1/3「第五章 「西寒川線[にしさむかわ]」・清水港[しみずこう]線・岡多[おかた]線・武豊[たけとよ]線・「赤坂[あかさか]線」・樽見[たるみ]線 - 宮脇俊三」河出文庫 時刻表2万キロ から

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1/3「第五章 「西寒川線[にしさむかわ]」・清水港[しみずこう]線・岡多[おかた]線・武豊[たけとよ]線・「赤坂[あかさか]線」・樽見[たるみ]線 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表2万キロ から

翌二月には秋田の男鹿[おが]線二六・六キロ、三月には四国の内子[うちこ]線一〇・三キロと、予土[よと]線のうち昭和四九年に開通した江川崎[えかわさき]-若井[わかい]間四二・七キロに乗った。
遠くへでかけたわりに成果が少ないのは、未乗線区のみをひたすら目指すひとり旅ではなく、会社の友人たちとの小グループ旅行だったからである。もっとも日程作成は私の役割であるから、抜目なく未乗区間を盛りこんでおいた。
江川崎-若井間は一〇年ほど前にバスで三時間かかって抜けたところで、四万十川の悠々とした流れが印象的だった。しかし、今度の新線は川の蛇行におかまいなく、すいすいとトンネルで短縮してゆくので、快速列車はわずか四九分で若井のつぎの窪川[くぼかわ]に着いた。バスの三時間は長すぎるとしても、これではあっけなくて、立派な四万十川に申しわけないような気がした。
四月には相模線の枝線である寒川[さむかわ]-西寒川間一・五キロに乗った。所用で熱海へでかけた帰り、土曜日の夕方であった。同行した会社の友人は藤沢に住んでいるので二人で東海道本線の各駅停車に乗り、根府川[ねぶかわ]あたりでは、たまには新幹線ではなく在来線に乗るのもいいものだ、などと話し合った。
私が茅ヶ崎で降りて「西寒川線」に乗りに行くと言うと、彼はそんな線は知らないと言う。知らないのは当然で、寒川と西寒川間は相模線の一部とされているから、とくに名はない。しかしそれでは不便なので地元の人たちは「西寒川線」と呼んでいる。こういう名無し線は全国に二四本ある、などと説明しているうちに、彼もいっしょに乗りに行くことになった。
相模線の本線には頻繁にディーゼルカーが走っているが、西寒川へ行くのは朝一往復、夕方三往復しかない。あいにく夕方の一番列車が出た直後だったので、二時間近く待つより、西寒川まではすぐだから、タクシーで行って一番列車の折り返しに乗ろうということになった。
茅ヶ崎の駅前からタクシーに乗ったが、運転手は西寒川駅の所在を知らないらしく、地図を用意しなかった私を当惑させた。しかし、寒川の西寄りで相模川の堤防のそばにあるはず、と言うと、行けばわかるでしょう、と走りだした。茅ヶ崎の町を抜けて一〇分も行かないうちに運転手が、「あれらしいな。なんだ日東タイヤの裏か」と独りごちながら車を停めた。
なるほど、ディーゼルカーが三両、叢のなかの野ざらしのホームに停まっている。こういう所で見ると三両でも長々と横たわっている感じで、八岐大蛇のようでもある。改札口の上にスレートの屋根がかけられただけの、あっけらかんとした無人駅で、土曜日の夕方のせいか、ホームにも改札口の対面にある工場の敷地内にも人影がなく、河原を渡ってきた春風がそよいで閑散としていた。西寒川-寒川間は相模川の砂利を運ぶために敷設されたので、人間より砂利の線なのであろう。
発車時刻の16時14分になり、私たち二人のほかに数人の客を乗せた三両のディーゼルカーは動きだした。きいきいと車輪を軋ませながら右へ右へとカーブして、左窓からさしていた西日が右窓へ移動すると、もう相模線の本線に合流して、寒川駅の構内に入った。所要時間は四分であった。友人に感想を問うと、
「神奈川県にもこんな線があるんですなあ」
と言った。しかしあまりにあっけなくて、互いに物足りぬ思いがしたから、駅前の食堂に入ってビールで乾杯した。たった一・五キロとはいえ、未乗区間を一つ片づけたのたがら、やはり目出度い。杯を重ねているうちに、さっき乗ったディーゼルカーが終着の茅ヶ崎から折り返してきて、家路へ急ぐ客をどっと吐きだした。