながめる。先方がはるか年長ならばそうでもないけれど、また育ちがよければ納得するのだが、いずれこれまで食うや食わずの連中の、鮎の塩焼きに、舌つづみ打つ姿など、どうも信じがたいのだ。そんなものより、ソースぶっかけたライスカレーの方がよくはないのかと、本心をたずねたくなる。》

アジフライにじやぶとソースや麦の秋(辻桃子)

さて今日も死ぬまでの一日を無事に過ごせました。感謝します。今までのところ、涙とともにパンを食べたことはないので人生の味も分かっておりません。旨いものの味を知らなくて結構です。ですから人生の味も知ることなくノホホンと逝かせてください。

最晩年身を焼く火事も思し召し(平川陽三)